百済の家(백제의집) - エリア情報 - 韓国旅行情報

百済の家(백제의집)

百済の家(백제의집)

17.7Km    2991     2021-06-30

忠清南道 扶余郡 扶余邑 聖王路248

「百済の家(ペクチェエチプ)」は、長芋と蓮を主な材料とする韓国伝統料理の専門店です。代表的な精進料理として知られている蓮の葉ご飯は、鉄分とビタミンを多く含んでおり、滋養強壮料理としても知られています。体に良い数種類の薬味などをもち米に入れて、心を込めて包み蒸し上げた蓮葉飯は天下一品で、郷土料理に指定されています。

舒川 タルゴゲカラムシ村(서천 달고개모시마을)

17.8Km    22182     2021-02-03

忠清南道 舒川郡 華陽面 華韓路504番キル5
+82-41-950-6380

夕暮れ時、空が段々暗くなり月が徐々に明るくなってくると、なぜ、ここが「タルゴゲ(月の峠)カラムシ村」といわれるのかがわかってきます。何も遮るもののない平らな大地に立ち、全身に月の光を浴び、月明りに酔いしれていると、遠くからマガモの群れの飛び立つ音が聞こえてきます。
カラムシは千年という非常に長い歴史を誇り、その由来も実に神秘的です。百済時代、ある老人が夢枕に立ったことで乾芝山のふもとにカラムシが発見され、その歴史は始まりました。三国時代から発達してきた天然繊維であるカラムシは「トンボの羽」と表現されるほど細く、纎細な織物です。高麗時代には中国・明への貢物、朝鮮時代には献上品とされたほどの逸品です。
韓山カラムシの伝統をいまに受け継ぐこの村には、多くの「カラムシ織技能保有者」がいます。3ヶ所設けられた体験場では、カラムシを採り、紡ぎ、織るといった製作過程を体験することができます。名人の作ったカラムシ織りの服を着てみることもでき、大量生産品との違いを感じることができるでしょう。その他、天然染料を使った染色体験、カラムシを使ったお餅やカルシウム満点のカラムシ茶、カラムシチヂミ、カラムシパン、韓菓などを作るプログラムもあり、子どもから大人まで楽しめます。特に韓菓は、村特産の穀物が使われるため、それだけ手間隙がかかっています。さっと揚げた雑穀をハチミツとからめ、適度な固さになるまで麺棒で平らにのばしカットします。作る楽しさと食べる楽しさ、両方味わうことができるプログラムとなっています。

益山双陵(익산 쌍릉)

益山双陵(익산 쌍릉)

17.8Km    8252     2024-04-08

チョンブク特別自治道イクサン市ソクァン洞

益山双陵(イクサンサンヌン)は全羅北道益山市に位置する墓で、史跡に指定されています。2基の墓が南北に約150メートルの間を空けて位置しており、双陵と呼ばれています。規模が大きく、北側にある陵は「末通大王陵」または「大王墓」と呼ばれており、少し小さめの陵は「小王墓」と呼ばれています。ここに葬られているのは百済の王であった武王とその妃である善花姫であると推測されています。

<双陵の規模>
発掘当時は高さ3.1メートルでしたが、現在は補修され、大王墓は高さ5メートル・直径30メートル、小王墓は高さ3.5メートル・直径24メートルとなっています。

扶余市場(5、10日)/白馬江タルバム夜市(부여장(5, 10일)/백마강달밤야시장)

扶余市場(5、10日)/白馬江タルバム夜市(부여장(5, 10일)/백마강달밤야시장)

17.9Km    16665     2024-05-31

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑ソンワンロ173ボンギル12

全体面積9,693㎡に常設市場が入っており、伝統的に5日市が開かれます(毎月5日、10日、15日、20日、25日、30日 または31日(最終日))。主に穀物類、雑貨類、果物、牛市場、海産物などを扱っており、1日の利用客は2000人ほどです。また金曜日・土曜日の午後6時から11時まで扶余市場広場で白馬江(ペンマガン)タルバム(月夜)夜市が開かれます。大きな扶余市場の建物が北東西を屏風のように囲み、その内側のゆったりとした広場に公演ステージ、フード売場とテーブルが設置されます。白馬江タルバム夜市ではビーフステーキ、天然ウナギ焼き、タコ串、羊肉串、トルティーヤピザ、手作りにんにく粗挽きカルビ焼き、ホタルイカなどバラエティに富んだメニューが楽しめます。

扶余ハヌルナルギ(부여하늘날기)

扶余ハヌルナルギ(부여하늘날기)

17.9Km    0     2024-05-30

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑ソンワンロ173ボンギル12

熱気球の搭乗体験ができる扶余(プヨ)ハヌルナルギでは、係留フライトだけでなく、韓国で唯一、フリーフライトが体験できます。扶余は山が低く、高層ビルがないため、熱気球飛行に最適です。熱気球で白馬江上空を7、8キロメートル飛行しながら、扶余郡や錦江を眺めることができます。

遯岩書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](돈암서원 [유네스코 세계문화유산])

17.9Km    38750     2021-07-30

忠清南道 論山市 連山面 林3キル 26-14

* 金長生を祀る書院、遯岩書院

遯岩書院(トナムソウォン)は、朝鮮時代の仁祖12(1634)年、現在建てられている場所から1.5キロメートル離れた里山に建てられました。
遯岩書院は 顕宗(ヒョンジョン)元(1660)年、王から扁額を下賜を受け、賜額書院となりました。しかし、立地している場所が低地にあり洪水になると水が庭まであふれてくることから、高宗17(1880)年、現在の場所である林里(イムニ)74番地(書院村)へ移築されました。
また遯岩書院は 高宗3(1865)年に行われた書院撤廃令の対象からも外れるほどの書院でした。3間の幅がある高柱の大門・入徳門(イットッムン)を入ると、正面に養性堂(ヤンソンダン)、左手に凝道堂(ウンドダン)があり、養性堂の裏手には祠宇(祠堂)があり、この他敷地内には蔵板閣(チャンパンガク)、静会堂(チョンフェダン)、山仰楼(サンアンヌ)の建物があります。
遯岩書院では地元の儒林らが毎年陰暦2月と8月中旬ごろの中丁の日に祭祀を執り行っています。
祠堂の建物の前面には1間分の広さを確保し建物の内部に食い込むような形で作られた玄関口のようなスペース・前退(チョンテ)があり、床材には瓦のように焼いた瓦板が使われています。祠堂の建物内部は井桁に組んだ板の間となっています。正面の柱の間には四枚で構成された引き戸がつけられており、建物両脇と後方の壁は漆喰壁となっています。
軒の端の重さを支えるため柱の上部に取り付ける木組・栱包(コンポ)は、二翼工外出目と呼ばれる木組の工法と同様の手法で組まれています。柱と梁が交わる隅の部分に取り付ける梁奉(ヤンボン)は伝統的な姿となっており、 柱の上部を左右につなげる木材・昌坊(チャンバン)の上に設けられた華盤型の草刻盤は柱の間に1つずつあります。
屋根の架構は退高柱を立て、退梁と大梁を掛けわたす木材は海老のように曲がったものを使います。大梁の上に一種の包台工を取り付け、退高柱とともに宗梁を支え、そのさらに上の宗梁に波蓮台工を置き、建物最上部にある上梁を支えます。
祠宇(サウ=祠堂)には朝鮮時代中期の思想家・金長生(キム・チャンソン)を主享とし同時期の文臣3人、金集(キム・チプ)、宋浚吉(ソン・ジュンギル)、宋時烈(ソン・シヨル) 先生の合わせて4人のみを文廟に祀る他ではあまり見受けられない昔の賢人を祀る先正書院です。
遯岩書院の碑文によれば、部屋、板の間、縁側、 行廊がある凝道堂があったといい、凝道堂の左手に居敬斎(コギョンジェ)、右手に精斎(チョンイジェ)がありましたが、建設当時の原型のままで残っておらず、当時どのような建物であったのか察することができないのが残念な点です。


* 遯岩書院の意義と評価

光山金氏は連山地域で代々暮らし、多くの人材を輩出してきた湖西(ホソ)地方の名門士族の一族です。
このような理由から遯岩書院は西人-老論系を代表する書院で、1871年書院毀撤令の際にも潰されず残され、今日に至っています。特に金長生が他界した後、弟子や文人らが作った遯岩書院冊版などさまざまな資料が残されています。
このように遯岩書院は、湖西(ホソ)地方(現在の忠清道)をはじめ畿湖(キホ)地域(現在の京畿道・黄海道南部・忠清南道北部)で尊崇される書院として、金長生を祀る書院の中で最も重みがあり影響力のある書院として知られています。
現在に至るまで良い状態で保存・管理がされ、地元の歴史を研究する郷土史料としても保存的価値が高い書院となっています。
加えて、湖西地方の人々の動向を研究する上で素晴らしい史料でもあり、また当時の実力者・金長生の影響力を知ることができるのもこの遯岩書院です。

* 所有 - 光山金氏宗中

国家遺産メディアアート扶余(국가유산 미디어아트 부여)

国家遺産メディアアート扶余(국가유산 미디어아트 부여)

17.9Km    0     2024-08-23

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑プソロ13
+82-41-837-1722

国家遺産メディアアート扶余(プヨ)で開催される「泗沘演戯(サビヨンヒ)」は、泗沘遷都を行った聖王(ソンワン)が、遷都を記念して百済の強さを知らせるために開いた祝宴の当日の様子を物語にしたもので、メディアアートで演出されます。

落花岩(낙화암)

落花岩(낙화암)

18.0Km    18531     2022-05-11

忠清南道 扶余郡 扶余邑 聖王路247-9

扶余の白馬江を見下ろすように高くそびえたっている岩の絶壁が落花岩(ナックァアム)です。落花岩は百済が新羅と唐の連合軍に陥落した時、百済の三千宮女がまるで一片の葉のように白馬江の下に身を投げたという伝説で有名な場所です。落花岩は、この伝説のように女性の貞節を命よりも大切にしていた女性達の精神がにじみ出ている場所です。この岩石の上に1929年、この地域の郡守だった洪漢杓が百花亭という東屋を建てました。絶壁の下には「落花岩」という文字が刻まれていますが、これは朝鮮時代の偉大な学者だった宋時烈先生が書いたものです。

官北里遺跡と扶蘇山城[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](관북리유적과 부소산성 [유네스코 세계유산])

18.0Km    23053     2024-04-22

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クア里、クァンブク里

官北里(クァンブンリ)遺跡と扶蘇(プソ)山城は、百済が538年から660年まで首都にしていたとされる遺跡です。官北里遺跡は平時に王が居住して統治していた王宮で、扶蘇山城は戦争に備えて防御壁としての機能を果たしていました。多くの百済遺跡が発掘されたこの地域には泗沘(サビ)都城仮想体験館があり、案内サービスも提供されています。

クドゥレトルサンバプ(구드래돌쌈밥)

18.2Km    14893     2024-03-28

チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑ナルトロ31

クドゥレトルサンバプ、かつて百済の都だった扶余(プヨ)のクットゥレ飲食店通りにある韓国料理店で、看板メニューは石釜で炊いた美味しいご飯を色々なおかずと一緒に野菜で包んで食べる「野菜包み石釜飯」です。薬草など様々な包み野菜が提供されるヘルシーな料理です。