花郎ゲストハウス[韓国観光品質認証](화랑게스트하우스 [한국관광 품질인증/Korea Quality]) - エリア情報 - 韓国旅行情報

花郎ゲストハウス[韓国観光品質認証](화랑게스트하우스 [한국관광 품질인증/Korea Quality])

花郎ゲストハウス[韓国観光品質認証](화랑게스트하우스 [한국관광 품질인증/Korea Quality])

1.9Km    668     2019-05-22

慶尚北道 慶州市 元暁路 136-1
+82-10-2473-8329

花郎(ファラン)ゲストハウスは慶尚北道慶州市(キョンジュシ)大陵苑そばに位置するゲストハウスです。
3階建てで全10室があり、2人室、3人室、4人室の3タイプの客室があります。
客室はトイレ・浴室付きで、ご利用の方々の安全と利便性に配慮しています。
1階ロビーは落ち着いた雰囲気となっており、旅行関連書籍をはじめ、さまざまな種類の書籍も配架しています。
共用パソコンやファックスもあり冷蔵庫やキッチンも共用で使用できます。
大陵苑や鳳凰台、瞻星台、慶州東宮と月池など慶州市内の観光スポットへも徒歩で行くことができます。
自転車レンタルも1日7,000ウォンで可能です。

[事後免税店] ARTBOX(アートボックス)・キョンジュ(慶州)(아트박스 경주)

[事後免税店] ARTBOX(アートボックス)・キョンジュ(慶州)(아트박스 경주)

1.9Km    0     2024-06-27

キョンサンブク道キョンジュ市キェリムロ89

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聖徳大王神鐘(성덕대왕신종)

1.9Km    27068     2020-04-04

慶尚北道 慶州市 日精路 186
+82-54-740-7500

聖徳大王神鐘(ソンドクテワンシンジョン)韓国に残る最も大きい梵鐘で高さ3.75メートル、口径2.27メートル、厚さ11センチメートルから25センチメートルを誇ります。重さは1997年に国立慶州博物館が精密実測した結果、18.9トンであることが確認されました。
新羅時代、景徳王(キョンドクワン・在位 742~765年)が父に当たる成徳王(ソンドクワン・在位 702~737年)の功徳を広く知らしめるため鐘の制作を試みましたが、その意を叶えることはできず、その跡を引き継いだ恵恭王(ヘゴンワン・在位 765~780年)が771年にようやく完成させ、聖徳大王神鐘と命名しました。
この鐘は当初、鳳徳寺(ポンドクサ)に吊るされていたことから鳳徳寺鐘と呼ばれていましたが、子供を鐘の鋳造時に溶かし入れたという人柱伝説があり、母親を呼ぶ子供のなき声に似た鐘の響きがあることから、その鳴き声になぞらえてエミレの鐘とも言われています。

鐘の最も上部には鐘の響きを反響させる音筒がありますが、これは韓国の銅鐘でのみ見られる独特な構造です。
鐘を吊り下げるために作られた環状になっている龍頭の部分は、龍の頭が彫刻されています。
鐘身には上下それぞれに幅広の帯状の模様があり、その中に花の文様を刻み込んであります。
さらに鐘の肩の部分の下には4ヶ所に蓮の花の模様や突出して作られた九つの乳頭を四角形の乳郭が取り囲んでいます。その乳郭の下の方には飛天像が2対描かれ、その間には鐘を突く部分・撞座が蓮の花の模様で作られています。
また鐘身の2か所にはこの鐘の来歴が刻まれています。
中でもこの鐘が特徴的なのは、鐘の下の開口部の縁のところどころが菱形の角のように尖った、他にはない形態をしている点です。
聖徳大王神鐘は統一新羅の芸術が各分野にわたり全盛期を迎えた時代に作られた鐘で、華麗な文様や彫刻技法はその時代を代表するものと言えます。
また鐘の側面に残っているおよそ千字余りの銘文は文章のみならず、その鐘に刻む手法そのものも秀でたものであり、およそ1300年が過ぎた今日でも欠けることなく現世に伝えられており、未来永劫伝承すべき文化財となっています。

慶州オルゴールソリ博物館(경주오르골소리박물관)

慶州オルゴールソリ博物館(경주오르골소리박물관)

1.9Km    28717     2019-03-20

慶尚北道 慶州市 ソラボル大路 420
+82-54-775-5959

慶州オルゴールソリ博物館は国内最初のオルゴールをテーマにした博物館で近代の音の変遷史を一目で見ることができ、耳で聞いて心で感じることのできる体験博物館です。また、オルゴールだけではなく国内で唯一のこの博物館には約100年前の世界最大級のダンスオルゴールを保存しており、その他蓄音機と自動で演奏されるピアノなどが展示してあり、100年前の音の原音と再生音を比べてながら経験することのできる博物館です。
開館日:2000年4月25日

141ミニホテル[韓国観光品質認証](141미니호텔[한국관광품질인증/Korea Quality])

141ミニホテル[韓国観光品質認証](141미니호텔[한국관광품질인증/Korea Quality])

2.0Km    1061     2018-12-23

慶尚北道 慶州市 元暁路141
+82-10-9031-1628

「141ミニホテル(141MINI HOTEL)」は、新羅千年の古都、屋根のない博物館と呼ばれる慶州市にあり、旅行やビジネスで訪れる人々のためにリーズナブルな価格で品格あるサービスを提供しています。サウナ、ブックカフェ、小会議室、ビジネスセンターなど、付帯施設も整っており、快適で楽しい旅ができるよう、全スタッフが最善を尽くしています。慶州駅から約5分、バスターミナルから約10分とアクセスも便利な他、周辺観光地として、大陵苑、雁鴨池、瞻星台、仏国寺など数多くの人気観光スポットがあります。

慶州中央市場(경주 중앙시장)

慶州中央市場(경주 중앙시장)

2.0Km    18369     2023-07-07

キョンサンブク道キョンジュ市クムソンロ295

1983年に建てられた慶州(キョンジュ)中央市場は慶尚北道慶州市金城路にあり、慶州の人たちはアレ(下)市場と呼んでいます。市場の面積は11,053平方メートルで約700店舗、100人の露店商人達が営業をしている比較的に規模の大きな市場です。

[事後免税店] SECOND FACE(セカンフェース)・キョンジュ(慶州)(세컨페이스 경주)

[事後免税店] SECOND FACE(セカンフェース)・キョンジュ(慶州)(세컨페이스 경주)

2.0Km    0     2024-04-26

キョンサンブク道キョンジュ市キェリムロ101 1階

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ゲストハウス「ALLEY(アレー)」[韓国観光品質認証] (앨리게스트하우스 [한국관광 품질인증/Korea Quality])

ゲストハウス「ALLEY(アレー)」[韓国観光品質認証] (앨리게스트하우스 [한국관광 품질인증/Korea Quality])

2.1Km    8     2021-03-29

慶尚北道慶州市ケリムロ106番ギル12

慶州市内の中心にあるゲストハウス「アレー」は、慶州駅から徒歩3分の好立地を誇る。アクセスが良いため、徒歩旅行者に人気がある。駐車はできないが、家族ルームを予約する場合、駐車サービスを提供する。
1階にはロビー、キッチン、荷物預かり所、洗濯室がある。キッチンではセルフ式無料朝食が提供される。トースト、目玉焼きなどを作ってコーヒー、ドリンクなどと食べることができる。客室は2階と3階にある。1人部屋、シングルベッドのある2人部屋、二段ベッドのある2人部屋・3人部屋・4人部屋(家族室)、4人部屋(ドーミトリー)で構成されている。家族室には最大5人まで宿泊できる。客室には冷暖房システム、シャワーとトイレがあり、デジタルドアロックが設置されている。アメニティはタオル、せっけん、シャンプー、コンディショナー、ボディソープ、歯磨き粉、ヘアードライヤーが提供される。3階の屋上テラスも利用できる。チェックインする前に荷物を預けて観光することができる。ゲストハウスから大陵苑までは10分、瞻星台、東宮と月池までは20分かかる。

慶州 鮑石亭址(경주 포석정지)

慶州 鮑石亭址(경주 포석정지)

2.1Km    29457     2024-09-25

慶尚北道 慶州市 南山循環路816

谷川のふちの岩の上に位置する「鮑石亭址(ポソクチョンジ/面積7,432平方メートル)」は、1963年1月21日に史跡に指定されました。新羅時代に別宮があった場所で、今では、アワビの形をした石造水路だけが残されています。
石溝の形をした曲がりくねったアワビの貝殻に似ていることから、鮑石亭と名付けられました。鮑石亭は63個の石材で組立られており、大きさは幅35センチメートル、深さ平均26センチメートル、長さが10メートルほどになります。南山渓谷から流れる水を鮑石亭に引いて石の亀を通して流れるようにしたと記録にはありますが、現在は残っていません。
新羅の王がよく君臣や貴族を率いて遊びに来た場所で、石溝に沿って流れる水に杯を浮かべ、その杯が自分の前に来る前に詩を作りながら過ごした場所として知られています。
鮑石亭横の南山の鮑石溪谷は、澄んだ渓谷水が流れており、新羅時代から景観の美しい場所として人々に愛されてきました。現在も樹齢数百年になるケヤキやマツ、竹林が立ち並ぶ壮麗な景色が広がります。

慶州東宮と月池(경주 동궁과 월지)

2.1Km    47992     2024-02-28

キョンサンブク道キョンジュ市ウォンファロ102

慶州(キョンジュ)東宮と月池は、新羅時代の王宮の別宮があった場所です。他の付属建物と一緒に王子が暮らす東宮として使用され、国の慶事があるときや貴賓をもてなす際に、ここで宴会が開かれたそうです。新羅の敬順王が甄萱に攻め込まれた後、931年に高麗の太祖・王建を招いて差し迫った状況を訴え出、宴会を催した場所でもあります。新羅が三国を統一した後、文武王14年(674年)に大きな池が掘られ、池の真ん中に3つの島と池の北東に12の峰の山が造られ、ここに美しい花や木々を植えて珍しい鳥や動物を飼ったと伝えられています。高麗時代の『三国史記』には臨海殿についての記録だけがあり、池については何の記録もありません。その後、新羅が滅びて高麗時代と朝鮮時代を経てここが廃墟になると、詩人墨客が池を見て「華やかだった王宮は跡形もなくなり、雁と鴨だけが飛び交う」と寂しい詩を詠んだことから、ここが「雁鴨池」と呼ばれるようになったと伝えられています。その後、1980年代に「月池」という文字が刻まれた土器の破片が発掘され、ここが元々は「月の映る池」という意味から「月池」と呼ばれていた事実が確認されたため、「雁鴨池」から「東宮と月池」に名称が変わりました。