慶州休垣[韓国観光品質認証](경주휴원[한국관광품질인증제/ Korea Quality]) - エリア情報 - 韓国旅行情報

慶州休垣[韓国観光品質認証](경주휴원[한국관광품질인증제/ Korea Quality])

慶州休垣[韓国観光品質認証](경주휴원[한국관광품질인증제/ Korea Quality])

1.9Km    9558     2019-12-05

慶尚北道 慶州市 忠孝西岳キル 154
+82-10-5651-1253

休垣(ヒュウォン)

閑静で端正な慶州西岳洞にある韓屋
慶州(キョンジュ)には千年の都・新羅(シルラ)の姿を後世にそのまま残している集落が多くあります。その中でも武烈王陵や真智王陵、西岳書院などがある西岳洞(ソアクドン)は大変静かな雰囲気を醸し出している場所。
この閑静な集落にある休垣は1970年代に建てられた韓屋で、修復を経て2011年から宿泊施設としてオープンしました。入口の大門から敷地に入ると、韓屋が周囲を囲む中庭があり、そこは大変明るく温かい雰囲気がします。特にこの家屋を購入した当初、中庭の真ん中に植えた木蓮は訪れた多くの人々が感嘆するほど美しいと評判です。木蓮の木を囲むようにある庭は花や盆栽がきれいに置かれ、その脇には昔からある井戸や手押しポンプがあり昔の風情を感じさせます。韓屋の背後には小高い仙桃山(ソンドサン)があり春夏秋冬それぞれ美しい風景が楽しめる場所です。

田舎のよき雰囲気が感じられる美しくきれいな韓屋
オーナーはおよそ築40年が経過した田舎の韓屋を、美しくきれいな韓屋の宿泊施設に生まれ変わらせましたが、その過程で2つの重要なことに気付き、休垣に生かしました。
まず一つ目が韓屋の伝統的な特徴をそのまま生かしリモデリングすること。だからか韓屋の柱や大梁、天井の垂木からこの韓屋が経てきた歳月の長さを感じることができます。また客室は豪華で美しく、中に入るとかすかなよい香りがするよう配慮しています。
二つ目はごちゃごちゃせず、うるさくない空間を作ること。そのためバーベキューのような施設は意図的に作らず、その代わりここに宿泊するお客様が安心感、そして昔ながらの風情を感じされるよう黄土壁を通常の韓屋より厚めに塗りこみました。寝具についても清潔で温かいものを用意するよう配慮しています。

オーナーおすすめのひと味違う慶州旅行コース
休垣のオーナーは慶州の文化財を多くの人にもっと知ってもらうためさまざまな活動を行っています。およそ30年間ずっと慶州に居を構えているから慶州への愛着は相当なものです。文化財を訪ね、写真撮影し、ゆっくり眺めて感じた慶州について宿泊客に語ることもあり、オーナーに慶州おすすめの観光スポットについて尋ねれば、オーナーおすすめの慶州の美しい場所を紹介してもらえます。
中でも休垣の後ろにある桃峯書堂(トボンソダン)へ向う道はオーナーがイチオシの散策コースの一つ。
夜も明けぬ早朝、この桃峯書堂へ上がり村々を眺め、夜明けの霧の合間に見える慶州の神秘な風景を満喫できるのがこの場所。
また、さまざまな仏像や仏塔などの遺跡もあちらこちらにあり、「露天博物館」ともいわれる南山(ナムサン)もおすすめの場所です。

ワダムジョン (와담정)

ワダムジョン (와담정)

1.9Km    1035     2024-08-01

キョンサンブクト キョンジュシ チョヌォン1(イル)ギル 18
+82-54-772-5400、 +82-10-6571-3412

慶州市のチョンウォン村にある「ワダムジョン」は、伝統的な趣と雰囲気を保ちながら、利便性を高めた韓屋のペンションであります。客室ごとに冷暖房施設とトイレ兼用のバスルームを備え、共用キッチンで簡単な炊事が可能であります。キッチンとバスルームを一緒に使える一軒家の客室もあります。広い庭には伝統的な風景を盛り込んだ小さな造形物が設置されています。チェギ蹴り·投壷などの伝統遊び体験ができるし、慶州の歴史遺跡の月城地区、国立慶州博物館などの観光地からも遠くないです。 

慶州韓屋1番街[韓国観光品質認証](경주한옥1번가[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

慶州韓屋1番街[韓国観光品質認証](경주한옥1번가[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

1.9Km    1073     2023-10-25

キョンサンブクト キョンジュシ チョヌォン1(イル)ギル 20
+82-10-9505-5367

慶州市のチョンウォン村の入り口に位置している「慶州韓屋1番街」は、伝統の美しさを保ちながら、利便性を高めた韓屋ステイであります。客室ごとにトイレとバスルームを備え、共用キッチンで簡単な飲食も可能であります。キッチンとバスルームを一緒に使える一軒家の客室もあります。全客室は高級寝具を備えた韓室で構成されています。きれいに手入れして作った広い庭には、昔の人々の姿を飾った人形と伝統造形物がいくつかあります。雁鴨池、瞻星台、慶州博物館などの周辺観光地からも遠くないです。 

鶏林宮 (계림궁)

鶏林宮 (계림궁)

1.9Km    14176     2024-08-01

キョンサンブクト キョンジュシ ポソクロ 932
+82-54-776-8122

「鷄林宮」は、慶州の五陵の向かい側にある韓屋ペンションで、鷄林は新羅時代の慶州金氏の始祖のキム·アルジの誕生説話が込められた森であります。慶州の中心地から少し離れて、ゆったりと泊まれます。庭の横にある小屋2軒は、事前問い合わせが必要で、バーベキューの施設も事前予約が必要であります。伝統釜の火起こし、板跳びなどの伝統文化体験が用意されており、慶州の五陵の散歩も楽しめます。近隣に半月城、瞻星台、大陵苑など周辺観光地があります。 

ジョアダン[韓国観光品質認証](한옥스테이 조아당[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

ジョアダン[韓国観光品質認証](한옥스테이 조아당[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

1.9Km    0     2023-09-12

キョンサンブクト キョンジュシ ウォンヒョロ213(イベクシブサム)ボンギル 11
+82-10-6520-5074

「ジョアダン」は、慶州元暁路道に位置する一軒家の韓屋ステイです。伝統韓屋の内部をヒノキで飾り、室内に入った瞬間、新鮮なヒノキのフィトンチッドに出会って癒されます。部屋は2つで、それぞれクイーンサイズのベッドがあり、部屋1つにはトイレがあって気楽に泊まれます。周辺の観光地を散歩しながら楽しむのにも最適です。 

慶州 五陵(경주 오릉)

慶州 五陵(경주 오릉)

2.0Km    31306     2022-12-26

キョンサンブク道キョンジュ市クムソンロ38-9

史跡に指定されている五陵(オルン)は、新羅初代王の「赫居世(パクヒョッコセ)王」と王妃「閼英(アリョル)夫人」、2代目王の「南解(ナムへ)王」、3代目王の「儒理(ユリ)王」、5代目王の「婆娑(パサ)王」など、新羅初期の王族5人の陵墓が集まっていることから名づけられました。
五陵の東方には、今でも初代王の位牌を祀る崇徳殿があり、その後ろには、閼英夫人が誕生したとされる閼英亭が残されています。

慶州 石氷庫(경주 석빙고)

慶州 石氷庫(경주 석빙고)

2.1Km    16010     2023-03-21

キョンサンブク道キョンジュ市イヌァン洞

「石氷庫(ソクピンゴ)」は石で作られた天然の冷蔵庫で、宝物に指定されています。505年に氷を保存したという記録があり、新羅時代のものであると考えられてきましたが、現在の石氷庫は朝鮮時代の1738年に作られたことが分かりました。石氷庫は入口が月城の中にあり、長さ12.27メートル、幅5.76メートル、高さ5.21メートルで、すべて加工された石材でできています。天井はアーチ型で、長方形の石材の3ヶ所に通風のための穴が開けられており、床の中央には排水路があります。

慶州 武烈王陵、太宗武烈王陵碑(경주 무열왕릉, 태종무열왕릉비)

慶州 武烈王陵、太宗武烈王陵碑(경주 무열왕릉, 태종무열왕릉비)

2.2Km    34842     2022-08-16

キョンサンブク道キョンジュ市ヌンナムギル10-4

「慶州武烈王陵」は、新羅の第29代王・太宗武烈王(金春秋)の陵で、慶州北西部にある仙桃山から南に伸びた丘陵の麓にあります。金春秋は、新羅半ばに即位した初の真骨出身の王で、唐との連合により、百済を併合し、統一のための基盤を整えたものの、統一への夢をかなえることなく、この世を去りました。この陵は、円周114メートル、高さ8.7メートルと比較的大きい墓です。東側に亀趺(石亀の台座)と碑首が残されていますが、武烈王の二男・金仁問が書いた「太宗武烈大王之碑」という字が刻まれており、武烈王陵ということが明らかになりました。

慶州 月城(半月城)(경주 월성(반월성))

慶州 月城(半月城)(경주 월성(반월성))

2.2Km    17377     2021-06-25

慶尚北道 慶州市 仁旺洞

新羅の宮(金城)があった城で、丘の上に土と石を混ぜて半月状に積んで造られた城です。半月状に造られたことから半月城(パンウォルソン)または月城(ウォルソン)と呼ばれています。
韓国の有名な歴史書である『三国遺事』によると、新羅の4代大王・昔脱解は、この地が慶州で一番の明堂(王が臣下の謁見を受ける宮殿)であることを知り、ある貴族からこの地を奪い半月城を築いたといわれています。このことがきっかけで、新羅の第2代大王だった南解王に気に入られ、第4代大王の地位を手に入れたそうです。その後、新羅最後の王である第56代敬順王までの約900年間、この地は新羅を統治した重要な役割を果たしました。今では華麗で荘厳だった宮廷の姿はなく、空き地と化していますが、新羅時代には数多くの建築物が存在していたと伝えられています。

慶州東宮と月池(경주 동궁과 월지)

2.4Km    47992     2024-02-28

キョンサンブク道キョンジュ市ウォンファロ102

慶州(キョンジュ)東宮と月池は、新羅時代の王宮の別宮があった場所です。他の付属建物と一緒に王子が暮らす東宮として使用され、国の慶事があるときや貴賓をもてなす際に、ここで宴会が開かれたそうです。新羅の敬順王が甄萱に攻め込まれた後、931年に高麗の太祖・王建を招いて差し迫った状況を訴え出、宴会を催した場所でもあります。新羅が三国を統一した後、文武王14年(674年)に大きな池が掘られ、池の真ん中に3つの島と池の北東に12の峰の山が造られ、ここに美しい花や木々を植えて珍しい鳥や動物を飼ったと伝えられています。高麗時代の『三国史記』には臨海殿についての記録だけがあり、池については何の記録もありません。その後、新羅が滅びて高麗時代と朝鮮時代を経てここが廃墟になると、詩人墨客が池を見て「華やかだった王宮は跡形もなくなり、雁と鴨だけが飛び交う」と寂しい詩を詠んだことから、ここが「雁鴨池」と呼ばれるようになったと伝えられています。その後、1980年代に「月池」という文字が刻まれた土器の破片が発掘され、ここが元々は「月の映る池」という意味から「月池」と呼ばれていた事実が確認されたため、「雁鴨池」から「東宮と月池」に名称が変わりました。