18.0Km 2022-05-11
忠清南道 扶余郡 扶余邑 聖王路247-9
扶余の白馬江を見下ろすように高くそびえたっている岩の絶壁が落花岩(ナックァアム)です。落花岩は百済が新羅と唐の連合軍に陥落した時、百済の三千宮女がまるで一片の葉のように白馬江の下に身を投げたという伝説で有名な場所です。落花岩は、この伝説のように女性の貞節を命よりも大切にしていた女性達の精神がにじみ出ている場所です。この岩石の上に1929年、この地域の郡守だった洪漢杓が百花亭という東屋を建てました。絶壁の下には「落花岩」という文字が刻まれていますが、これは朝鮮時代の偉大な学者だった宋時烈先生が書いたものです。
18.0Km 2024-04-22
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑クア里、クァンブク里
官北里(クァンブンリ)遺跡と扶蘇(プソ)山城は、百済が538年から660年まで首都にしていたとされる遺跡です。官北里遺跡は平時に王が居住して統治していた王宮で、扶蘇山城は戦争に備えて防御壁としての機能を果たしていました。多くの百済遺跡が発掘されたこの地域には泗沘(サビ)都城仮想体験館があり、案内サービスも提供されています。
18.2Km 2024-03-28
チュンチョンナム道プヨ郡プヨ邑ナルトロ31
クドゥレトルサンバプ、かつて百済の都だった扶余(プヨ)のクットゥレ飲食店通りにある韓国料理店で、看板メニューは石釜で炊いた美味しいご飯を色々なおかずと一緒に野菜で包んで食べる「野菜包み石釜飯」です。薬草など様々な包み野菜が提供されるヘルシーな料理です。
18.2Km 2024-04-08
チョンブク特別自治道イクサン市クンマ面トンゴド里
宝物に指定されている古都里(コドリ)石仏立像は、約200メートルの距離を置いて2体の石像が向かい合っています。この仏像には説話があり、陰暦12月になると年に一度だけ男女の仏像が出会い、明け方になって鶏が鳴くと元の位置に戻って行くといわれています。頭には四角の高い冠の上に平べったい四角の笠を被っています。四角の顔には細い目、短い鼻、小さな口がついており、土俗的な守護神の表情をしています。首は非常に短く、肩と顔がほぼくっついた形で、胴体には曲線はなく、腕は表現されず、手は腹部に描かれています。また、衣服には模様はなく、数本の線のみで描かれています。高麗時代には非常にシンプルに体を表現した巨大な仏像が多く作られており、この仏像もその一つです。
18.3Km 2021-03-24
忠清南道 舒川郡 韓山面 忠節路1173番キル 21-1
韓山素麯酒(ハンサン・ソゴクチュ)は忠清南道(チュンチョンナムド)舒川郡(ソチョングン)韓山面で醸造・生産されるおよそ1500年あまりの伝統を受け継いでいる韓国伝統酒です。味の深み、そして香りが大変素晴らしく、一度口につければその場を離れられないほどのおいしさであることから、座客酒(アンジュンペンイスル)とも呼ばれています。
素麯酒は元々、百済時代に宮中で飲まれた酒で、百済が滅亡した後、百済の遺民らがその憂さを晴らすために、韓山面乾止山(コンジサン)の周留城(チュリュソン)に集結、百済の宮中酒であった素麯酒を作り、飲んだと伝えられています。それ以来、韓山地域が素麯酒の発祥となり、韓山素麯酒と称されるようになりました。この他、『醸酒方』、『東国歳時記』、『閨閤叢書』、『飲食知味方』、『林園十六志』など、飲食に関連するさまざまな文献に記録されています。
18.4Km 2021-05-26
忠清南道 扶余郡 扶余邑 北浦路 108
百済(ペクチェ)の都の伝統と二十一世紀の未来が共存する扶余(プヨ)の中心地にある百済観光ホテル。
百済観光ホテルは素晴らしい環境の観光ホテルとして評判の宿泊施設です。洋室・オンドル部屋の客室をはじめ、宴会場、ウエディングホールなども完備、憩いのひとときを過ごせるだけでなく、様々なアクティビティにも最適なホテルです。
18.4Km 2020-03-18
忠清南道 扶余郡 扶余邑 ナルト路60
+82-41-830-2880
大王国の意味が込められた「クドゥレ彫刻公園(クドゥレジョガクコンウォン)」。
扶蘇山の西のふもとにあるクドゥレは白馬江と調和のとれた優れた景勝をなし、彫刻公園が整っていて、たくさんの人が訪れる安らぎの空間となっています。クドゥレナルは百済時代に都城だった泗沘城を出入りするような大きな渡船場でした。現在は白馬江を行き来する船着場となっており、その周辺は伝統料理や珍味が楽しめる食堂が数多く構えています。1985年度に国民観光団地としてクドゥレが造られ、古く百済人の彫刻技術を受け継いだ、この地域出身の有名な作家の作品30点と、1999年度国際現代彫刻シンポジウムに参加した国内外の有名な彫刻家の作品29点など、全59点の彫刻作品が展示され、昔ながらの情緒と現代的な美を兼ね備えた公園となっています。常に観光客のために解放されており、見る者の目を楽しませてくれます。また、ここは扶余の人々の憩いの場でもあり、「白馬江と水鳥がなき、一葉扁集、帆船を一人漕いでいく船頭」に始まることで広く知られる「白馬江月夜の歌碑」が建てられています。
なぜ「クドゥレ」というのか。
百済時代 、支配族はオラハ(於羅瑕)、百姓はコンギルジ(鞬吉支)と呼ばれていました。クドゥレというのは、「オラハ」の前に王称語「ク(大)」がつき、二語の間に持格促音の「ㄷ(d)」が入って「クドラハ」となり、更に縮まって「クドゥレ」に変遷されたと言われています。また、「クドゥレ」は「大王」を意味しており、日本書紀に百済を「くだら」と呼ぶ場面が多く表れるのも、大王国を意味し、高めて呼んでいたとみることができます。
18.5Km 2023-09-12
チュンチョンナム道プヨ郡ペクチェムンロ455
+82-41-635-6980
「大百済典(テベクチェジョン)」(旧百済文化祭り)は百済の首都であった忠清南道公州市と扶余郡で1955年から毎年開催されています。2015年7月に百済歴史遺跡地区が世界遺産に登録されたことから百済祭りは世界的な歴史文化祭りへと成長しています。
イベント内容
1.公式プログラム:開幕式、閉幕式
2.代表プログラム:水上マルチメディアショー、大百済典メディアアート館
3.市・郡参加公演:13の市・郡
4.百済海外交流国招請公演:7ヶ国
5.伝統文化公演:仮面舞フェスタ、世界無形文化遺産伝統公演など
18.8Km 2021-11-26
忠清南道 扶余郡 扶余邑 扶蘇路1-25
+82-41-830-2623
白馬江の川岸に位置する皐蘭寺(コランサ)は、百済末期に建てられたものと推定されています。百済の王が休息を取るための東屋だったという説もあれば、百済が滅亡するときに落花岩で身投げした三千人の宮女の精神を後世に伝えるために建てられたという説もありますが、皐蘭寺についてのはっきりした記録は残されていません。寺の後方にある岩の間には皐蘭井という井戸があり、井戸の上にある岩の間には皐蘭草が生えています。百済の王は1日に1回、皐蘭井から湧き出る水を飲んでいたといわれ、水を汲みに行く家来は、皐蘭草の葉を水に浮かべて皐蘭井で汲んだ水であることを証明しました。
この地は白馬江の美しい景色を観賞するのにこの上なく素晴らしい場所です。白馬江の遊覧船に乗って水上の情趣を楽しむのもよい思い出となるでしょう。
18.9Km 2019-03-19
忠清南道 舒川郡 韓山面 忠節路1089
韓山カラムシ館はカラムシの伝統とその製織技術を広く知ってもらい、伝承保存しようという目的で1993年8月にオープンしました。8万5千平方メートル規模の敷地内には伝統工房、教育館、韓山素穀酒製造場、土俗館などの施設があります。
教育館内の全施設にはカラムシの歴史を伝える考証書籍とはた織り機、カラムシ製品などが展示されています。伝統工房ではカラムシ草の栽培からカラムシの裂き方、編み方、結び方などの工程を再演します。また、250点余りの郷土文化資料が展示されており昔の人々の生活を見ることができます。展示室では韓山カラムシを素材にしたファッションデザインを通して現代人の好みに合わせた服を毎年制作・公開しており、さまざまなカラムシ製品の販売も行っています。韓山カラムシは夏用の高級生地として清楚さが自慢の品位ある天然生地です。