伽倻カントリークラブ(가야컨트리클럽) - エリア情報 - 韓国旅行情報

伽倻カントリークラブ(가야컨트리클럽)

.0M    5756     2020-07-01

慶尚南道 金海市 仁済路502

伽倻カントリークラブには会員制45ホール、パブリック9ホールがあります。神魚コース、洛東コース、金海コース、首露コース、駕洛コース、パブリックコースの6つのコースがあります。神魚コースは木や地形を活用して設計されており、洛東コースは神魚山の南西の稜線を削って造られた比較的平坦なコースです。金海コースは、扇状地の自然の地形を活かして設計されたコースで、自然美が感じられます。

銀河寺(金海)(은하사(김해))

銀河寺(金海)(은하사(김해))

2.3Km    12880     2021-02-22

慶尚南道 金海市 神魚山キル167
+82-55-337-0101

銀河寺(ウナサ)は慶尚南道金海市三芳洞の神魚山にあります。1900年ほど前、長遊和尚がインドから仏教を伝承してきた後に銀河寺を建てたと伝えられており、規模は大きくありませんが新羅と高麗の多くの僧侶がいた由緒深い寺院です。この寺院は映画『達磨よ、遊ぼう!』のロケ地としてよく知られています。

金海亀旨峰(김해 구지봉)

金海亀旨峰(김해 구지봉)

2.6Km    12271     2022-12-26

キョンサンナム道キムヘ市カヤロ157ボンギル31-16

亀旨峰(クジボン)は慶尚南道金海市亀山洞にある小さな峰で、1983年8月6日に慶尚南道記念物に指定され、2001年3月7日に史跡に変更されました。伽倻の始祖である首露王が降りてきたと伝えられているところです。以前はカメの頭の形をしていることから亀首峰といわれていましたが、現在は亀旨峰と呼ばれています。

[事後免税店] Olive Young・キムヘサムゲ(金海三渓)(올리브영 김해삼계)

[事後免税店] Olive Young・キムヘサムゲ(金海三渓)(올리브영 김해삼계)

3.2Km    0     2024-05-02

キョンサンナム道キムヘ市サムギェジュンアンロ47

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金海伽倻テーマパーク(김해가야테마파크)

3.3Km    6452     2024-02-05

キョンサンナム道キムヘ市カヤテーマギル161

憩いの場であるとともに多様な文化に接することのできる複合文化スペース。韓国民族の輝かしい遺産である伽倻(カヤ)の歴史を、遊び・体験・展示を通して、見て・聞いて・触って学ぶことのできる、エデュテインメント(Education+Entertainment)体験型テーマパークです。

金海天文台(김해천문대)

3.3Km    0     2022-12-29

慶尚南道 金海市 伽倻テーマキル 254
+82-55-337-3785

*天体と宇宙についての不思議を解決してくれる金海天文台*

金海(キメ)天文台は1998年12月、ミレニアム記念事業の一環として、天体と宇宙についての一般の人々の疑問を解消し、将来を担う青少年に夢と希望を与え、人々に浪漫と思い出を分かち合ってもらう目的で事業を推進、2002年2月1日に開館しました。
金海天文台は敷地面積およそ6,600平方メートル、建築面積約1,520平方メートルを誇る2階建ての建物です。天文台の外観は、卵から産まれた駕洛(カラク)国の始祖・首露王(スロワン)をモチーフに楕円形に作られています。
施設は大きく展示棟・観測棟・講義棟に分かれています。
展示棟には天体投影室(プラネタリウム)や展示室があります。天体投影室には直径8メートルの半円形のスクリーンに夜空の星を再現する投射機・天体投影機があります。ここでは季節毎の星座、太陽系の探査など宇宙を理解する上で参考になる教育映像が上映されています。直径20メートルの丸い鉄製の構造物が印象的な展示室には韓国の天文観測の歴史を立体映像で紹介するマジックビジョン、太陽系のそれぞれの惑星で自分の体重を計測することができる重力試験装置をはじめ、10に及ぶ天体教育展示施設があります。観測棟には天体望遠鏡を使って、訪れた人々が自らの目で星を見ることができる施設があります。メインの望遠鏡である大型屈折望遠鏡・反射望遠鏡をはじめ、4つの小さな望遠鏡も設置されています。

* 金海展望台と金首露王の伝説 *

金海天文台の外観を卵に似せたのは、紀元前に金海の地にあったとされる駕洛国の始祖・金首露王(キムスロワン)が卵から産まれたことに由来しています。首露王の王妃・許黄玉(ホ・ファンオク)が船に乗って海の向こうから駕洛国にやってきたことから、星を観測しながら航海をしてきたのではないかと推測されています。
駕洛国の王子が進礼土城(チルレトソン)の上の一番高いところに夜空の星を見るために瞻星台(チョムソンデ)を築いたという歴史的事実がいまに伝えられており、いまでもこの場所は星を見るところという意味で「ピビダン」と呼ばれています。このようなさまざまな歴史的事実があることから、金海を中心に形成された古代国家・伽倻(カヤ)は星ととても深い関係にあったと思われます。天文台がある盆城山(プンソンサン)の頂上に上ると金海市内の前傾が一望でき、夜は金海市内の美しい夜景を望むことができます。

金海盆山城(김해 분산성)

3.9Km    25717     2024-02-05

キョンサンナム道キムヘ市カヤロ405ボナンギル210-162

盆山城(プンサンソン)は洛東江下流の広い平野を一望できる盆山の頂上に周囲約900メートルにわたって石で積み上げられた山城です。初めて築城された年代は定かではありませんが、三国時代と推定されています。
山頂にある平坦な地形を囲んでその周囲に南北に長い楕円形を成した城壁で、垂直に近い石壁は高さ約3~4メートルで崩れた部分が少なくありません。ここに建てられた「靖國君朴公葳築城事蹟碑」によると、この山城は朝鮮初期に朴葳(パク・ウィ)が古山城に基づいて修築した後、壬辰倭乱時に崩れたものを1871年(高宗8年)に再度修理したということです。
金海(キムヘ)市内、金海平野と洛東江(ナクトンガン)、そして南海を一目で見渡せる盆山(プンサン)の頂上部に帯を締めるような形で石を積んだ山城で、現在は市内側の傾斜面に900メートル程度の城壁が残り、城内には南北に2つの門址と西側の暗門、井戸跡などいくつかの建築跡もみかけられます。城郭の総延長は929メートル、幅は平均約8メートルです。 山城の中には海恩寺(ヘウンサ)があります。

盆山城の別名、万丈台(萬丈臺)
金海市民たちには「万丈台(マンジャンデ)」という名称がより親しみがありますが、それは朝鮮時代に大院君が倭を退ける前進基地として「万丈もある高い台」という名前をさずけたことがその起源となっています。1999年に復元された烽燧台の裏側にある岩には、万丈台と書いた大院君の親筆が刻み込まれています。

[事後免税店] Olive Young・インジェデ(仁済大)(올리브영 인제대)

4.0Km    0     2024-04-24

キョンサンナム道キムヘ市インジェロ190

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ホテルユーアイン(旧ホテルヤジャ金海仁済大店)(호텔 유아인(구 호텔야자 김해인제대점))

4.2Km    479     2019-07-11

慶尚南道 金海市 麟蹄路170番キル9-9
+82-55-905-0317

美しい文化と歴史が息づく所、金海(キメ)の仁済(インジェ)大学の前にある「ホテルユーアイン」は、オシャレなヴィンテージ風のインテリアが旅行客に人気のホテルです。ホテル前にあるレストラン街には様々な飲食店が立ち並んでいる他、金海は伽耶時代の金官国にあたる都市で、様々な遺跡地や、春には伽耶文化祭りも盛大に開かれ、見ものです。

金海 首露王妃陵(김해 수로왕비릉)

金海 首露王妃陵(김해 수로왕비릉)

4.5Km    12039     2024-09-23

慶尚南道 金海市 駕洛路 190番キル 1
+82-55-338-1330

金首露(キム・スロ)王の王妃・許黄玉(ホ・ファンオク)の墓、首露王妃陵

首露王妃陵は慶尚南道(キョンサンナムド)金海市(キメシ)亀山洞(クサンドン)にある伽倻時代の陵で、駕洛国(カラック)の始祖・金首露(キム・スロ)の王妃である許黄玉(ホ・ファンオク)の王妃陵(国家史跡)です。
大型の円形土墳で、陵の前面には長大石で築台を築き、陵の前面を除き左右から後方にわたる陵の周囲にはやや陵から距離を置いて低めの石垣を築き、王妃陵を取り囲んでいます。
陵の前には1647(仁祖5)年の修築の際建てた陵碑には「駕洛国首露王妃 普州太后許氏陵」と二行にわたり刻字されています。

陵の敷地内には、崇報斎(スンボジェ)、外三門(ウェサムムン)、内三門(ネサムムン)、陵の前にある赤い色が印象的な赤門・ホンサルムンがあります。
また、通常、平地にある陵とは異なり、この王妃陵は丘のところにあります。陵の前にはインドから持ってきたものと伝えられる婆娑石塔(パサソクタプ)が残されています。
朝鮮時代初期の世宗28(1446)年に首露王陵とともに保護区域が拡大しましたが、壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)の際に盗掘されたという記録があります。
現在の碑石や象石などは仁祖25(1641)年、再び整備を行った際に設けられたといいます。


首露王妃・許黄玉とは

首露王の王妃は名を許黄玉といい、首露王7(西暦48)年に16歳という歳で船に乗り駕洛国に渡来、その後王妃となり、西暦189年にこの世を去ったといいます。現在の陵は朝鮮時代の仁祖19(1641)年に修築され今の姿になりました。
王妃が亡くなる直前に、二人の息子に母の姓である許氏を名乗らせたことから、金海許氏(キメホシ)の始祖となったといいます。