9.9Km 0 2024-05-02
チュンチョンナム道チョナン市トンナム区チョナンデロ574
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10.4Km 35353 2021-03-11
忠清南道 天安市 東南区 忠節路 410
+82-41-550-2445
朝鮮時代、首都・漢陽(現在のソウル)から忠清道(チュンチョンド)・全羅道(チョルラド)・慶尚道(キョンサンド)の三地方に向かう古の街道・三南大路(サムナムデロ)の分かれ道にあたる天安(チョナン)サムゴリ(三叉路)。三南大路は漢陽から南へ進み、ここ天安の地で二手に分かれます。一つは並川(ピョンチョン)を経て、清州(チョンジュ)、聞慶(ムンギョン)セジェの山越え、尚州(サンジュ)、永同(ヨンドン)、金泉(キムチョン)、大邱(テグ)、慶州(キョンジュ)、東莱(トンネ=現在の釜山)へと続く道で、もう一つは公州(コンジュ)を経て、論山(ノンサン)、全州(チョンジュ)、光州(クァンジュ)、順天(スンチョン)、麗水(ヨス)、木浦(モッポ)へと通じる道です。
贅を尽くした行列が通ったり、しがないソンビ(学者)が長旅で痛めた脚を休ませる場所でもあった天安サムゴリは、様々な言い伝えや民謡が残されている場所でもあります。中でも民謡の天安サムゴリ興打令(フンタリョン)は陽気な民謡の代名詞で、多くの人々が興に乗じて楽しめる民謡です。
この由緒ある天安サムゴリを観光地化するため、街路樹には枝垂れ柳を植え、池の畔には朝鮮時代に天安に置かれた行宮(離宮)・華祝館(ファチュッカン)の門楼・永南楼(ヨンナムル)を移築して造られたのが天安サムゴリ公園です。この公園では毎年、興打令祭りなど数多くのさまざまな文化行事が行わています。
10.5Km 76902 2024-02-22
チュンチョンナム道アサン市ソンアク面カンダン里510
講堂(カンダン)コル渓谷は、牙山(アサン)市と天安(チョンアン)市の境界をなす広徳山(クァンドクサン)北側の麓で、外厳川(ウェアムチョン)が流れる渓谷です。水が清らかでうっそうとした森を抱えているので森林浴と共に夏には水遊びも楽しめます。広徳山の登山路もよく整備されています。村にはキャンプ場、ペンションなどの宿泊施設があり、おいしい食堂もいくつか分布しています。
10.8Km 2523 2021-08-11
忠清南道 天安市 東南区 留糧路140
「緑園(ノグォン)」は20年以上の伝統をもつ韓定食専門店です。大小様々な個室を備えており、還暦祝い、誕生祝い、両家の顔合わせなど、各種イベントにも最適です。
12.3Km 1007 2021-05-14
忠清南道 天安市 東南区 ホソデキル110
トゥルコッ(野花)では韓定食、一品料理、肉類などを味わうことができ、食後に美しい野外庭園を散歩して楽しむこともできます。
12.8Km 41517 2024-01-09
忠清南道 天安市 東南区 木川邑 交川芝山キル 284-88
+82-41-620-6700
忠清南道天安市芝山里国学院内の20万平方メートルの敷地にある「韓民族歴史文化公園」は、檀君の開天思想や宗教、文化を超越した弘益精神を基に建設された場所です。
中央には高さ33メートルの韓国最大の「国祖・檀君立像」が置かれています。
また、開国の歴史広場には高句麗(朱蒙)、百済(温祚)、新羅(朴赫居世)の始祖像が置かれている他、護国歴史広場には広開土大王、忠武公・李舜臣将軍など韓国の歴史を代表する偉人像が展示されています。
公園の入口には天符経(大宗教の基本経典)碑石が置かれ、光復の歴史広場には柳寛順や安重根、尹奉吉などの独立運動家の偉人像が展示されています。さらには、世界の平和を祈願し、世界5大聖人の釈迦、孔子、イエス、ソクラテス、聖母マリア像も置かれています。
この他にも多勿展示館や善導文化体験場、彫刻公園、伝統民俗村、国弓場、乗馬広場などが完備されています。
13.3Km 4450 2024-09-12
忠清南道 牙山市 松岳面 道松路632番キル138
「鳳谷寺(ポンゴクサ)」は、松岳面の南端にある鳳首山(ポンスサン)のトンブク渓谷にある古刹です。うっそうと茂る松林に囲まれた入り口と背後に迫る山がこの静かで清らかな道場を一層引き立たせています。渓谷を前にした800坪もの敷地に大雄殿、香閣殿が並んでいて、その北側には「ロの字型」の大きな寮舎、さらにそのうしろには倉庫があります。
また敷地の入り口の南側の丘の上には三聖閣があります。この三聖閣と香閣殿は近年建てられたものですが、大雄殿と寮舎は古の雰囲気が漂う木造建築であり1891年の火災に遭い、修復されたものと記録から判断できます。また満空禅士が1895年7月に悟りを開き悟道頌を詠んだ仏教の聖地として知られています。
重要文化財
鳳谷寺大雄殿および庫房(忠清南道文化財資料)
仏画(忠清南道文化財資料)
13.4Km 5921 2021-11-22
忠清南道 天安市 東南区 広徳面 広徳寺キル30
広徳寺(クァンドクサ)は新羅の善徳女王の時代(637年)に慈蔵律師が創建し、興徳王の時(832年)に珍山和尚により再建されました。牙山市と天安市の境界になっている広徳山(699.3メートル)の東南方向、太華山(455.5メートル)の西南側の山裾にあります。一柱門の表側には「太華山広徳寺」、裏側には「湖西第一禅院」と書かれた扁額がかかっていて僧の禅の修行道場であることを示していますが、それはひっそりとした雰囲気からも感じられることでしょう。朝鮮時代初期に第7代の王である世祖が病を治すべく通ったとも伝えられていて、壬辰倭乱以前は忠清、京畿地域で最も大きな寺の1つとして数えられるほどの勢力を誇っていました。しかし壬辰倭乱で寺は焼失してしまい、現在かつての栄華を直接確認することはできません。大雄殿、冥府殿、千仏殿など大部分の建物は近年になって再建されたものです。
大雄殿の近くにある宝華楼の前には樹齢数百年になるクルミの木が、また尞舎の隣にも大きなクルミの木があることから、広徳寺には古くからクルミの木が自生していたことがうかがわれます。
境内は品良く整備されています。特に参道横を流れる渓流のそばには高名な僧である法頂の手による「無所有」ということば書かれた立札が立っています。「私たちの目標は豊に所有することではなく、豊に存在することである。生の量が問題なのではなく、生の質こそを問わねばならない」という一節が広徳寺を訪ねる人びとの心をきれいにしてくれます。