11.0Km 2020-12-25
ソウル特別市 恩平区 ヨンソロ29ギル14-3
+82-2-356-0953
コンブルは豚肉に豆もやしを入れて炒める辛い料理です。代表的なメニューは豆もやし入りプルゴギです。ソウル特別市のウンピョン区に位置した韓食専門店です。
11.0Km 2024-04-29
ソウル特別市ソンパ区オグムロ87、1123号(パンイ洞、チャムシルリシオン)
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11.0Km 2018-07-20
ソウル特別市 衿川区 ポッコ(桜花)路44キル 17
1960年代のソウルの雰囲気を感じたければ?
1960年代後半から80年代までソウル・九老(クロ)工団(工業団地)で仕事をしていた女工さんたちが暮らしていた住込み部屋を再現、当時の女工さんたちの仕事後の生活の様子を直接体験できる場所が九老工団労働者生活体験館です。
スニの漫画工作所、思い出のくじ引き、歴史及び職業体験、女工生活体験、思い出の弁当などさまざまな体験プログラムを通じて当時のソウルの工業団地の雰囲気を感じることができる空間です。
11.0Km 2024-09-23
ソウル特別市 松坡区 可楽路7キル21
+82-2-421-0970
ソウル石村洞古墳群の石積塚は、蚕室(チャムシル)地区開発事業の過程で発掘調査が行われた発見された古墳群です。
破壊の度合いがひどく全体的な規模は確認できませんが、第三号墳は紀元前後から登場する高句麗(コグリョ)の墓の形式である基壇式積石塚となっています。この古墳は小高い地形を平坦に整地し下の縁には大変大きく長い石を囲い、自然石で階段状に積み重ね三段構造となっており、古の高句麗地域であった旧満州(現・中国北東部)の通溝にある将軍塚に匹敵する大きなもので、規模は東西49.6メートル、南北43.7メートル、高さ4メートルを誇ります。従ってこの古墳は高句麗の人々が南方へ移動し、漢江(ハンガン)流域に百済を築いた初期の権力者の墓と思われます。第四号墳は正方形で、第三号墳とその築造方式が大変酷似した積石塚です。ここからも百済初期の軟質土器のかけらが多く出土し、この古墳の周囲では金で作られた細環式耳飾も1点発見されています。第五号墳は完全には発掘・調査されず、墓閣の構造と遺物に関してははっきりとはわかりませんが、ほぼ可楽洞(カラクドン)第一・第二号墳と同じ構造と推定されます。これらの古墳群のうち、史跡に指定されたのは第三号墳及び第四号墳の積石塚です。
百済時代の初期の墓と推定されるこの積石塚は百済が最も完成した四世紀ごろの対外関係あるいは三国時代の文化研究に大変貴重な意味を持つ古墳です。高句麗の積石塚と比べると、その規模や完成度において大差ないことから、三国時代初期の百済が隆盛なしていたことをを示すのと同時に、百済の支配層が高句麗の流れを汲む系統であることも推測できます。