385.75460675354753m 6173 2020-07-31
大邱広域市 中区 慶尚監営キル67
大邱広域市中区布政洞に位置する「大邱近代歴史館(テググンデヨクサグァン)」は2011年1月24日に開館しました。この歴史館の西洋風の建物は1932年に設立された朝鮮殖産銀行大邱支店だったところで、日帝強占期、朝鮮に対する金融支配と朝鮮収奪の象徴となっていた建物です。現在は大邱市の有形文化財第49号に指定されています。
歴史館では19世紀後半から20世紀初頭の大邱の生活、風習、文化などを模型や展示物、映像などを通じて見ることができます。
398.00904378232565m 10303 2020-07-11
大邱広域市 中区 慶尚監営キル99
「慶尚監営公園(キョンサンガミョンゴンウォン)」は1601年、慶尚監営があった場所で大邱の都心中央に位置します。1910年から1965年まで慶尚北道の庁舎として使われ、庁舎が別の場所に移転した後、大邱市で1970年に中央公園として最初にオープンしました。その後1997年、都市の景観を害する塀を壊して公園全体を再建設すると同時に大邱の歴史と関連した文化遺産を教育の場として活用し、これを広く広めて保存するため慶尚監営公園と名称変更して今日に至ります。
慶尚監営公園は大邱の中心部に位置した都市の中の庭園で複雑な都市生活で溜まった疲労とストレスをすっきり解消できるように青々とした木々や美しい花畑、芝生広場がきれいに整備されています。暑さを忘れさせてくれる涼しい噴水、雰囲気の良い街灯と音楽そして穏やかな散歩道とベンチなどがある休憩場所として大邱を訪れる人々にお薦めの名所です。
慶尚監営公園内の見所
慶尚道の観察使の執務室である宣化堂(有形文化財第1号)とその居所として使用した澄清閣(有形文化財第2号)、そして観察使の治績が残された善政碑など大邱の歴史と関連した文化遺産が存在します。宣化堂は現在残っている役所や官庁などの建物がそれほどないことを考えると大きな価値を持っているといえます。正面6間、側面4間の平屋八作蓋瓦家で柱心包様式と翼工式の折衷型(木造建築の様式)になっています。
399.7549867927982m 0 2024-04-30
テグ広域市チュン区ククチェボサンロ593
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401.6778163359978m 6537 2023-12-13
テグ広域市チュン区ククチェボサンロ102ギル66
大邱近代路地は、大邱の路地を隅々まで歩きながら生きた歴史に触れられる体験旅行(アクティビティ)スポット。大邱は韓国戦争(朝鮮戦争)のとき、他の地域に比べると被害がさほど大きくない地域でした。そのおかげで戦中・戦後の暮らしぶりを伝える跡が比較的よく保たれています。大邱の地方自治体が運営する路地ツアーはテーマや動線によって分かれています。最も人気があるのは近代文化路地コースで、大邱の主な近代史を振り返ることができます。桂山カトリック教会や第一教会、故宅、旧華橋小学校など、アナログ感漂う大邱や韓国の歴史の足跡をたどってみよう。(ホームページで予約)
403.12227147927484m 0 2024-05-02
テグ広域市チュン区トンソンロ2ギル50-14(サムドク洞1ガ)
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419.7694902548715m 38979 2023-01-06
大邱広域市 中区 西城路6-1
+82-53-256-3762
大邱桂山洞2街84番地に位置する古宅は、抗日文学家として有名な詩人・李相和(イ・サンファ)が1939年から1943年まで暮らした家です。日帝強占期に民族独立のための抵抗精神を表現した詩人・李相和の思いが残っている場所です。
李相和古宅は、1999年から古宅を保存しようとする市民運動が始まり、軍人共済会が近隣に住商複合アパートを建築しながら古宅を購入し、2005年10月27日に大邱市に古宅を寄付しました。
大邱市は、敷地面積205平方メートル、建築面積64.5平方メートル(1階建て木造建築2棟)の古宅を補修し、古宅保存市民運動本部が募金で集めた財源をもとに古宅内に展示物を設置しました。
李相和古宅は、暗い時代を生きながら日帝に抵抗した民族詩人・李相和の精神を称え、子孫にその精神と文学的功績を継承する教育の場としても活用されています。
422.6059986725137m 10659 2024-07-05
テグ広域市チュン区ソソンロ10
大邱桂山洞聖堂は1886年、大邱地域での宣教活動を任されて赴任したロバート(Robert,A.P. 1853~1922)神父が今の桂山洞聖堂の敷地を買い取って建設が始まりました。1899年に韓国式木造で十字型の建物として建てられましたが1年あまりで焼失してしまいました。その後、再建築に着手してロバート神父が設計し、国内では探すのが難しいトタンやステンドグラスなどの材料はフランス及び香港から持ち込み使用しました。建物は工事が始まって3年が過ぎた1902年に完成しました。この建物は大邱地域では唯一残っている1900年代初期の建築物です。聖堂の平面はラテン十字型 (Latin cross)で中心の身廊(nave)と両側の翼廊(transept)から構成されています。この平面の構造は聖堂の平面、建物の外部と内部空間からはっきりと見ることができます。また、建物は全体的に鈍重なロマネスク様式を帯びていますが、尖塔とステンドグラス等のゴシック的要素が部分的に表現されています。
大邱桂山洞聖堂は嶺南地方に天主教(カトリック)を土着化するのに中枢的な役割をし、1911年朝鮮教区から分離、大邱大教区主教座本堂になり、初代主任神父にはロバートが任命されました。聖堂の敷地には設計者を記念する銅像と主教館があります。この聖堂の建物から東に約600メートル地点にある観徳亭殉教記念館には乙亥(1815年)・丁亥(1827年)・丙寅(1866年)迫害のとき仲間たちの隠れ家だったハンティコゲ・シンナムゴルなど交友村で捕まって処刑された殉教者らの遺物30点余りなど65点の遺物が展示されています。
425.37108707914865m 0 2024-04-30
テグ広域市チュン区トンソンロ5ギル46 1階
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426.55810033746076m 0 2023-02-27
テグ広域市チュン区トンソンロ2ギル80
1960年の2·28学生民主義挙を記念して2003年に設けられた公園です。2.28義挙に続き3·15、4·19にいたるまで大邱(テグ)歴史の悲しみを秘めている場所ですが、現在は都心における快適な憩いの場となりました。中央噴水を中心に散策路、人工の小川、広場など休息のための施設があり、周辺には有名なグルメスポットも多いため、大邱市民から親しまれています。