13.1Km 54177 2024-06-14
キョンギ道クァンジュ市ナムハンサンソン面ナムハンサンソンロ731
南漢山城(ナムハンサンソン)道立公園は、百済王朝と朝鮮王朝が首都の南側を守るために拠点としていた城郭です。中国の清朝が朝鮮を侵略した丙子胡乱の時、朝鮮時代の王、仁祖が避難してきて、行宮(仮宮)を建てました。これを機に、広州(クァンジュ)地域の行政も担当するようになり、多くの文化財が保存されています。
13.1Km 0 2024-02-20
キョンギ道クァンジュ市ナムハンサンソン面サンソン里
南漢(ナムハン)山城探訪路は、世界文化遺産に登録された南漢山城の価値に触れられる歴史テーマ道です。標高500メートルの険しい山に沿って築かれた長い楕円形の包谷式山城(城郭内に渓谷を取り囲んで築かれた山城)で、城郭の周囲だけで12.4キロメートルに達します。計5つのコースがあり、美しい景色を堪能しながら歩ける城郭沿いの散策路は、風情を感じさせます。
13.1Km 0 2024-07-17
キョンギ道ヤンピョン郡ソジョン面コブクパウィ1ギル200
西厚里(ソフリ)の森は2014年にオープンした10万坪規模の樹木園。手つかずの自然の森をモットーにし、自然を損なうことなく繊細に造園された美しい空間です。森の内部はチョウセンゴヨウの森、秘密の森、イロハモミジの森、メタセコイアの森、イチョウの森、ミズキの森、シラカバの森、クロフネツツジ展望台で構成されています。森林浴散策コースは所要時間1時間のAコースと30分のBコースがあります。
13.2Km 0 2024-02-16
キョンギ道クァンジュ市ナムハンサンソン面ナムハンサンソンロ212-5 GAEUL TERRACE
GAEUL TERRACEは、谷沿いにある居心地の良い森のカフェです。店内は全面ガラス張りになっていて、四季折々の自然の移り変わりをいつでも眺めることができ、カフェから続く道を下ると、すぐ渓流にたどり着きます。芳醇な香りのエスプレッソ、甘いいちごラテなどの飲み物やバターの風味豊かな、柔らかく香ばしいクロッフルが人気メニューです。屋外の席では、川のせせらぎを楽しむことができます。
13.3Km 1 2024-04-26
キョンギ道クリ市キョンチュンロ212(ステク洞) 1階
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13.3Km 0 2024-02-23
キョンギ道ヤンピョン郡カンハ面カンナムロ102-10
カントの村(カントウィマウル)は、韓屋の外観に欧州風のインテリアと屋外庭園をもつベーカリーカフェです。アンティークな屋内には多様な種類のデザートがあり、目を惹きます。看板メニューはカントブレンドアメリカーノとシグネチャークリームラテ。ヨモギ黄な粉餅、クロワッサン、生クリームのモンブランなどのデザートがあります。屋外庭園は話しながら散歩するのに最適です。
13.5Km 6071 2024-09-20
ソウル特別市 江東区 オリンピック路875
1925年の漢江大洪水で遺跡が発見されて以降、発掘調査を重ね、1979年7月26日に「岩寺洞(アムサドン)先史住居址」として国家指定文化財史跡に指定され、2011年「ソウル岩寺洞遺跡」に名称変更されました。韓国で発見された新石器時代の人々の最大集落であり、約23,600坪の敷地には芝生や木が茂り、556坪の2ヶ所の原始生活展示館、野外の9つの竪穴式住居および観覧客が直接入って新石器時代の人々の生活ぶりを見ることのできる開放型「体験竪穴住居」が設置されています。
原始生活展示館には、6000年前の家の跡地、櫛目文土器、石器、石斧など新石器時代の遺物および先史時代の映像を放映するのための約50席の映像室、新石器時代の人々の生活ぶりが見られる各種立体模型、発掘当時の現場縮小模型、自動作動62インチ3D映像プロジェクションTV、資料検索用タッチスクリーンコンピュータ、体験できる火おこし道具、記念写真撮影のための原人模型などが展示されています。
岩寺洞遺跡は韓国で最もよく整備された新石器時代の遺跡であり、特に出土遺物のうち、新石器時代の代表的な土器である櫛目文土器が有名です。
13.5Km 17978 2023-03-21
キョンギ道クァンジュ市ナムハンサンソン面ナムハンサンソンロ780ボンギル107-65
守御将台(守禦将台=スオジャンデ)は南漢山城(ナムハンサンソン)の西方にあります。将帥が指揮を執る「将台」が南漢山城に4つあり(南漢山城四将台)、ここはそのひとつです。守御将台は朝鮮時代の1624年から1626年にかけて軍事目的で建てられた楼閣です。守御将台とは要塞の防御を担う守御士(守禦士)が指揮・命令を行うところで、建立当時は単層の楼閣で「西将台(ソジャンデ)」と呼ばれ、1751年、首都を守るため、周囲の要塞で防衛の任に当たっていた地方官・留守(ユス)であった李箕鎮(イ・ギジン)が2階建ての楼閣に増築しました。当時、守御将台内には無忘楼(ムマンヌ)、建物正面の外側には守御将台と書かれた扁額が掛けられました。この守御将台は1636年、清が朝鮮に攻め込んできた丙子胡乱(ピョンジャホラン)の際、朝鮮王朝第16代の王・仁祖が自ら守御軍を指揮し、清のホンタイジ率いる12万の大軍と対峙し、45日間の抗戦に耐えた場所で、その後、三田渡(サムジョンド)で屈辱的な降伏をしました。