12.2Km 7829 2019-01-22
慶尚北道 永川市 華南面 亀湖1キル37-17
+82-54-331-8043
昔の人々の趣と風流に再び光を当てる永川ビョルビョル美術村にある築200年の韓屋「亀厓古宅」は、2013年に韓屋体験空間として開放されました。亀厓古宅は朝鮮後期の学者・曺克承の家門が代を継いできた家で、祠堂、慶尚北道文化財資料339号の亀厓亭、大きな池と橋で繋がった六角亭、大門チェ(正門のある棟)、アンチェ(母屋)、サランチェ(別棟)で構成されています。客室は8つあり、庭ではいつでも伝統遊びを楽しむことができます。
永川ビョルビョル美術村には多彩な芸術品や展示館など見どころが多く、亀厓古宅も美術村にある古宅らしく、4つのインスタレーション作品を備えています。
12.2Km 0 2024-04-26
キョンサンブク道キョンサン市ハヤン邑ハヤンロ72(クムナク里)
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12.4Km 0 2024-04-29
キョンサンブク道キョンサン市ハヤン邑ハヤンロ58(クムナク里) 1階103号
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13.2Km 26208 2024-02-22
キョンサンブク道ヨンチョン市チャヤン面ポウンロ1792
永川(ヨンチョン)ダムは、琴湖江(クムホガン)の中・下流域にある多目的ダムで、下流には永川ダム下流公園があります。公園内には水飲み場、シャワー室が備えられたキャンプ場と夏にオープンする子供向け水遊び場、人工滝、運動場、広場などがあります。ダムの周辺には永川ダムポッコッペンニ(桜百里)という有名なドライブコースがあって、カフェや飲食店が道沿いに軒を連ねています。
13.8Km 10648 2024-09-25
慶尚北道 永川市 清通面 清通路951
慶尚北道永川市八公山に位置している「銀海寺(ウンヘサ)」は、大韓仏教曹渓宗第10教区本寺で桐華寺と共に八公山を代表する寺院です。
新羅憲徳王1年(809年)に恵哲国師が、海眼坪に創建し、最初は海眼寺と呼ばれていました。その後、高麗と朝鮮時代を経て数回にわたって再建しながら、1546年(明宗1年)に今の場所に移し新築されました。この時、法堂と碑石を建てて朝鮮仁宗の胎室を封じて銀海寺と改称されました。
現在境内には、大雄殿と宝華楼、説禅堂、尋劔堂などと百興庵、中巌庵をはじめ8つの付属庵子(庵子:大きなお寺に付いた小さな寺)、韓国仏教の専門教育機関である銀海寺僧家大学院があります。主な文化財としては、国宝居祖庵霊山殿と宝物百興庵極楽殿と院中にある宝物須彌壇、宝物雲浮庵金銅菩薩坐像、宝物銀海寺掛仏幀などが所蔵されています。
また銀海寺と隣近地域の文化財を展示している城堡博物館があり、これ以外にも中央岩の極楽窟(華厳窟)、コンドゥル岩、万年松と寄寄庵の将軍水及び安興瀑布などがあり、名勝地としても有名です。
16.1Km 25613 2021-02-24
慶尚北道 永川市 華北面 慈川里1421-1
+82-54-330-6584
永川慈川里の「五里長林(オリジャンリム)」は村の防風、堤防保護および洪水防止のためにつくられた森です。
1500年代に村の住民らがつくったと伝えられており、現在はアベマキなど12種約280本の木々が森を成しています。森の長さが5里(2キロメートル)に達するため昔から五里長林と呼ばれ、近ごろは慈川(チャチョン)の森と呼ばれることもあります。村の住民らは、この森がくつられた時から毎年小正月に村の平安を祈るための祭祀を執り行なっています。
五里長林は堤防保護、村の守護および村の景観を美しくする役割を果たしているだけでなく、民族の自然愛護思想がわかる貴重な資料となることから天然記念物に指定され保護されています。
18.0Km 42151 2021-03-04
慶尚北道 慶山市 瓦村面
+82-53-981-6406
八公山(パルゴンサン)は慶山市の北側にある海抜1192.3メートルの山です。ここには冠峰石造如来坐像(カッパウィ)、元曉寺、千聖寺、仏国寺など新羅の古寺と文化遺跡が多く残っています。
18.1Km 22185 2021-11-22
慶尚北道 慶山市 瓦村面 カッパウィ路699
八公山の冠峰の下に位置する禅本寺(ソンボンサ)は、491年に極達和尚によって創建され、1614年にスチョン大師によって改修されました。禅本寺の文化財としては、地方有形文化財に指定されている三層石塔と、心を込めて祈ると願いを1つだけ必ず叶えてくれるという、宝物に指定されている冠峰石造如来坐像(別名カッパウィ仏様)があります。
この寺は寺院名の禅本寺より「八公山カッパウィ仏様」という名前でよく知られています(カッ=笠、パウィ=岩で、仏像の頭の上に平たい岩が載っていることに由来)。寺の東側にあるカッパウィ仏様に行くには急傾斜の階段を上らなくてはいけませんが、大勢の参拝客が訪れています。統一新羅時代に作られた石仏坐像で、4メートルほどの高さがあります。