3.9Km 0 2024-02-22
ソウル特別市マポ区セチャンロ6
1977年創業の麻浦(マポ)ヤンジソルロンタンの看板メニューはソルロンタンで、肉の臭みが少ない透明感のあるスープが特徴です。じっくり煮込んでコクのある骨のスープと牛むね肉の甘味が調和し、温めた土鍋に入った熱々のご飯が付きます。ネジャンタン、牛テールスープ、牛足スープ、牛の膝軟骨スープもあります。
3.9Km 7981 2024-02-23
ソウル特別市ソンドン区クムホ洞4ガ1540
「鷹峰山(ウンボンサン)」はソウル特別市にある標高94メートルの山です。山の頂上には八角亭があり、漢江を一望することができます。また、レンギョウの名所でもあり、4月頃レンギョウ祭りが開催されます。
3.9Km 25019 2021-03-09
ソウル特別市 鐘路区 彰義門路5街キル46
+82-2-395-3222
鐘路区付岩洞に位置する「紫霞(チャハ)美術館(Zaha Museum)」は2008年に開館したソウルで最も高いところにあるギャラリーです。展示室は1階と2階にあり、2階からは素晴らしい景観を見渡すことができます。
3.9Km 27226 2021-12-24
ソウル特別市 麻浦区 大興路20キル 28
2008年に開館した麻浦アートセンターは、弘大、新村、西江大など大学街に囲まれた新しい複合文化芸術空間です。
特に麻浦アートセンターで運営されている「アートホールMAC」は素晴らしい建築美の総合公演場で華麗な外観はもちろんのこと公演場内部もさまざまなジャンルの公演を快適に鑑賞できるよう工夫されています。
また、人形劇、独奏会、子どもたちの公演など小規模な公演場「プレイMAC」、展示作品を鑑賞するだけでなく体験型プログラムも楽しめる空間「ギャラリーMAC」、アカデミーやプール、体育館、フィットネス、ゴルフ練習場を兼ね備えたスポーツ施設も併設されています。
この他、更衣室、多目的ホール、練習室、幼児向けのプレイルーム、ハヌル公園などの附帯・便宜施設もあります。
4.0Km 10790 2021-04-09
ソウル特別市 鐘路区 彰義門路118
「彰義門(チャンイムン)」は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。
城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。
彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。
彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。
時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。
4.0Km 133 2021-04-06
ソウル特別市 城東区 マジャンロ196
+82-2-2293-8866
57年伝統の韓牛ロースが味わえる名店です。ソウル特別市のソンドン区に位置した韓食専門店です。代表的なメニューはロースです。
4.0Km 18178 2020-07-10
ソウル特別市 城北区 大使館路 1
粛靖門(スクチョンムン)は北岳山(プガクサン)東の麓の外れにあるソウル城郭の北大門としての役割を果たす門です。名称には「厳粛に政をおこなう」という意味の「粛靖門」という名前が付けられています。
太祖5(1396)年に竣工し当初は今の位置よりやや西寄りにありましたが、燕山君10(1504)年に城郭の補修を行なった際、現在の位置に移したと伝えられています。
粛靖門は元々、一般人の出入りのために建てられた門ではなく、ソウル城郭の東西南北に置かれた四大門に格式を持たせ、かつ非常時に利用する門として造られました。そのため平時は閉鎖されているため、粛靖門を通る大きな道はありませんでした。
1976年、北岳山一帯の城郭を復元する際、門楼を造り「粛靖門」という扁額を掲げました。
4.0Km 51069 2024-03-05
ソウル特別市チョンノ区チョンウン洞
+82-2-765-0297
北岳山(プガクサン)はソウルの北に位置する景福宮(キョンボックン)と青瓦台(チョンワデ)の後ろに見える山です。漢陽(ハニャン)都城は北岳山の尾根をつないで築かれ、城壁がよく保存されています。いくつかの探訪路が漢陽都城に沿って整備されており、夜間の探訪もできます。彰義門(チャンイムン)から貞陵(チョンヌン)へと続くドライブコース「北岳(プガク)スカイウェイ」があり、北岳八角亭からはソウルの市街地が一望できます。