18.8Km 2024-05-16
キョンギ道スウォン市ヨントン区トチョンロ10 ロッテアウトレットクァンギョ店2階
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19.0Km 2024-05-28
プサン広域市キジャン郡キジャン邑チュクソン里134-7
竹城(チュクソン)聖堂は、2009年に放送されたSBSドラマ『MY DREAM~マイドリーム~』を撮影する目的で建てられた撮影セットです。放送からかなり時間が経っているためドラマのことを覚えている人は少なくなりましたが、よくできた建物は機張を訪れる旅行客の必須コースといえるほどの名所となっています。聖堂内部はギャラリーとして活用されており、運よく展示日程と重なると見どころはさらに増えます。小さな漁村に位置している地理的特性から、特別な雰囲気が感じられ、中世時代の海辺の村をそのまま移したかのような風景は、まるで一幅の絵のようです。岩に打ち付ける白波と聖堂の赤い屋根のコントラストが人々を魅了します。竹城聖堂で最も人気なのが額縁のフレームを再現したようなフォトゾーン。額縁の中に収まる青い海と空がこの上なく美しい背景になります。
19.1Km 2019-03-20
慶南 金海市 外洞
+82-55-326-2646
金海文化院(キムヘムンファウォン)は1956年9月にオープンし、1964年10月21日には財団法人として認可されました。また1994年9月に地方文化院の振興法に義解して金海文化院としても認可を受けました。現在は院長と事務局長の他3名の職員、役員20名、運営委員9名、古文12名、自問委員5名、運営理事80名、会員13名で事業を営んでおり、附設団体として郷土史研究の活動に励んでいます。 3,194.4㎡の敷地に地下1階と地上2階の延面積2,039.4㎡を誇っており、金海五広大、農楽団、金海石合戦などを発掘して前世代からの伝統的文化遺産を次の世代に継いでいます。蓮宗文化学校の講座は午前と午後の部があり、民俗材料展示室、全国伽倻琴コンテスト、イ・ユンジェ先生の追慕白日場など文化芸術イベントが繰り広げられています。生き続ける文化院として市民の文化的欲求を充足させようと努めています。
19.1Km 2022-11-10
キョンサンナム道キムヘ市カヤエギル126
大成洞遺跡を集めた博物館、大成洞(テソンドン)古墳博物館。大成洞古墳群での4度にわたる発掘調査で出土した資料を通して今まで知られていなかった金官伽倻の実態だけでなく、この場所が金官伽倻の中心地であったことが確認できる博物館です。博物館は1階の展示室と地下1階の付属施設があり、1階の3つの展示室では導入、概観、古墳、交流、文化の5つをテーマとして展示しています。主な展示内容は礼安里古墳群で出土した人骨を土台に復元した1:1の大きさの騎馬と武士像、古代の葬儀時の様子をもとにして1:1で復元した墓や遺物の模型があります。また、映像とジオラマの展示技法を主に利用しているところが大成洞古墳博物館の特徴です。
憩いの場としての博物館
博物館には遺跡公園があります。きれいに整備された遺跡公園は市民たちの憩いの場であり生活に潤いを与えてくれる金海を象徴する素晴らしい観光資源です。このような博物館の展示と遺跡公園を通して、過去に鉄の生産と海洋活動で東北アジアの政治、経済の中心であった金官伽倻の精神と魂が子孫たちに継承されることが期待されています。
19.1Km 2020-12-28
慶尚南道 金海市 伽倻エキル126
伽倻の成立と展開を解明するのに最も適した遺跡、大成洞古墳群
大成洞遺跡は伽倻の建国説話が込められた亀旨峰と金海貝塚で有名な会峴里貝塚の中央に位置し、東方には金首露王陵が隣接しています。公設運動場の北後方にある標高22.6メートルの「ウェッコジ」と呼ばれる丘陵を中心に形成されています。この遺跡は慶星大学博物館で1990年から1992年まで3度にわたる発掘調査をした結果、金官伽倻支配者集団の共用墓地であったことが判明しました。立地条件がいい丘陵の稜線部には王の墓とこれに相応する支配者の墓があり、傾斜面には身分が低い者の墓が形成されていました。
大成洞古墳の歴史的意味
調査された墓は全136基で、種類は木棺墓、木槨墓、甕棺墓、石槨墓、橫穴橫口式の石室墓です。この中で木棺墓が墓祭の主流でした。丘陵の稜線部に形成された大型の木槨墓は埋葬主体部の大きさと副葬された遺物の量と質から見て、3世紀後半~5世紀前半にかけて形成された金官伽倻支配者たちの墓であると推測され、特にこの遺跡の大型木槨墓の調査を通して重要な事実が明らかになりました。3世紀末に初めて人と馬を殉葬し武器を副葬する習慣とともに、騎馬用の鉄製の鎧と兜、北方遊牧民族的な墓祭、馬具類、陶質土器、銅復など北方遊牧民族の習慣が反映された遺物が多く出土されたという事実です。それと、筒形銅器、巴形銅器、各種碧玉製の石製品など古代日本との交流の実態を究明することができる物が出土されたことです。このようなことから、大成洞遺跡は伽倻の成立と展開、性格、政治や社会構造を解明するのに最も適した遺跡だといえます。
19.1Km 2021-06-30
釜山広域市 機張郡 日光面 三聖3キル 17
日光(イルグァン)海水浴場は東海(トンへ)南部にある海水浴場のなかでも家族連れに人気の海水浴場で、砂浜の左手に松林・江松亭(カンソンジョン)があります。また、日光海水浴場から北東に5キロメートルほど離れた七岩(チラム)には刺身食堂が軒を連ねる刺身村があり、新鮮なお刺身を味わうことができ、毎年多くの観光客が訪れます。
高麗時代末期の学者・鄭夢周(チョン・モンジュ)・李穡(イ・セク)・李崇仁(イ・スンイン)が訪れたという三聖台(サムソンデ)が砂浜中央の海岸縁にあり、左手には江松亭があります。その昔、日光海水浴場の海岸線に沿う形で樹齢数百年の老松の林があったと伝えられていますが、現在では残念ながらその姿は見られません。海岸線の右手の端にある鶴里村は老松の林に生息していた鶴の名前からついたといわれています。
日光海水浴場は遠浅で、海岸線が江松亭から鶴里の漁港まで弧を描く形で続き、どこからも海岸が一望できます。保養地として利用されている民泊(民宿)やキャンプ場など各種施設が完備されており、海釣りも楽しめます。七岩には漁港もあり刺身屋がたくさんあります。また毎年7月から8月まではケッマウル(漁村)祭りが開催されています。
19.1Km 2024-09-23
慶尚南道 金海市 駕洛路 190番キル 1
+82-55-338-1330
金首露(キム・スロ)王の王妃・許黄玉(ホ・ファンオク)の墓、首露王妃陵
首露王妃陵は慶尚南道(キョンサンナムド)金海市(キメシ)亀山洞(クサンドン)にある伽倻時代の陵で、駕洛国(カラック)の始祖・金首露(キム・スロ)の王妃である許黄玉(ホ・ファンオク)の王妃陵(国家史跡)です。
大型の円形土墳で、陵の前面には長大石で築台を築き、陵の前面を除き左右から後方にわたる陵の周囲にはやや陵から距離を置いて低めの石垣を築き、王妃陵を取り囲んでいます。
陵の前には1647(仁祖5)年の修築の際建てた陵碑には「駕洛国首露王妃 普州太后許氏陵」と二行にわたり刻字されています。
陵の敷地内には、崇報斎(スンボジェ)、外三門(ウェサムムン)、内三門(ネサムムン)、陵の前にある赤い色が印象的な赤門・ホンサルムンがあります。
また、通常、平地にある陵とは異なり、この王妃陵は丘のところにあります。陵の前にはインドから持ってきたものと伝えられる婆娑石塔(パサソクタプ)が残されています。
朝鮮時代初期の世宗28(1446)年に首露王陵とともに保護区域が拡大しましたが、壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)の際に盗掘されたという記録があります。
現在の碑石や象石などは仁祖25(1641)年、再び整備を行った際に設けられたといいます。
首露王妃・許黄玉とは
首露王の王妃は名を許黄玉といい、首露王7(西暦48)年に16歳という歳で船に乗り駕洛国に渡来、その後王妃となり、西暦189年にこの世を去ったといいます。現在の陵は朝鮮時代の仁祖19(1641)年に修築され今の姿になりました。
王妃が亡くなる直前に、二人の息子に母の姓である許氏を名乗らせたことから、金海許氏(キメホシ)の始祖となったといいます。