808.4M 2024-04-24
ソウル特別市チュン区サミルデロ4ギル16(チュンムロ2ガ)
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810.4M 2024-05-03
ソウル特別市チョンノ区セジョンデロ159(セジョンロ、1階102号、2階・3階)
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811.9M 2024-06-19
ソウル特別市チュン区ソソムンロ11ギル1
+82-2-752-9376、2734
高麗(コリョ)サムゲタンは市庁(シチョン)駅近くに位置しているサムゲタン専門店です。サムゲタンは、下ごしらえをした幼い鶏肉を高麗人蔘、ナツメ、もち米などと一緒に入れてスープに煮込んだ伝統的なスタミナ食です。じっくり煮込んだ幼い地鶏と高麗人蔘の香りがするもち米粥が融合して淡泊してマイルドな食感が格別です。ウコツゲ(烏骨鶏)タン、アワビサムゲタンもあります。ミシュランガイドソウル2023年にも掲載された人気店です。
825.1M 2021-04-07
ソウル特別市 鐘路区 仁寺洞キル 7-1
勝洞(スンドン)教会は民主主義的色彩が濃い教会として出発しました。勝洞教会は京畿道(キョンギド)内の長老教会の母教会的役割も果たしていました。
勝洞教会が設立に至るまでには、まずヘロン(John W. Heron)が1894年に銅峴(トンヒョン)に設立した弘文洞教会(ホンムンドンキョフェ)までさかのぼります。弘文洞教会の信者の中には韓国の自主独立と内政改革を標榜した独立協会系の人物がおり、その人物らにより宣教師を殴打し追い出そうという計画を立てました。この一件で信者は分派、それぞれ別の教会を設立するに至りました。独立協会系の信者は1904年勝洞教会を設立、その他の信者は南大門教会へと発展しました。南大門教会はその後アメリカ合衆国長老教会病院であるセブランス病院を設立することになります。
1919年2月20日、勝洞教会の地下では当時の京城(現・ソウル)の各専門学校の代表者20人あまりが集まり、3・1運動の指針や計画を論議されました。
また勝洞教会に大韓女子基督教青年連合会(YWCA)が設立、女性の社会活動や奉仕活動の一翼を担う契機となりました。このように勝洞教会は日帝強占期の民族運動や社会活動に大きな役割を果たしました。
勝洞教会の建物は地上2階・地下1階建て、およそ660平方メートルの規模を誇ります。設計者や施工は未詳となっています。
現在は周辺の建物に隠れ、本来の威風堂々たる姿は見られませんが、建築当時には周辺の建物に比べ高くそびえる堂々たる建物でした。屋根の形態は十字型の切妻屋根で、正面の切妻は大きく、側面の切妻は2段となっており、現在は内部の祭壇を広げ、後面に2段の切妻となっています。正面中央部には大型アーチ窓(現在は現代的な四角窓に改造)を、その左右には小型アーチ開口部(現在は現代的な出入口に改造)を設け、切妻には円形窓を設けています。勝洞は仁寺洞(インサドン)に編入されましたが、設立当時の名称をそのまま使っています。
年代 : 1904年、1957年増改築
規模・様式:地上2階・地下1階建て、面積773.56平方メートル、ロマネスク風
830.8M 2024-05-02
ソウル特別市チョンノ区サンボンロ95(キョンジ洞、チョンロ1ガ) テソンスカイレックス102号
838.0M 2022-09-27
ソウル特別市チュン区ソソムンロ11ギル19
1885年アメリカ人宣教師「Henry Gerhart Appenzeller」が建てた韓国で初めての西洋式近代教育機関です。設立当初から英語の授業や全人教育を実践し、初代大統領の李承晩(イ・スンマン)大統領や金素月(キム・ソウォル)や周時経(チュ・シギョン) 羅稲香(ナ・ドヒャン)など、近代を代表する有識者らを輩出した教育の発祥地であり新しい文化の誕生の地でもあります。現在は培材大学校、培材高等学校、培材中学校が培材の伝統と歴史を受け継ぎ、人材の育成と社会奉仕を率先しています。
培材学堂歴史博物館
1916年に建てられた培材学堂東館を改装し、2008年に公開された培材学堂歴史博物館はソウル市の記念物第に指定された建築文化財です。ダイナミックな空間構成と現代的なデザインを加味した常設展示会場と毎年新規で行われる企画展示及び特別講座などで一般人には新しいタイプの体験空間を提供しています。
指定状況:ソウル特別市記念物 培材学堂東館(2001年3月15日指定)
開館日:2008年7月24日