迎日台海水浴場(영일대해수욕장) - エリア情報 - 韓国旅行情報

迎日台海水浴場(영일대해수욕장)

14.6 Km    26259     2023-01-02

キョンサンブク道ポハン市プッ区ヘアンロ95

迎日台(ヨンイルデ)海水浴場は、全長1,750メートル、波打ち際からの砂浜の幅40メートルから70メートル、総面積406,613.4平方メートル(123,000坪)の海水浴場で、東海(トンへ)沿岸の海水浴場でも最も大きな規模を誇ります。
また、近くには松島(ソンド)海水浴場などもあり、浦項(ポハン)を代表する海水浴場としても有名で、家族連れの夏のバカンスにおすすめです。
浦項市内にあり、中心部からのアクセスもよく、宿泊施設も数多くあることから、大変便利な海水浴場です。また浦項の港に近いことから新鮮な海産物も多く、刺身なども味わうことができます。

浦項国際光祭り(포항국제불빛축제)

浦項国際光祭り(포항국제불빛축제)

14.6 Km    22469     2024-06-05

キョンサンブク道ポハン市プク区トゥホ洞 685-1 迎日台海水浴場
+82-54-289-7852

「火と光の都市」浦項(ポハン)で開かれる代表的な文化観光祭りであり、全国3大花火大会である「浦項国際光祭り」はPOSCOの夜景と東海岸の風景を背景に、国内外の有名花火チームが参加する国際花火ショーで幻想的な光ファンタジーを提供します。
※2023-2024韓国訪問の年「K-カルチャー観光イベント100選」選出  

イベント内容
1. メインプログラム:国際花火ショー、光ドローンショー、開幕式
2. テーマプログラム:国際花火コンテスト、ストリートパレード
3. 体験プログラム:光体験ゾーン、ポァンレストラン、光テーマゾーン、農特産物市場

慶州 石窟庵[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](경주 석굴암 [유네스코 세계문화유산])

14.7 Km    68491     2023-08-24

キョンサンブク道キョンジュ市プルグンロ873-243

国宝・石窟庵(ソックラム)は新羅・景徳王10(751)年、当時の宰相であった金大城(キム・デソン)が創建したと伝えられています。
仏国寺から稜線伝いに約3km、迂回路の一般道・仏国路経由で約9kmのところにある石窟庵。
その構造は方形と円形、直線と曲線、平面と球面が調和をなし、特に菩薩像や弟子像など周囲の壁に彫刻された現存する38の仏像はいずれも傑作です。石窟庵はこのような全体の調和を通じ高度な哲学を持ちつつ、同時に科学的な構造をも持ち合わせています。
石窟庵の中央には白色の花崗岩でできた如来坐像本尊仏が鎮座しており、本尊仏の視線は東海の海の方へと向いています。
その訳は、如来坐像が臨む視線の先に慶州市陽北面(ヤンブクミョン)奉吉里(ポンギルリ)にある文武王(ムンムワン)水中王陵、別名・大王岩(テワンアム)があるからなのです。大王岩の近くには文武王ゆかりの感恩寺(カムンサ)址や利見台(イギョンデ)などの史跡があります。
仏国寺・石窟庵は1995年12月6日、海印寺の八万大蔵経や宗廟とともにユネスコ世界文化遺産に正式に登録され、大切に保護されている史跡です。

*吐含山(トハムサン・標高745m)は新羅の人々の魂が宿る霊山で、別名・東岳とも呼ばれています。新羅五名山のひとつとして数えられ、古の時代より仏教の聖地として知られているこの山は、山全体がひとつの遺跡のようになっており、無数の遺跡が点在しています。また山は松やクヌギの森に覆われ、森深い山となっています。
仏国寺から東の方へ山道を歩いていくと、石窟庵が目の前に現れます。この仏国寺から石窟庵につづく山道は、山の中腹を縫うように走る車道ができるまでは唯一の道だったところで、多くの観光客が登っていった山道でした。1960年代以前には修学旅行でやってきた児童・生徒らの姿がこの山道でよく見受けられました。吐含山という名称はこの山が海の近くにあることから霧がよく立ちこめる場所で、山が海側から移流する霧を飲み込み吐き出す姿を表現し付けられたものと言われています。

*石窟庵の日の出*
石窟庵から臨む東海(トンへ)の水平線に昇る日の出。はるか向こうの水平線に真っ赤な太陽が昇り、赤く染まる空と海が絶景です。
石窟庵で日の出を拝んだ後は、吐含山から東海方面へ向う1998年開通した石獐路(ソクチャンノ)を経由して、海辺の町・甘浦(カムポ)や陽北の海岸方面へ向かってみましょう。ここでは韓国でも指折りの綺麗な海で獲れる海の幸を楽しむことができ、また感恩寺址や文武王陵などの史跡地も数多くあり、観光スポットとしてもおすすめです。
慶州中心部へのお戻りの際には民俗工芸村でショッピングもかねて観光したり、普門(ポムン)観光団地に立ち寄るのもおすすめです。

[事後免税店] Olive Young・ポハンドゥホ(浦項斗湖)店(올리브영 포항두호점)

14.9 Km    0     2024-06-27

キョンサンブク道ポハン市プク区トゥホロ24

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明洞カルグクス(명동칼국수)

15.3 Km    19222     2024-02-28

キョンサンブク道キョンジュ市ヨンダムロ46-4

明洞(ミョンドン)カルグクスは慶州(キョンジュ)隍城(ファンソン)公園の近くにあるカルグクス専門店です。コシのある麺と濃厚ないりこだしのスープが特徴で、カルグクス、海鮮カルグクス、餃子の寄せ鍋などがあります。食後に慶州市民運動場や芸術の殿堂、ピンヌリ庭園などを見て回ることができ、新羅の文化・歴史遺跡が多い地域です。

芬皇寺(분황사)

15.3 Km    18031     2024-02-29

キョンサンブク道キョンジュ市プンファンロ94-11

芬皇寺(プンファンサ)は、慶州(キョンジュ)の皇龍寺遺跡の隣にある新羅時代の仏教寺院で、634年に創建されました。国宝として指定された模塼石塔、有形文化財として登録された和諍国師碑趺などの文化財を見ることができます。歴史が古く規模の大きなお寺でしたが、モンゴルの侵略と壬辰倭乱(文禄・慶長の役)などの戦争でほとんどが流失され、普光殿(ポグァンジョン)などいくつかの建物とお寺の跡地だけが残されています。近くに皇龍寺歴史文化館があります。

ファニョ刺身屋(환여횟집)

ファニョ刺身屋(환여횟집)

15.4 Km    20105     2024-02-13

キョンサンブク道ポハン市プク区ヘアンロ189-1
054-251-8847

浦項迎日台(ポハン・ヨンイルデ)展望台の近くにある刺身のお店です。看板メニューは刺身入り冷やし素麺で、氷とコチュジャンのタレ、刺身、素麺を混ぜて食べると食欲が出ます。刺身入り冷やし素麺を注文すると一緒に出てくる辛味スープもピリッと辛くてさっぱりしており、人気を集めています。他に刺身丼、アワビ粥なども人気があります。

慶州 仏国寺[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](경주 불국사 [유네스코 세계문화유산])

15.6 Km    99455     2023-10-13

キョンサンブク道キョンジュ市プルグンロ385

「雲を飲み込み、そして吐き出す」という名称のついた山・吐含山(トハムサン・標高745メートル)の中腹に位置する仏国寺(プルグクサ)と石窟庵(ソックラム)は、きらびやかな新羅の仏教文化の中心をなす史跡です。新羅・法興王15(528)年に、新羅の法興王が母・迎帝夫人の意に従い、国や人々の安寧を願い建立しました。その後も重建を重ね、新羅・景徳王10(751)年には、金大城(キム・デソン)の手により大幅な改修を行い塔や石橋などを造ったといわれています。しかしながらが壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)により建物のみならず、貴重な宝物などほとんどが焼失、あるいは略奪されてしまいました。1920年までは一部の建物と塔だけが荒れ果てた状態で放置されていましたが、元来の姿に戻すべくたゆまない復旧作業の甲斐もあり、国宝7点を所蔵する今日のような韓国を代表する名刹の姿となりました。
仏国寺から尾根伝いに約3キロメートル(舗装道路である石窟路経由ではおよそ9キロメートル)ほど進むと、東海(トンへ)の海原の方に向いて鎮座している如来坐像の本尊仏がある石窟庵(ソックラム)にたどり着きます。仏国寺と石窟庵は1995年12月6日に海印寺(ヘインサ)の八万大蔵経や宗廟(チョンミョ)とともに、世界文化遺産に正式に登録され、国際的にもよく知られる史跡になりました。

主要文化財(国宝)
多宝塔
仏国寺3層石塔
青雲橋、白雲橋
石窟庵
金銅毘盧遮那仏坐像
金銅阿弥陀如来坐像
蓮華橋、七宝橋

隍城公園(황성공원)

15.6 Km    28363     2024-02-23

キョンサンブク道キョンジュ市ウォンファロ431-12

隍城(ファンソン)公園は、慶州(キョンジュ)市立図書館と慶州室内体育館の近くにある公園です。公園内には立派な松と樹齢数百年の古木が鬱蒼と生い茂って森を形成しています。夏にはヤブラン群生地が、秋にはケヤキ、クヌギの古木が色づき、自然の絶景が広がります。さらに金庾信(キム・ユシン)将軍の騎馬像、国弓場、シルム場があります。周辺の観光スポットとしては慶州邑城、天馬塚(チョンマチョン)、大陵苑(テルンウォン)、ファンニダンギルがあります。

慶州 皇龍寺址(경주 황룡사지)

慶州 皇龍寺址(경주 황룡사지)

15.7 Km    17430     2021-08-18

慶尚北道 慶州市 臨海路64-19

「皇龍寺址(ファンリョンサジ)」は慶州市九黄(クファン)洞に位置しており、芬皇寺の前に広がる広大な敷地に残されている遺跡です。
ここは新羅最大の寺院であり、護国の大寺刹として古新羅の仏教文化の精髄が見られる由緒深い寺刹址です。善徳女王がこの地に塔を建ててから23年後、新羅は三国統一し、このことから多くの人々が「新羅の三国統一はこの塔の霊験である」と歴史書に記録しています。かつて新羅三宝と呼ばれる宝物のうちの2つである金堂三尊丈六像、九層木塔が皇龍寺に所蔵されており、また新羅最大の鐘も置かれていましたが、蒙古軍の侵攻によって失ってしまいました。皇龍寺は慈蔵や元曉などの新羅時代の最高の高僧たちが説法を説いた場所で、真興、真平、善徳、憲康、真聖女王などの帝王たちが自ら彼らの説法を聞くために訪れました。1969年7月にこの地を発掘調査した際、金堂、講堂、塔地が発掘されたことをはじめとし、1976年3月から8年間に渡る発掘作業により独特の配置を持つ一塔三金堂式だったことが明らかになり、4万点余りの遺物が出土しました。この際、建物の基礎となる土台をはじめとする下部構造は確認されましたが、建物の上部家具材は正確に考証することができないため、建物全体の復元には至っておらず、土台部分だけが復元されました。発掘された遺跡地から現れた寺院の総面積は8,800坪に至り、これは仏国寺の約8倍の広さに相当します。現在、皇龍寺址は史跡第6号に指定されています。