19.5 Km 4651 2024-02-14
テジョン広域市ユソン区ウングビナムロ7ボンギル73 1階
ファンインジン・テグタン・テグチムは、海鮮の蒸し物の専門店です。歯ごたえのある高タンパク質のたらに、豆もやし、各種野菜、魚介類を一緒に入れてピリ辛に味付けしたたらの蒸し物が看板メニューです。蒸し物に入る豆もやし、セリなどの野菜はシャキシャキして、さっぱりとした味わいが楽しめます。蒸し物は人数に応じてサイズ別に注文することができます。辛味によく合うたらの天ぷらも絶品です。
19.5 Km 23039 2024-06-04
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クンナムロ52
宮南池(クンナムジ)は新羅の善花姫と結婚した百済の第30代王である武王(子どもの頃の呼び名、薯童(ソドン))の薯童謠の伝説が宿る場所です。『三国史記』に「百済武王35年(634年)宮の南側に池を掘って約20里外から水を引き込み、周囲に柳を植え、池の中央に方丈仙山を象徴する島をつくった」という記録があることから、この池は百済武王の時代に造られた宮殿の庭園だったことがかわります。池の東側の丘から百済時代の基壇石と礎石、瓦のかけら、器のかけらなどが出土し、近くに離宮があったものと考えられています。宮南池は韓国最古の人工池といわれており、日本にも百済の庭園造園技術を伝えたといいます。その他、7月には薯童公園一帯で千万本の蓮の花が美しく咲く「扶余薯童蓮祭り」が開かれます。
19.5 Km 13 2024-02-14
テジョン広域市ユソン区ノウンドンロ75ボンギル12
トンシン水産は、大田ワールドカップ競技場の近くにある活魚の刺身と海の幸の専門店です。看板メニューは特上定食で、温かいカボチャ粥から始まり、様々な前菜料理がバスケットいっぱいに盛り付けられます。前菜だけでも色々な料理を少しずつ味わうことができます。メイン料理の新鮮な活魚の刺身は、歯ごたえが絶品で、季節によって刺身の種類が変わります。
19.6 Km 5564 2020-10-20
大田広域市 儒城区 ワールドカップ大路32
+82-42-610-2900
約42,000人の観客を収容できる「大田(テジョン)ワールドカップ競技場」は、2002年に行われた日韓ワールドカップ大会の際にオープンしたサッカー専用のスタジアムで、この年のワールドカップで韓国がベスト8進出を決めた場所です。スタジアムの屋根は韓国では初めて半開閉式で作られました。
19.7 Km 462 2024-06-03
チュンチョンナム道コンジュ市ヨンダンギル22
公州山城(コンジュ・サンソン)市場は1937年に開場し、5つに分かれたエリアごとに様々な品目を取り扱う大型市場です。公州博物館、公山城、武寧王陵などの観光地から近く、アーケードになっているので天気や季節に関係なく快適に見て回ることができます。グルメ横丁はキンパプ、にゅうめん、プルゴギなど、何を食べようか迷うくらい美味しいものであふれています。公州の特産品である栗で作ったマッコリや栗大福は必食。また夏の間、毎週末開かれるパンマシル夜市は夕暮れ時の風景をバックに文化公演、伝統遊び体験など様々なプログラムや豊富なグルメを楽しむことができることから人気です。
19.7 Km 14893 2024-03-28
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑ナルトロ31
クドゥレトルサンバプ、かつて百済の都だった扶余(プヨ)のクットゥレ飲食店通りにある韓国料理店で、看板メニューは石釜で炊いた美味しいご飯を色々なおかずと一緒に野菜で包んで食べる「野菜包み石釜飯」です。薬草など様々な包み野菜が提供されるヘルシーな料理です。
19.7 Km 723 2024-03-04
テジョン広域市ユソン区ワールドカップデロ32
+82-42-823-0022
1998年創業の中華料理専門店・梨花園(イファウォン)は、大田(テジョン)ワールドカップ競技場に位置しています。中国のホテルで働いた経歴の持ち主が料理長を務めているので、中国料理の真髄を味わうことができます。看板メニューはジャージャー麺で、他にも様々なセットメニューやコース料理が用意されています。
19.8 Km 7476 2024-04-07
チョンブク特別自治道 益山市 望城面 ナバウィ1キル146
ナバウィ聖堂は全羅北道益山市望城面に位置する天主教(カトリック)の教会です。全羅道地方でもっとも古い教会で、朝鮮時代の1845年に上海で神父となった金大建神父が韓国に帰国したのを記念して1906年に建てられました。この教会には1954年に建てられたバーモレルの功勲記念碑と1955年に建てられた金大建神父の殉教記念碑があり、毎年多くのカトリック信者が訪れます。
19.8 Km 27689 2020-03-18
忠清南道 扶余郡 扶余邑 ナルト路60
+82-41-830-2880
大王国の意味が込められた「クドゥレ彫刻公園(クドゥレジョガクコンウォン)」。
扶蘇山の西のふもとにあるクドゥレは白馬江と調和のとれた優れた景勝をなし、彫刻公園が整っていて、たくさんの人が訪れる安らぎの空間となっています。クドゥレナルは百済時代に都城だった泗沘城を出入りするような大きな渡船場でした。現在は白馬江を行き来する船着場となっており、その周辺は伝統料理や珍味が楽しめる食堂が数多く構えています。1985年度に国民観光団地としてクドゥレが造られ、古く百済人の彫刻技術を受け継いだ、この地域出身の有名な作家の作品30点と、1999年度国際現代彫刻シンポジウムに参加した国内外の有名な彫刻家の作品29点など、全59点の彫刻作品が展示され、昔ながらの情緒と現代的な美を兼ね備えた公園となっています。常に観光客のために解放されており、見る者の目を楽しませてくれます。また、ここは扶余の人々の憩いの場でもあり、「白馬江と水鳥がなき、一葉扁集、帆船を一人漕いでいく船頭」に始まることで広く知られる「白馬江月夜の歌碑」が建てられています。
なぜ「クドゥレ」というのか。
百済時代 、支配族はオラハ(於羅瑕)、百姓はコンギルジ(鞬吉支)と呼ばれていました。クドゥレというのは、「オラハ」の前に王称語「ク(大)」がつき、二語の間に持格促音の「ㄷ(d)」が入って「クドラハ」となり、更に縮まって「クドゥレ」に変遷されたと言われています。また、「クドゥレ」は「大王」を意味しており、日本書紀に百済を「くだら」と呼ぶ場面が多く表れるのも、大王国を意味し、高めて呼んでいたとみることができます。