慶州 鮑石亭址(경주 포석정지) - エリア情報 - 韓国旅行情報

慶州 鮑石亭址(경주 포석정지)

慶州 鮑石亭址(경주 포석정지)

2.2Km    29457     2024-09-25

慶尚北道 慶州市 南山循環路816

谷川のふちの岩の上に位置する「鮑石亭址(ポソクチョンジ/面積7,432平方メートル)」は、1963年1月21日に史跡に指定されました。新羅時代に別宮があった場所で、今では、アワビの形をした石造水路だけが残されています。
石溝の形をした曲がりくねったアワビの貝殻に似ていることから、鮑石亭と名付けられました。鮑石亭は63個の石材で組立られており、大きさは幅35センチメートル、深さ平均26センチメートル、長さが10メートルほどになります。南山渓谷から流れる水を鮑石亭に引いて石の亀を通して流れるようにしたと記録にはありますが、現在は残っていません。
新羅の王がよく君臣や貴族を率いて遊びに来た場所で、石溝に沿って流れる水に杯を浮かべ、その杯が自分の前に来る前に詩を作りながら過ごした場所として知られています。
鮑石亭横の南山の鮑石溪谷は、澄んだ渓谷水が流れており、新羅時代から景観の美しい場所として人々に愛されてきました。現在も樹齢数百年になるケヤキやマツ、竹林が立ち並ぶ壮麗な景色が広がります。

慶州 月城(半月城)(경주 월성(반월성))

慶州 月城(半月城)(경주 월성(반월성))

2.4Km    17377     2021-06-25

慶尚北道 慶州市 仁旺洞

新羅の宮(金城)があった城で、丘の上に土と石を混ぜて半月状に積んで造られた城です。半月状に造られたことから半月城(パンウォルソン)または月城(ウォルソン)と呼ばれています。
韓国の有名な歴史書である『三国遺事』によると、新羅の4代大王・昔脱解は、この地が慶州で一番の明堂(王が臣下の謁見を受ける宮殿)であることを知り、ある貴族からこの地を奪い半月城を築いたといわれています。このことがきっかけで、新羅の第2代大王だった南解王に気に入られ、第4代大王の地位を手に入れたそうです。その後、新羅最後の王である第56代敬順王までの約900年間、この地は新羅を統治した重要な役割を果たしました。今では華麗で荘厳だった宮廷の姿はなく、空き地と化していますが、新羅時代には数多くの建築物が存在していたと伝えられています。

慶州韓屋1番街[韓国観光品質認証](경주한옥1번가[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

慶州韓屋1番街[韓国観光品質認証](경주한옥1번가[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

2.6Km    1073     2023-10-25

キョンサンブクト キョンジュシ チョヌォン1(イル)ギル 20
+82-10-9505-5367

慶州市のチョンウォン村の入り口に位置している「慶州韓屋1番街」は、伝統の美しさを保ちながら、利便性を高めた韓屋ステイであります。客室ごとにトイレとバスルームを備え、共用キッチンで簡単な飲食も可能であります。キッチンとバスルームを一緒に使える一軒家の客室もあります。全客室は高級寝具を備えた韓室で構成されています。きれいに手入れして作った広い庭には、昔の人々の姿を飾った人形と伝統造形物がいくつかあります。雁鴨池、瞻星台、慶州博物館などの周辺観光地からも遠くないです。 

ワダムジョン (와담정)

ワダムジョン (와담정)

2.6Km    1035     2024-08-01

キョンサンブクト キョンジュシ チョヌォン1(イル)ギル 18
+82-54-772-5400、 +82-10-6571-3412

慶州市のチョンウォン村にある「ワダムジョン」は、伝統的な趣と雰囲気を保ちながら、利便性を高めた韓屋のペンションであります。客室ごとに冷暖房施設とトイレ兼用のバスルームを備え、共用キッチンで簡単な炊事が可能であります。キッチンとバスルームを一緒に使える一軒家の客室もあります。広い庭には伝統的な風景を盛り込んだ小さな造形物が設置されています。チェギ蹴り·投壷などの伝統遊び体験ができるし、慶州の歴史遺跡の月城地区、国立慶州博物館などの観光地からも遠くないです。 

慶州 石氷庫(경주 석빙고)

慶州 石氷庫(경주 석빙고)

2.6Km    16010     2023-03-21

キョンサンブク道キョンジュ市イヌァン洞

「石氷庫(ソクピンゴ)」は石で作られた天然の冷蔵庫で、宝物に指定されています。505年に氷を保存したという記録があり、新羅時代のものであると考えられてきましたが、現在の石氷庫は朝鮮時代の1738年に作られたことが分かりました。石氷庫は入口が月城の中にあり、長さ12.27メートル、幅5.76メートル、高さ5.21メートルで、すべて加工された石材でできています。天井はアーチ型で、長方形の石材の3ヶ所に通風のための穴が開けられており、床の中央には排水路があります。

月精橋(월정교)

2.6Km    1053     2023-03-21

キョンサンブク道キョンジュ市キョドン274

月精橋(ウォルジョンギョ)は、慶尚北道(キョンサンプクド)慶州市(キョンジュシ)校洞(キョドン)にある統一新羅時代に架けられた橋です。この橋は朝鮮時代に失われてしまいましたが、2018年4月、韓国国内最大級の木造橋として復元されました。
『三国史記』によれば、この月精橋は、統一新羅時代の760年に造られたと記録されており、慶州月城(ウォルソン)と南山(ナムサン)を結ぶ橋でした。1984年11月26日から1986年9月8日まで、2回にわたって復元工事のための情報収集及び発掘調査を行い、その結果、建設当時の月精橋が木造の橋であったことが初めて判明しました。この調査をもとに復元のための設計図を引き、出来上がった設計図を基に2008年から2013年まで復元工事を実施、全長66.15メートル、幅13メートル、高さ6メートルの橋が復元されました。2016年4月からは橋の両端の2つの門楼の建設が始まり、2018年4月に完成しました。門楼の2階には出土した遺物や橋の建築の歴史を紹介するデジタル展示館があり、月精橋の歴史や復元の過程の映像を見ることができます。慶州市の新羅王京8大核心遺跡復元整備事業のなかで初めて完了した月精橋復元事業は、今後行われる皇龍寺(ファンニョンサ)、新羅王宮、チョクセム地区、新羅坊里制などの復元整備工事の参考になるものとみられます。

鶏林宮 (계림궁)

鶏林宮 (계림궁)

2.7Km    14176     2024-08-01

キョンサンブクト キョンジュシ ポソクロ 932
+82-54-776-8122

「鷄林宮」は、慶州の五陵の向かい側にある韓屋ペンションで、鷄林は新羅時代の慶州金氏の始祖のキム·アルジの誕生説話が込められた森であります。慶州の中心地から少し離れて、ゆったりと泊まれます。庭の横にある小屋2軒は、事前問い合わせが必要で、バーベキューの施設も事前予約が必要であります。伝統釜の火起こし、板跳びなどの伝統文化体験が用意されており、慶州の五陵の散歩も楽しめます。近隣に半月城、瞻星台、大陵苑など周辺観光地があります。 

慶州東宮と月池(경주 동궁과 월지)

2.7Km    47992     2024-02-28

キョンサンブク道キョンジュ市ウォンファロ102

慶州(キョンジュ)東宮と月池は、新羅時代の王宮の別宮があった場所です。他の付属建物と一緒に王子が暮らす東宮として使用され、国の慶事があるときや貴賓をもてなす際に、ここで宴会が開かれたそうです。新羅の敬順王が甄萱に攻め込まれた後、931年に高麗の太祖・王建を招いて差し迫った状況を訴え出、宴会を催した場所でもあります。新羅が三国を統一した後、文武王14年(674年)に大きな池が掘られ、池の真ん中に3つの島と池の北東に12の峰の山が造られ、ここに美しい花や木々を植えて珍しい鳥や動物を飼ったと伝えられています。高麗時代の『三国史記』には臨海殿についての記録だけがあり、池については何の記録もありません。その後、新羅が滅びて高麗時代と朝鮮時代を経てここが廃墟になると、詩人墨客が池を見て「華やかだった王宮は跡形もなくなり、雁と鴨だけが飛び交う」と寂しい詩を詠んだことから、ここが「雁鴨池」と呼ばれるようになったと伝えられています。その後、1980年代に「月池」という文字が刻まれた土器の破片が発掘され、ここが元々は「月の映る池」という意味から「月池」と呼ばれていた事実が確認されたため、「雁鴨池」から「東宮と月池」に名称が変わりました。

瑶石宮(요석궁)

瑶石宮(요석궁)

2.7Km    10410     2022-07-04

キョンサンブク道キョンジュ市キョチョンアンギル19-4

新羅・武烈王の娘・瑤石姫が暮らしていた宮廷跡に、朝鮮時代、慶州の「崔富者」が門を構えたのが、瑶石宮(ヨソックン)です。また、日帝強占期に国を奪われ、鬱憤を慰めあった多くの独立運動家たちが隠れ住んだ場所でもあります。「崔富者」家門の兄弟は、独立運動の先頭に立ち、独立のために資金を援助し、解放後は全ての財産を社会へ還元した事で全国民から尊敬されました。当時、「崔富者」宅を訪れた客人たちが「崔富者」家の伝統家庭料理の素晴らしさを伝え広め、現在も世界各国の大使や歴代大統領、各界の著名人がこの名家に伝わる伝統の家庭料理を堪能するため、瑶石宮を訪れます。

慶州 校村村(경주 교촌마을)

慶州 校村村(경주 교촌마을)

2.7Km    33947     2021-05-25

慶尚北道 慶州市 校村キル 39-2

国家民俗文化財第27号・慶州崔富者宅(キョンジュチェプジャテク)や国家無形文化財第86-3号慶州校洞法酒(ポプチュ)がある校洞(キョドン)村(キョドンマウル)は、12代もの間、万石取りの大地主としての財産を守り、また学問にも力を入れ9代にわたり科挙の予備試験に当たる小科のひとつ覆試(ポクシ)に合格した人に与えられる称号・進士(チンサ)を輩出した慶州(キョンジュ)崔氏一門の魂が宿る場所です。
慶州崔氏一門で家訓のように継承されている原則「官職は進士以上するな、財産は万石以上蓄えるな、過客を手厚くもてなせ、凶作の年には他人の田畑を買ってはならない、崔氏一門の嫁は嫁入り後3年間木綿の服を着なければならない、 四方100里(注:韓国の1里は約400メートル)内で飢え死にする人がないようにせよ」は、真のノブレス・オブリージュがいかなるものであるかと考えさせる内容となっています。
この村は新羅時代の高僧・元暁(ウォニョ)大師との間に薛聡(ソル・チョン=新羅時代を代表する学者)を生んだ新羅29代の王・太宗武烈王(テジョンムヨルワン)の娘・瑤石(ヨソク)公主が暮らした瑤石宮(ヨソックン)があったところだといわれています。近くに新羅の始祖である朴赫居世(パク・ヒョッコセ)の誕生の逸話が残る鶏林(ケリム)や奈勿王陵(ネムルワンヌン)、慶州郷校(キョンジュヒャンギョ)、 新羅の名将・金庾信(キム・ユシン)将軍が暮らした財買井(チェメジョン)があります。