12.4Km 2021-09-04
釜山広域市 水営区 広南路120番キル 8
釜山広域市水営区(スヨング)広安洞(クァンアンドン)にあるハルメチェチョプクッは、韓国戦争(1950~53年・休戦)当時、釜山へ避難民としてやってきた人々が亀浦(クポ)一帯で安いシジミを獲り、シジミスープにして食堂で提供しはじめたのが最初と言われています。
シジミスープはさっぱりとした味わいで、入っているシジミもボリューム満点です。シジミ料理は昔から二日酔いによいとされており、今でも多くの人々がシジミ汁を求めてお店にやってきます。
12.4Km 2023-02-06
プサン広域市サハ区タデナクチョ2ギル77
洛東江(ナクトンガン)が海と合流する地点を見渡すことができる3階建ての峨嵋山(アミサン)展望台は、1階の案内デスクとセミナー室、2階の展示館、3階の室内展望台とカフェテリアで構成されています。さわやかな風を感じながら黄金色に染まる夕日を眺望することができます。
12.4Km 2024-06-27
プサン広域市ナム区プンポロ145 Wスクエア1004、1005号
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12.4Km 2023-08-08
プサン広域市ヨンド区テジョンロ539
+82-51-403-0385
釜山の影島(ヨンド)に位置する「カフェ385」は海を眺めながらおいしいコーヒーとパンが味わえる大型カフェです。
12.4Km 2021-02-18
釜山広域市 影島区 絶影路355
「牧場園(モクチャンウォン)」は、韓国伝統の土俗的な雰囲気と現代風の洗練された雰囲気が漂うレストランで、各階の内装はそれぞれ個性的な造りになっています。また、釜山地域で最大級の規模を誇り、食事後には散策路や展望台でくつろぐこともできます。
12.5Km 2023-08-08
プサン広域市ヨンド区トンサムナムロ21
東三洞(トンサムドン)プルチャンポン(激辛チャンポン)はチャンポン、ジャージャー麺、酢豚などが味わえる韓国式中華料理店です。辛さを4段階から選べる辛いチャンポンが有名で第1段階は普通の辛さのチャンポン、第3、4段階になるとかなりの激辛です。
12.5Km 2024-12-22
プサングァンヨクシ スヨング クァンナムロ 151
+82-10-5822-3755
釜山の広安里の海辺市街地にある「ザ·パークゲストハウス」は、ホームステイ型の宿舎で、多様な国籍の観光客に会えるし、料金が安いです。リビングとキッチン、洗濯施設を備えており、各種の便利用品を気軽に使えます。リビングルームに共用トイレがあり、大きな客室の一ヶ所には、バスルームとトイレが一緒にあります。キッチンで簡単な炊事もできます。広安里海辺と釜山の民楽刺身店通り、屋台通りが近くにあります。地下鉄の広安駅から遠くないため、移動に便利であります。
12.5Km 2024-09-23
慶尚南道 金海市 駕洛路 190番キル 1
+82-55-338-1330
金首露(キム・スロ)王の王妃・許黄玉(ホ・ファンオク)の墓、首露王妃陵
首露王妃陵は慶尚南道(キョンサンナムド)金海市(キメシ)亀山洞(クサンドン)にある伽倻時代の陵で、駕洛国(カラック)の始祖・金首露(キム・スロ)の王妃である許黄玉(ホ・ファンオク)の王妃陵(国家史跡)です。
大型の円形土墳で、陵の前面には長大石で築台を築き、陵の前面を除き左右から後方にわたる陵の周囲にはやや陵から距離を置いて低めの石垣を築き、王妃陵を取り囲んでいます。
陵の前には1647(仁祖5)年の修築の際建てた陵碑には「駕洛国首露王妃 普州太后許氏陵」と二行にわたり刻字されています。
陵の敷地内には、崇報斎(スンボジェ)、外三門(ウェサムムン)、内三門(ネサムムン)、陵の前にある赤い色が印象的な赤門・ホンサルムンがあります。
また、通常、平地にある陵とは異なり、この王妃陵は丘のところにあります。陵の前にはインドから持ってきたものと伝えられる婆娑石塔(パサソクタプ)が残されています。
朝鮮時代初期の世宗28(1446)年に首露王陵とともに保護区域が拡大しましたが、壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)の際に盗掘されたという記録があります。
現在の碑石や象石などは仁祖25(1641)年、再び整備を行った際に設けられたといいます。
首露王妃・許黄玉とは
首露王の王妃は名を許黄玉といい、首露王7(西暦48)年に16歳という歳で船に乗り駕洛国に渡来、その後王妃となり、西暦189年にこの世を去ったといいます。現在の陵は朝鮮時代の仁祖19(1641)年に修築され今の姿になりました。
王妃が亡くなる直前に、二人の息子に母の姓である許氏を名乗らせたことから、金海許氏(キメホシ)の始祖となったといいます。
12.5Km 2025-04-18
キョンサンナム道キムヘ市カヤテーマギル254
*天体と宇宙についての不思議を解決してくれる金海天文台*
金海(キメ)天文台は1998年12月、ミレニアム記念事業の一環として、天体と宇宙についての一般の人々の疑問を解消し、将来を担う青少年に夢と希望を与え、人々に浪漫と思い出を分かち合ってもらう目的で事業を推進、2002年2月1日に開館しました。
金海天文台は敷地面積およそ6,600平方メートル、建築面積約1,520平方メートルを誇る2階建ての建物です。天文台の外観は、卵から産まれた駕洛(カラク)国の始祖・首露王(スロワン)をモチーフに楕円形に作られています。
施設は大きく展示棟・観測棟・講義棟に分かれています。
展示棟には天体投影室(プラネタリウム)や展示室があります。天体投影室には直径8メートルの半円形のスクリーンに夜空の星を再現する投射機・天体投影機があります。ここでは季節毎の星座、太陽系の探査など宇宙を理解する上で参考になる教育映像が上映されています。直径20メートルの丸い鉄製の構造物が印象的な展示室には韓国の天文観測の歴史を立体映像で紹介するマジックビジョン、太陽系のそれぞれの惑星で自分の体重を計測することができる重力試験装置をはじめ、10に及ぶ天体教育展示施設があります。観測棟には天体望遠鏡を使って、訪れた人々が自らの目で星を見ることができる施設があります。メインの望遠鏡である大型屈折望遠鏡・反射望遠鏡をはじめ、4つの小さな望遠鏡も設置されています。
* 金海展望台と金首露王の伝説 *
金海天文台の外観を卵に似せたのは、紀元前に金海の地にあったとされる駕洛国の始祖・金首露王(キムスロワン)が卵から産まれたことに由来しています。首露王の王妃・許黄玉(ホ・ファンオク)が船に乗って海の向こうから駕洛国にやってきたことから、星を観測しながら航海をしてきたのではないかと推測されています。
駕洛国の王子が進礼土城の上の一番高いところに夜空の星を見るために瞻星台(チョムソンデ)を築いたという歴史的事実がいまに伝えられており、いまでもこの場所は星を見るところという意味で「ピビダン」と呼ばれています。このようなさまざまな歴史的事実があることから、金海を中心に形成された古代国家・伽倻(カヤ)は星ととても深い関係にあったと思われます。天文台がある盆城山(プンソンサン)の頂上に上ると金海市内の前傾が一望でき、夜は金海市内の美しい夜景を望むことができます。