2.9Km 2024-02-15
ソウル特別市ソンブク区トンソムンロ37
小雪園・書架(ソソルォン・ソガ)は、大学路周辺にあるカフェで、雪の降る小さな庭という意味を持っています。5階建てで、各階の雰囲気が異なるので、見て回る楽しみがあります。シグネチャーメニューは濃厚な原乳のコクのある風味を楽しむことができ、柔らかな食感が特徴のミルクプリンです。脂っこくないクリームとマシュマロが入った黒糖アインシュペーナーも人気です。周辺の観光スポットには、マロニエ公園、ドリームアートセンターがあります。
2.9Km 2025-04-07
ソウル特別市チョンノ区チャンウィムンロ42
ソウル漢陽都城(ハニャンドソン)は北岳山を主山とし、仁王山、駱山、南山につながる18.6kmのソウル城郭に沿ってを歩き、そこに込められた歴史や文化、生態に触れることのできる都心のトレッキングコースです。4つのコースに分かれ、1コース白岳区間(彰義門~恵化門)、2コース駱山区間(恵化門~光熙門)、3コース南山区間(光熙門~崇礼門)、4コース仁王山区間(崇礼門~彰義門)があります。興仁之門管理所、敦義門博物館村(村案内所)、マルバウィ案内所、崇礼門警戒所でスタンプを押すことができ、4つのスタンプを全て集めれば完走記念バッジがもらえます。
2.9Km 2025-03-15
ソウル特別市ソンブク区ソンジャムロ5ギル68
ソンブク(城北)洞の住宅街は、昔の趣を感じられる地域で、城郭を挟んでいる城北洞の古宅と北村韓屋村をつなぐ道です。吉祥寺(キルサンサ)や正法寺(チョンボプサ)、尋牛荘(シムジャン)、李泰俊(イ・テジュン)の古宅などの歴史的な場所や伝統茶屋の寿硯山房(スヨンサンバン)、城北(ソンブク)区立美術館など、さまざまな文化空間が点在している。
◎ 韓流旅行情報-『パラサイト 半地下の家族』
高額の家庭教師をするために、高級住宅街にあるパク社長の家を訪ねていくシーンは、ソンブク(城北)洞の住宅街で撮影されました。昔ながらの高級住宅街であるソンブク(城北)洞は、静かな通りに高級邸宅が並んでいます。所々にきれいなカフェやギャラリーがあるので、ゆっくり散策するにも良いところです。パク社長の家は映画のセットだったため、残念ながら撮影後に撤去されました。
2.9Km 2025-05-30
ソウル特別市チョンノ区イヌァンサンロ172
仁王山(イヌァンサン)deosup chosochaekbang(ドスプチョソチェクパン/ザ森哨所本屋)は、仁王山の麓にあった警察の哨所をリノベーションしてつくられたベーカリーブックカフェです。森の中に自然の一部かのように溶け込む建物で、全面ガラスの窓越しに南山(ナムサン)タワーが一望でき、2階のテラスからはソウルの風景が眺望できます。毎日焼く自家製パンとスイーツを味わうことができ、ブックトークや音楽会も頻繁に開催されます。
3.0Km 2024-12-10
ソウル特別市チョンノ区トンイルロ16ギル4-1
文化体育観光部と韓国観光公社が選んだ「ウェルネスツーリズム25選」に選定されたオリヴァインスパは、都心の中にあるラグジュアリースパとビューティ&スリミングセンターを運営しています。また、オリヴィウム産後ケアセンターやセラン病院と提携し、専門的な産前・産後マッサージや体形管理、多彩なビューティープログラムを提供しています。スパでは業界トップレベルのセラピストによるマッサージで日常生活で溜まった疲れや老廃物を取り除き、バランスの取れたヘルシーなボディメイクをサポートしており、顧客満足度が高いです。また、スイスの高級ブランド、Les Nouvels AromaやDarphinなどの海外ブランドも導入し、ケアに取り入れています。ビューティ&スリミングセンターでは、セラン病院の医療スタッフと連携し、顧客一人一人に合わせたコンサルティングやビューティ関連の豊富なメディカルプログラムを提供しています。
3.0Km 2021-03-18
ソウル特別市 中区 蘭渓路 179
+82-2-2236-3382
ソウル特別市シンダン駅の近くに位置した海鮮鍋専門店です。おすすめは鶏肉入り海鮮鍋です。海鮮鍋と蒸し料理が有名なお店です。
3.0Km 2020-07-10
ソウル特別市 城北区 大使館路 1
粛靖門(スクチョンムン)は北岳山(プガクサン)東の麓の外れにあるソウル城郭の北大門としての役割を果たす門です。名称には「厳粛に政をおこなう」という意味の「粛靖門」という名前が付けられています。
太祖5(1396)年に竣工し当初は今の位置よりやや西寄りにありましたが、燕山君10(1504)年に城郭の補修を行なった際、現在の位置に移したと伝えられています。
粛靖門は元々、一般人の出入りのために建てられた門ではなく、ソウル城郭の東西南北に置かれた四大門に格式を持たせ、かつ非常時に利用する門として造られました。そのため平時は閉鎖されているため、粛靖門を通る大きな道はありませんでした。
1976年、北岳山一帯の城郭を復元する際、門楼を造り「粛靖門」という扁額を掲げました。