16.3Km 2019-03-19
ソウル特別市 麻浦区 オウルマダン路35
+82-2-325-6071
「ローリングホール(ROLLING HALL)」は、10年間の弘大でのライブクラブの運営を通して培ったノウハウを活かし、大きく変化し続ける現在の文化市場において先を行く公演文化を作り続け、大衆とアーティストの距離を縮めるために設立されました。
ローリングホールは、国内外の有名なミュージシャンからアンダーグランドのミュージシャン、インディーズバンドに至るまで、ポップミュージックからヒップホップ、ジャズ、バラード、ロックに至るまで多様な公演が繰り広げられるオープンな空間です。また、舞台と客席がひとつになり一緒に楽しめ、ミュージシャンと観客がコミュニケートできる自由な場所でもあります。
弘大のライブクラブの自由な雰囲気を、より一層アップグレードした施設内で楽しむことができ、大規模な公演会場では感じることのできない身近で気楽な雰囲気の公演を楽しむことができます。最新設備により快適なライブ環境が作られており、優れた音響システムと華麗な照明システムを導入し、良質の公演を提供しています。サウンド・照明・舞台施設は多様な複合文化空間として活用できるよう企画・施工されています。
16.3Km 2024-03-20
ソウル特別市マポ区チャンダリロ6ギル34-5
トボゲッチトッポッキは、「トトク」という略称で親しまれており、ソウルに多くの支店がある人気の高いトッポッキチェーン店です。トッポッキを注文すると、トク、茹で卵、練り物、3種類の野菜が付いてきます。素麺、フライドポテト、チャーハンなどの追加メニューもあり、ガーリックバター味フライドポテトもぜひ味わっておくべきものです。店内はぬいぐるみやフィギュアで飾られていて、訪れる人を楽しませてくれます。
16.3Km 2021-07-31
京畿道 南楊州市 洪裕陵路352-1
洪裕陵は洪陵と裕陵を合わせた言葉です。丘を間にはさみ、同じ圏域にあります。
洪陵
洪陵は大韓帝国初代皇帝・高宗(コジョン)と明成皇后(ミョンソンファンフ)閔氏の陵です。元々洪陵は明成皇后の陵としてソウルの清涼里(チョンニャンニ)にありましたが、高宗の死後に今の場所に移され、一緒に祀られています。高宗は興宣大院君・李昰應の次男で、12歳の若さで王位につきました。高宗は1897年、大韓帝国樹立を宣布し皇帝の位につきましたが、日本の圧力が増す中、乙巳勒約を結んで外交権を日本に奪われ、1919年に徳寿宮にて67歳で崩御しました。明成皇后は驪城府院君・閔致禄の娘で、1866年に王妃となりました。1873年、高宗の親政(王が直接国の政治を手がけること)をきっかけに政治的実権を掌握後、親露政策に不満を抱く日本人刺客に殺害されました。
裕陵
裕陵は最後の皇帝である純宗と、その妃である純明孝皇后閔氏、継妃・純貞孝皇后尹氏を合葬した唯一の「同封三室」の陵です。純宗は高宗と明成皇后の2番目の息子で、朝鮮最後の王です。民族主権を守護しようとした悲劇的な歴史の王でした。純明孝皇后は純宗が即位する前、王の後継ぎの正妻として始めてオリニ大公園付近の龍馬山の麓に埋葬されましたが、純宗の死後、陵を移して合葬されました。純貞孝皇后は12歳の純宗の后となり、1910年、日本帝国が国権を奪おうとした際、玉璽(国家文書に使われた玉で作った王の印鑑)をスカートの中に隠したというエピソードの人物です。その後、国権は奪われ、大韓帝国は滅びてしまいます。死ぬ瞬間まで温和な性質と気品を忘れなかった純貞孝皇后は大韓帝国の最後の皇后です。
洪陵と裕陵は従来の朝鮮王陵と異なる点があります。それは朝鮮の国名を大韓帝国にかえた際、王を「皇帝」と称したほど、皇帝陵の様式に従い明・太祖の孝陵を見習って作ったことです。洪裕陵には他の王陵では見られなかったキリンやゾウ、獅子、ヘテなど多様な動物形態の石物があります。洪陵の石物は伝統的な方法で作られており、裕陵の石物は洪陵のそれよりも事実的かつ優れた手法が見られます。
16.3Km 2024-02-22
ソウル特別市マポ区トンギョロ267 1階
ソイ延南(ヨンナム)は、タイの雰囲気が漂うフォー専門店で、濃厚で深い味わいの看板メニューの牛肉フォーは絶品です。エビや豚肉、キノコなどを入れて揚げたポーピアトード(タイ風揚げ春巻き)、トムヤンフォー、ソムタムなども人気メニューです。行列ができるほど人気が高く、地元の人や観光客に愛されています。
16.3Km 2021-04-02
ソウル特別市 麻浦区 東橋路
+82-2-337-0211
餃子とナスの揚げ物が有名な中華料理店です。ソウル特別市のマポ区に位置した韓食専門店です。代表的なメニューは餃子です。