丹陽 温達洞窟(단양 온달동굴) - エリア情報 - 韓国旅行情報

丹陽 温達洞窟(단양 온달동굴)

丹陽 温達洞窟(단양 온달동굴)

11.3 Km    48280     2020-01-30

忠清北道 丹陽郡 永春面 温達路 23

* 太古の姿そのままに残る温達洞窟 *

丹陽(タニャン)温達洞窟(オンダルトングル)は、温達山城(オンダルサンソン)がある城山の麓の地下におよそ4億5千万年前から形成されたと推定される石灰岩天然洞窟です。
その主窟と枝窟の長さは760m、入口の高さは約2m、面積は34万9485平方メートルとなっています。
洞窟の存在は、朝鮮時代の地理書「新増東国興地勝覧」第14巻・忠清道(チュンチョンド)永春県(ヨンチュンヒョン)古跡条(コジョクチョ)に記録されています。
温達洞窟は1966年から学術調査が始まり、1975年に暫定的に公開されましたが、地理的な条件により一旦は閉鎖されてしまいました。しかし、洞窟公開に向け様々な施策を行い1997年に再び一般公開にこぎ着けました。
洞窟内はいまだ全く傷つけられていない太古の姿そのままに残されています。 洞窟は、高さが5mから10mほど、幅は5m程度の階段式の構造となっており、小さな石筍や鍾乳石がよく発達している洞窟です。
洞窟内の平均気温は夏期摂氏14度、冬期摂氏16度となっており、一年を通じて変化が少なく、格好の観光スポットとなっています。
特に地下水が豊富で、洞窟の底には水深80cmから1mほどの水たまりがあるほか、小規模な池もおよそ40か所ほどあり、ヤマメなどの魚類や昆虫などおよそ10種類ほどの生物も生息しています。


* 温達洞窟周辺の見どころ *

温達洞窟の外へ出ると、 洞窟の左手の頂に温達山城があります。高句麗(コグリョ)の素晴らしい築造技術を垣間見れる半円形のこの山城は、およそ1400年の歳月にもかかわらず原型がほとんどそのまま残されています。
また、 毎年10月菊の花がの香りがいっぱいとなる頃には、高句麗の名将・温達将軍と平岡公主(ピョンガンコンジュ=平岡姫)のラブストーリーの伝説をテーマにした「温達文化祭り」が盛大に開催されます。 温達観光地内のテーマ公園やチャンスン公園もおすすめの見どころです。

救仁寺(丹陽)(구인사(단양))

救仁寺(丹陽)(구인사(단양))

11.4 Km    50236     2024-03-15

チュンチョンブク道タニャン郡ヨンチュン面クインサギル73
+82-43-423-7100、+82-43-420-7397

1945年に創建された丹陽(タニャン)の救仁寺(クインサ)は、小白山(ソベクサン)に位置しており、全国に散らばる140余りの末寺を統轄する規模の大きなお寺です。大法堂や上月円覚大祖師(僧侶)の法語を刻んだ法語碑がとくに広く知られています。韓国仏教の歴史と文化を体験することができるテンプルステイを運営しており、日帰りまたは1泊2日で滞在しながら小白山の自然の中で心身を鍛錬することができます。

丹陽宝発峠(단양 보발재)

丹陽宝発峠(단양 보발재)

12.1 Km    0     2024-02-26

チュンチョンブク道タニャン郡ヨンチュン面ペクチャ里サン26-7

丹陽(タニャン)宝発峠(ポバルチェ)は、小白山(ソベクサン)北麓にある標高540メートルの峠道で、コドゥノミ峠とも呼ばれています。Sの字のように曲がりくねった道で、春は野花、秋は紅葉で美しい景色が広がり、ドライブをしたり展望台に駐車して写真を撮ったりするのにおすすめのコースです。近くに救仁寺(クインサ)と温達(オンダル)観光地があるので、そちらもあわせて観光するといいでしょう。

竹渓九曲(죽계구곡)

竹渓九曲(죽계구곡)

13.4 Km    36532     2021-05-29

慶尚北道 栄州市 順興面 竹渓路315番キル

竹渓九曲は慶尚北道栄州市順興面裵店里の小白山にある渓谷です。九つの谷を越えて絶景を作り出しているここは、高麗忠粛王の時の文臣であり文人の安軸(アン・チュク)が書いた「竹渓別曲」の背景になった場所です。また、退渓李滉(イ・ファン)もここに滞在しその美しさを賞賛したと言われています。

ソンビ村(선비촌)

ソンビ村(선비촌)

13.6 Km    16673     2022-08-18

キョンサンブク道ヨンジュ市スンフン面ソベンロ2796

ソンビ(学者)の故郷、慶尚北道栄州にある「ソンビ村(ソンビチョン)」は栄州の文化を知ることができると同時に、韓国の伝統文化を体験できる教育の場です。
「ソンビ村」では外国人観光客のために餅つきや提灯をもって町を巡ったり、伝統婚礼、ユンノリ(韓国のすごろく)・チェギチャギ(羽蹴り)などの民俗遊び、博物館見学など多様なプログラムを行っています。また、市場通りでは伝統料理が味わえます。その他、伝統家屋で宿泊体験ができ、昔のソンビたちの素朴な生活がうかがえる伝統文化イベント、礼節教育、観覧・体験などを通して韓国の文化を直に感じることができます。
近隣には韓国初の書院である紹修書院や紹修博物館、浮石寺などがあります。

栄州韓国ソンビ文化祭り(영주 한국선비문화축제)

栄州韓国ソンビ文化祭り(영주 한국선비문화축제)

13.6 Km    16590     2022-05-06

慶尚北道 栄州市 順興面 小白路2796
+82-54-630-8706~8709

栄州(ヨンジュ)韓国ソンビ文化祭りは、ソンビ精神の継承と教育を目的に、過去と現代を媒介とした歴史文化祭りです。2008年から始まり、毎年さまざまな見どころや体験プログラムが提供され、栄州を代表するお祭りとして位置づけられています。

イベント内容:
韓民族の精神文化のルーツを探り、ソンビの暮らしの風流を体験できる地域文化祭りです。「韓国精神文化のルーツ、ソンビ精神」をテーマにした伝統文化継承イベントとソンビの暮らしが感じられる多彩な公演・展示・体験プログラムが用意されています。

主なプログラム:
紹修1543、賜額奉安礼、K-Culture韓服ランウェイ、Home Coming Day、地域文化芸術公演、固有祭、ソンビ共感、「興」コンサート、ソンビ世界文化館、吾輩はソンビである、ソンビ村体験プログラム、夜景を楽しむソンビ、韓服着こなし大会、栄州文化特化地域造成事業市民主導イベントコンテンツ、メタバースイベント会場

小白山国立公園(慶尚北道)(소백산국립공원(경북))

13.7 Km    13535     2023-01-17

キョンサンブク道ヨンジュ市プンギ邑ポンヒョン面、タンサン面、プソク面、チュンチョンブク道タニャン郡

韓半島の背骨といえる太白山から西南に100里程度伸びているのが小白山(ソベクサン)です。小白山は1987年に国立公園第18号に指定されており、全体の面積は320.50平方キロメートルです。小白山の代表的な峰である毘盧峰頂上には野花やツツジが多く、第1蓮花峰から毘盧峰の間の北西斜面(標高1,200~1,350メートル)には韓国最大規模の朱木群落が分布しています。毘盧峰から竹渓川に沿って下れば石崙鉱山があり、石崙鉱山を過ぎると草庵寺があります。ここから更に下ると石川滝や聖穴寺などがあります。この谷には澄んだ水に生息するヤマメがいます。毘盧峰から南西側およそ4キロメートルは平坦な道で少し下ると蓮花峰に着きます。第1蓮花峰から国立天文台を過ぎると第2蓮花峰に到着します。この山の南側約4キロメートルのところに竹嶺という高い峠があります。小白山第2蓮花峰東側には新羅時代の寺である喜方寺と毘盧寺があり、喜方寺入口には喜方滝(28メートル)もあります。

草庵寺(栄州)(초암사(영주))

草庵寺(栄州)(초암사(영주))

13.7 Km    19463     2022-09-29

慶尚北道 栄州市 順興面 竹渓路315番キル 330
+82-54-633-2322

慶尚北道栄州市にある草庵寺は、小白山国望峰の南方の渓谷の下に義湘大師が建てた寺です。義湘大師が浮石寺に通っていた時、草の庵を結んで修道し、一時的に身を寄せていた所です。
浮石寺を建てた後、この場所に再び寺を建てましたが、巨大な石の土台などから見て大きな寺であったことが推測されます。

紹修博物館(소수박물관)

13.9 Km    20267     2021-03-05

慶尚北道 栄州市 順興面 小白路2780
+82-54-639-7691

慶尚北道栄州市順興面にある「紹修(ソス)博物館」は儒教と関連した伝統文化遺物を体系化して民族精神の根を探すことの出来る場所です。遺物と文献、民俗資料など重要な文化遺産約2万点を一目で見ることの出来るように展示してあり、地域文化の活性化と躍動感ある歴史体験をすることができます。

紹修書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](소수서원 [유네스코 세계문화유산])

14.0 Km    12758     2021-07-30

慶尚北道 栄州市 順興面 小白路 2740

韓半島最北端にある名山・白頭山(ペクトゥサン)から発する山脈・白頭大幹(ペクトゥデガン)へと続く小白山(ソベクサン)・霊亀峰(ヨンギィボン)の麓にある紹修書院(ソスソウォン)は、韓国で初めて王から扁額を下賜された賜額書院として有名です。
紹修書院は、朝鮮時代中期の文臣であり学者・周世鵬(チュ・セブン)が白雲洞書院(ペグンドンソウォン)を創建したのがそのはじまりです。
普段から高麗時代末の儒教の賢人・安珦(アン・ヒャン)を崇めていた周世鵬が、朝鮮時代のこの地域・豊基郡(プンギグン)のトップ・郡守(プンギグンス)の役職に赴任したのがきっかけでその翌年の1542(中宗37)年、安珦先生の故郷に祠廟を建て、ここに位牌を奉安、翌年1543年には学舎を建設し、祠廟と学び舎の機能を兼ね備えた祠院の体制を持つようになったのが白雲洞書院の始まりでした。