1.6Km 17182 2022-08-16
キョンサンブク道キョンジュ市チュンヒョ2ギル44-7
慶州高速ターミナル横の西川橋を渡ると、右手に金庾信将軍のお墓に行く道が現れます。この道は、春になると黄色いレンギョウや桜が満開となり、ドライブコースとして人気を集めます。この場所は、ソンファ山の峰が東に伸びた壮麗な景色を誇る松の森にあり、他の王陵に負けない華やかさを有しています。お墓は、高さ30メートルにも上る大きな円形をしており、周りには24枚の護石と石の欄干が置かれています。また、護石と欄干の間には石が敷き詰められています。護石は十二支神像が刻まれていますが、王陵を護る守護神は普通、鎧を着ているのに対し、このお墓の十二支神像は平服を着て武器を持った様相をしています。体は正面を向いたまま、顔だけ右を注視した姿が変わっていて、武装をしていないせいか、非常に穏やかに見えるのが特徴です。
1.6Km 22252 2021-05-26
慶尚北道 慶州市 忠孝泉キル66-6
「高句麗(コグリョ)カヌンキル」は、素朴で柔らかな黄土の美しさが感じられる建物で、タコ料理を味わえるお店です。
1.6Km 1035 2024-08-01
キョンサンブクト キョンジュシ チョヌォン1(イル)ギル 18
+82-54-772-5400、 +82-10-6571-3412
慶州市のチョンウォン村にある「ワダムジョン」は、伝統的な趣と雰囲気を保ちながら、利便性を高めた韓屋のペンションであります。客室ごとに冷暖房施設とトイレ兼用のバスルームを備え、共用キッチンで簡単な炊事が可能であります。キッチンとバスルームを一緒に使える一軒家の客室もあります。広い庭には伝統的な風景を盛り込んだ小さな造形物が設置されています。チェギ蹴り·投壷などの伝統遊び体験ができるし、慶州の歴史遺跡の月城地区、国立慶州博物館などの観光地からも遠くないです。
1.6Km 1073 2023-10-25
キョンサンブクト キョンジュシ チョヌォン1(イル)ギル 20
+82-10-9505-5367
慶州市のチョンウォン村の入り口に位置している「慶州韓屋1番街」は、伝統の美しさを保ちながら、利便性を高めた韓屋ステイであります。客室ごとにトイレとバスルームを備え、共用キッチンで簡単な飲食も可能であります。キッチンとバスルームを一緒に使える一軒家の客室もあります。全客室は高級寝具を備えた韓室で構成されています。きれいに手入れして作った広い庭には、昔の人々の姿を飾った人形と伝統造形物がいくつかあります。雁鴨池、瞻星台、慶州博物館などの周辺観光地からも遠くないです。
1.7Km 17377 2021-06-25
慶尚北道 慶州市 仁旺洞
新羅の宮(金城)があった城で、丘の上に土と石を混ぜて半月状に積んで造られた城です。半月状に造られたことから半月城(パンウォルソン)または月城(ウォルソン)と呼ばれています。
韓国の有名な歴史書である『三国遺事』によると、新羅の4代大王・昔脱解は、この地が慶州で一番の明堂(王が臣下の謁見を受ける宮殿)であることを知り、ある貴族からこの地を奪い半月城を築いたといわれています。このことがきっかけで、新羅の第2代大王だった南解王に気に入られ、第4代大王の地位を手に入れたそうです。その後、新羅最後の王である第56代敬順王までの約900年間、この地は新羅を統治した重要な役割を果たしました。今では華麗で荘厳だった宮廷の姿はなく、空き地と化していますが、新羅時代には数多くの建築物が存在していたと伝えられています。
1.7Km 14176 2024-08-01
キョンサンブクト キョンジュシ ポソクロ 932
+82-54-776-8122
「鷄林宮」は、慶州の五陵の向かい側にある韓屋ペンションで、鷄林は新羅時代の慶州金氏の始祖のキム·アルジの誕生説話が込められた森であります。慶州の中心地から少し離れて、ゆったりと泊まれます。庭の横にある小屋2軒は、事前問い合わせが必要で、バーベキューの施設も事前予約が必要であります。伝統釜の火起こし、板跳びなどの伝統文化体験が用意されており、慶州の五陵の散歩も楽しめます。近隣に半月城、瞻星台、大陵苑など周辺観光地があります。
1.8Km 47992 2024-02-28
キョンサンブク道キョンジュ市ウォンファロ102
慶州(キョンジュ)東宮と月池は、新羅時代の王宮の別宮があった場所です。他の付属建物と一緒に王子が暮らす東宮として使用され、国の慶事があるときや貴賓をもてなす際に、ここで宴会が開かれたそうです。新羅の敬順王が甄萱に攻め込まれた後、931年に高麗の太祖・王建を招いて差し迫った状況を訴え出、宴会を催した場所でもあります。新羅が三国を統一した後、文武王14年(674年)に大きな池が掘られ、池の真ん中に3つの島と池の北東に12の峰の山が造られ、ここに美しい花や木々を植えて珍しい鳥や動物を飼ったと伝えられています。高麗時代の『三国史記』には臨海殿についての記録だけがあり、池については何の記録もありません。その後、新羅が滅びて高麗時代と朝鮮時代を経てここが廃墟になると、詩人墨客が池を見て「華やかだった王宮は跡形もなくなり、雁と鴨だけが飛び交う」と寂しい詩を詠んだことから、ここが「雁鴨池」と呼ばれるようになったと伝えられています。その後、1980年代に「月池」という文字が刻まれた土器の破片が発掘され、ここが元々は「月の映る池」という意味から「月池」と呼ばれていた事実が確認されたため、「雁鴨池」から「東宮と月池」に名称が変わりました。
1.9Km 31306 2022-12-26
キョンサンブク道キョンジュ市クムソンロ38-9
史跡に指定されている五陵(オルン)は、新羅初代王の「赫居世(パクヒョッコセ)王」と王妃「閼英(アリョル)夫人」、2代目王の「南解(ナムへ)王」、3代目王の「儒理(ユリ)王」、5代目王の「婆娑(パサ)王」など、新羅初期の王族5人の陵墓が集まっていることから名づけられました。
五陵の東方には、今でも初代王の位牌を祀る崇徳殿があり、その後ろには、閼英夫人が誕生したとされる閼英亭が残されています。
2.0Km 17430 2024-09-24
慶尚北道 慶州市 臨海路64-19
「皇龍寺址(ファンリョンサジ)」は慶州市九黄(クファン)洞に位置しており、芬皇寺の前に広がる広大な敷地に残されている遺跡です。
ここは新羅最大の寺院であり、護国の大寺刹として古新羅の仏教文化の精髄が見られる由緒深い寺刹址です。善徳女王がこの地に塔を建ててから23年後、新羅は三国統一し、このことから多くの人々が「新羅の三国統一はこの塔の霊験である」と歴史書に記録しています。かつて新羅三宝と呼ばれる宝物のうちの2つである金堂三尊丈六像、九層木塔が皇龍寺に所蔵されており、また新羅最大の鐘も置かれていましたが、蒙古軍の侵攻によって失ってしまいました。皇龍寺は慈蔵や元曉などの新羅時代の最高の高僧たちが説法を説いた場所で、真興、真平、善徳、憲康、真聖女王などの帝王たちが自ら彼らの説法を聞くために訪れました。1969年7月にこの地を発掘調査した際、金堂、講堂、塔地が発掘されたことをはじめとし、1976年3月から8年間に渡る発掘作業により独特の配置を持つ一塔三金堂式だったことが明らかになり、4万点余りの遺物が出土しました。この際、建物の基礎となる土台をはじめとする下部構造は確認されましたが、建物の上部家具材は正確に考証することができないため、建物全体の復元には至っておらず、土台部分だけが復元されました。発掘された遺跡地から現れた寺院の総面積は8,800坪に至り、これは仏国寺の約8倍の広さに相当します。現在、皇龍寺址は史跡に指定されています。
2.1Km 37314 2022-11-03
キョンサンブク道キョンジュ市イルジョンロ186
新羅千年の首都、慶州(キョンジュ)に位置する国立慶州博物館は新羅の文化遺産を一目で見ることのできる韓国を代表する博物館で、千年王国新羅の成長と輝かしい美術文化、国宝や宝物などに出会えるところです。国立慶州博物館は60年以上の伝統を持つ慶州子ども博物館学校をはじめとするさまざまな教育プログラムを運営し、子ども博物館も設けられています。またTEO YANG STUDIOのデザイナー、ヤン・テオ氏によってリニューアルされた新羅歴史館と新羅美術館のロビーが訪れる人々の目を引きます。