La Fleur(라플레르) - エリア情報 - 韓国旅行情報

La Fleur(라플레르)

La Fleur(라플레르)

15.3 Km    0     2024-02-28

キョンサンブク道キョンジュ市アルチョンブクロ421-11

La Fleur(ラ・フルール)は世界文化遺産、皇龍寺(ファンニョンサ)の近くにある韓屋カフェです。飲み物のほかにビビンバなどの簡単な食事もでき、アボカド入り明太子ビビンバがシグネチャーメニューです。様々な樹木や小物を配置してよく手入れされた庭園が美しく、店内にも植木鉢や小物がたくさんあります。

慶州南山弥勒谷石造如来座像(경주 남산 미륵곡 석조여래좌상)

15.4 Km    19142     2016-12-22

慶尚北道 慶州市 排盤洞

新羅時代の菩提寺址と推定される場所に残っている全体の高さが4.36m、仏像の高さが2.44mの石仏座像で現在慶州南山にある新羅時代の石仏の中で最も完璧に保存されています。

菩提寺(慶州)(보리사(경주))

菩提寺(慶州)(보리사(경주))

15.4 Km    19295     2016-12-22

慶尚北道 慶州市 ケッマルキル 41-30
+82-54-748-0794

菩提寺は慶尚北道慶州市排番洞山66番地、慶州市南山の麓にある大韓仏教曹渓宗第11教区の本寺である仏国寺の末寺です。花郎橋を渡ってタプコル入口から約400m南に行くとケッマウルがあります。ここはかつて船着場でした。現在は林業試験場があり、村全体が青々としており、この後方に渓谷があります。畑道の横を通り、尾根筋に沿って上っていくと頂上に近いなだらかな場所に比丘尼が修道する菩提寺があります。近年になって造られた大雄殿と山神閣、鐘閣がありますが、この建物は現在の南山に現存する伽藍の中で一番規模が大きいものです。三国史記によると新羅第49代憲康王の陵と50代定康王の陵が菩提寺の東南にあったとしており、この寺は2基の王陵の北西に位置していることで新羅時代から菩提寺と呼ばれていたことを知ることができます。この寺には統一新羅時代後半の石仏を代表する有名な石仏如来座像があり、菩提寺の前から南方に松林を35mほど登っていくと傾斜の激しいと場所に磨崖仏があります。

寿石亭(수석정)

寿石亭(수석정)

15.4 Km    22832     2024-02-23

キョンサンブク道キョンジュ市ネリギル41
054-748-0835

寿石亭(スソクチョン)は、国立慶州(キョンジュ)博物館から10分のところにあり、見た目もきれいな韓定食が味わえるお店です。看板メニューは粗挽きカルビ焼き定食です。真鍮製の器に盛られた温かいおこげ湯から始まり、アワビ粥、粗挽きカルビ焼き、宮中チャプチェなど、丁寧に作られた料理が楽しめます。食後には、ドライフルーツとスジョングァ(桂皮を煎じたお茶に蜂蜜を入れた飲み物)が提供されます。周辺の観光スポットには、慶州陵只塔(ヌンジタプ)址、慶州南山塔谷(ナムサンタプコク)摩崖仏像群、慶州南山弥勒谷(ミルッコク)石仏座像があります。

慶州南山(경주 남산)

慶州南山(경주 남산)

16.1 Km    28405     2024-02-27

キョンサンブク道キョンジュ市ナムサン洞、ペ洞

慶州(キョンジュ)南山(ナムサン)は、慶州市街地の南にそびえ立つ標高466メートルの山です。慶州は新羅王朝(起源前57~起源後935)が最初から最後まで都にしていた年です。新羅人たちは都に立つこの山を神聖化して多くの痕跡を残し、今でも数多くの文化財が残されています。そのため、この山では登山と共に文化財を観賞することができます。

芬皇寺(분황사)

16.1 Km    18031     2024-02-29

キョンサンブク道キョンジュ市プンファンロ94-11

芬皇寺(プンファンサ)は、慶州(キョンジュ)の皇龍寺遺跡の隣にある新羅時代の仏教寺院で、634年に創建されました。国宝として指定された模塼石塔、有形文化財として登録された和諍国師碑趺などの文化財を見ることができます。歴史が古く規模の大きなお寺でしたが、モンゴルの侵略と壬辰倭乱(文禄・慶長の役)などの戦争でほとんどが流失され、普光殿(ポグァンジョン)などいくつかの建物とお寺の跡地だけが残されています。近くに皇龍寺歴史文化館があります。

聖徳大王神鐘(성덕대왕신종)

16.3 Km    27068     2020-04-04

慶尚北道 慶州市 日精路 186
+82-54-740-7500

聖徳大王神鐘(ソンドクテワンシンジョン)韓国に残る最も大きい梵鐘で高さ3.75メートル、口径2.27メートル、厚さ11センチメートルから25センチメートルを誇ります。重さは1997年に国立慶州博物館が精密実測した結果、18.9トンであることが確認されました。
新羅時代、景徳王(キョンドクワン・在位 742~765年)が父に当たる成徳王(ソンドクワン・在位 702~737年)の功徳を広く知らしめるため鐘の制作を試みましたが、その意を叶えることはできず、その跡を引き継いだ恵恭王(ヘゴンワン・在位 765~780年)が771年にようやく完成させ、聖徳大王神鐘と命名しました。
この鐘は当初、鳳徳寺(ポンドクサ)に吊るされていたことから鳳徳寺鐘と呼ばれていましたが、子供を鐘の鋳造時に溶かし入れたという人柱伝説があり、母親を呼ぶ子供のなき声に似た鐘の響きがあることから、その鳴き声になぞらえてエミレの鐘とも言われています。

鐘の最も上部には鐘の響きを反響させる音筒がありますが、これは韓国の銅鐘でのみ見られる独特な構造です。
鐘を吊り下げるために作られた環状になっている龍頭の部分は、龍の頭が彫刻されています。
鐘身には上下それぞれに幅広の帯状の模様があり、その中に花の文様を刻み込んであります。
さらに鐘の肩の部分の下には4ヶ所に蓮の花の模様や突出して作られた九つの乳頭を四角形の乳郭が取り囲んでいます。その乳郭の下の方には飛天像が2対描かれ、その間には鐘を突く部分・撞座が蓮の花の模様で作られています。
また鐘身の2か所にはこの鐘の来歴が刻まれています。
中でもこの鐘が特徴的なのは、鐘の下の開口部の縁のところどころが菱形の角のように尖った、他にはない形態をしている点です。
聖徳大王神鐘は統一新羅の芸術が各分野にわたり全盛期を迎えた時代に作られた鐘で、華麗な文様や彫刻技法はその時代を代表するものと言えます。
また鐘の側面に残っているおよそ千字余りの銘文は文章のみならず、その鐘に刻む手法そのものも秀でたものであり、およそ1300年が過ぎた今日でも欠けることなく現世に伝えられており、未来永劫伝承すべき文化財となっています。

慶州 皇龍寺址(경주 황룡사지)

慶州 皇龍寺址(경주 황룡사지)

16.3 Km    17430     2021-08-18

慶尚北道 慶州市 臨海路64-19

「皇龍寺址(ファンリョンサジ)」は慶州市九黄(クファン)洞に位置しており、芬皇寺の前に広がる広大な敷地に残されている遺跡です。
ここは新羅最大の寺院であり、護国の大寺刹として古新羅の仏教文化の精髄が見られる由緒深い寺刹址です。善徳女王がこの地に塔を建ててから23年後、新羅は三国統一し、このことから多くの人々が「新羅の三国統一はこの塔の霊験である」と歴史書に記録しています。かつて新羅三宝と呼ばれる宝物のうちの2つである金堂三尊丈六像、九層木塔が皇龍寺に所蔵されており、また新羅最大の鐘も置かれていましたが、蒙古軍の侵攻によって失ってしまいました。皇龍寺は慈蔵や元曉などの新羅時代の最高の高僧たちが説法を説いた場所で、真興、真平、善徳、憲康、真聖女王などの帝王たちが自ら彼らの説法を聞くために訪れました。1969年7月にこの地を発掘調査した際、金堂、講堂、塔地が発掘されたことをはじめとし、1976年3月から8年間に渡る発掘作業により独特の配置を持つ一塔三金堂式だったことが明らかになり、4万点余りの遺物が出土しました。この際、建物の基礎となる土台をはじめとする下部構造は確認されましたが、建物の上部家具材は正確に考証することができないため、建物全体の復元には至っておらず、土台部分だけが復元されました。発掘された遺跡地から現れた寺院の総面積は8,800坪に至り、これは仏国寺の約8倍の広さに相当します。現在、皇龍寺址は史跡第6号に指定されています。

国立慶州博物館(국립경주박물관)

国立慶州博物館(국립경주박물관)

16.3 Km    37314     2022-11-03

キョンサンブク道キョンジュ市イルジョンロ186

新羅千年の首都、慶州(キョンジュ)に位置する国立慶州博物館は新羅の文化遺産を一目で見ることのできる韓国を代表する博物館で、千年王国新羅の成長と輝かしい美術文化、国宝や宝物などに出会えるところです。国立慶州博物館は60年以上の伝統を持つ慶州子ども博物館学校をはじめとするさまざまな教育プログラムを運営し、子ども博物館も設けられています。またTEO YANG STUDIOのデザイナー、ヤン・テオ氏によってリニューアルされた新羅歴史館と新羅美術館のロビーが訪れる人々の目を引きます。

慶州 南山 神仙庵磨崖菩薩半跏像(경주 남산 신선암 마애보살반가상)

慶州 南山 神仙庵磨崖菩薩半跏像(경주 남산 신선암 마애보살반가상)

16.3 Km    25428     2021-07-26

慶尚北道 慶州市 南山洞

慶州の南山は遺物、遺跡の宝庫と言えます。ここに行くと三国時代から統一新羅後期までの仏像すべてを見ることができます。そのうちのひとつ磨崖菩薩半跏像は高さ1.4メートルで七仏庵の上にまっすぐに立っている南側の岩に刻まれています。まるで雲の上に座っているかのように見えます。頭に三面宝冠をかぶっていて菩薩像であることがわかります。表情が豊満で目をそっと閉じて考え深い姿で雲の上の世界から衆生を見ているようです。右手には花を持っていて、左手を胸元まであげて説法する様子を表現しています。天衣はとても薄く、身体の屈曲が見えて衣服のすそは台座を覆っています。統一新羅時代8世紀後半の作品であるとみられています。