840.3M 1103 2021-08-31
ソウル特別市 鐘路区 仁寺洞3キル 9
+82-2-720-4831
ソウル特別市のインサ洞に位置したトッポッキ専門店です。おすすめはチーズトッポッキです。ジャージャートッポッキも美味しいです。
842.3M 5040 2021-11-12
ソウル特別市 中区 乙支路30
ミシュラン3つ星シェフとして世界的に有名な「ピエール・ガニェール(PIERRE GAGNAIRE)」の名前をつけた「ピエール・ガニェールソウル」はパリ、東京、香港に続いて2008年10月1日、ソウルに4軒目をオープンしました。ピエール・ガニェールは、世界100大シェフの中から1位に選ばれており、革新的で多様な調理法、他とは違った芸術的感覚が秀でたフランス料理を味わえます。
842.3M 14868 2021-09-04
ソウル特別市 中区 乙支路30
日本の寿司店「銀座 寿司幸」、会席料理「つきぢ田村」から受け継がれた韓国最高の寿司や会席料理を提供する桃山。80銘柄を超える日本酒があり、日本酒ソムリエがおすすめの一本をセレクション。大切なおもてなしのための様々な個室も完備しています。
842.3M 30420 2018-06-22
ソウル特別市 中区 乙支路 30
+82-2-317-7305~6
8mx14mのプールで屋根に自動開閉式の窓があり、新鮮な外気を取り込み日光浴も楽しむことができるロッテホテル室内プール。自動ろ過及び水質管理システム、全身をマッサージしてくれるように水が流れ落ちる滝打ちマッサージ、酸素ルーム、紫外線ルームなどスイミング以外の設備も充実しています。
843.1M 20113 2021-02-08
ソウル特別市 鐘路区 仁寺洞14キル 30
智異山(チリサン)は韓国の情緒をたっぷり堪能できる仁寺洞にある韓国料理専門店です。清潔感溢れる店内と智異山という木製の看板が印象的なこのお店は、大豆料理がおいしいと評判です。おから入りテンジャン、スンドゥブ、チゲなど、毎朝新鮮な大豆で豆腐やおからを作りっています。海水のにがりを使用しているためその味は独特な味わいです。
伝統韓屋の趣を生かしたインテリアも目を引きます。塀をなくし、伝統韓屋をリモデリングしお店として利用しています。内部はガラスの天井から陽差しが室内に差し込むよう設計されています。昔ながらの工法でオンドル石と黄土とでできたオンドル部屋の床の上に敷いて座る藁編みの座布団が昔ながらの部屋の趣を感じさせます。
845.1M 9410 2020-08-31
ソウル特別市 中区 貞洞キル46
ソウル貞洞教会は韓国で最初のプロテスタント系の教会です。1885年、アメリカのメソジスト監理教会の宣教師アペンゼラーは、韓国に入国し培材学堂を建て、近代教育を始めました。彼は学校で宗教活動をしましたが、礼拝のための建物も購入し、ベゼル礼拝堂と名付け、1887年から礼拝を始めました。教員たちが増えるにつれて500名ほどを収容できる規模の教会の建設が必要になり、1895年に工事をはじめ、1897年12月26日に奉献式を開きました。この建物は現在まで唯一残る19世紀の教会建築です。
建物の構造は1階建てですが、天井が高く2階建てに見え、南側の鐘つき堂は3階建てです。アメリカ式の単純化されたゴシック様式で、建設当時の写真を見ると、近所の瓦屋や徳寿宮とも調和しています。ここでは多くの討論会や音楽会などが開かれ、キリスト教文化の受容と民族意識の鼓吹に大きく貢献しました。竣工当時は十字型で115坪だったものを1926年に両側部分を建て増しし、現在は175坪ほどになりました。建て増しという形式のため、竣工時の建物は当時の姿のままで、損傷はありません。建物はレンガ造りで、所々にアーチ型の窓を作りゴシック様式の単純化された教会堂の姿を作り出しています。レンガをまっすぐに積んだ造りからは、朝鮮時代の木造建築の職人の技が垣間見えます。この教会堂の鐘は装飾のない内部の柱とともに素朴な雰囲気を持っています。全体的に素朴な雰囲気を持っている北米系統の単純化された教会建築です。
所有者:監理教財団
面積:1,143.8平方メートル
848.7M 30815 2021-04-07
ソウル特別市 鐘路区 仁寺洞キル 7-1
勝洞(スンドン)教会は民主主義的色彩が濃い教会として出発しました。勝洞教会は京畿道(キョンギド)内の長老教会の母教会的役割も果たしていました。
勝洞教会が設立に至るまでには、まずヘロン(John W. Heron)が1894年に銅峴(トンヒョン)に設立した弘文洞教会(ホンムンドンキョフェ)までさかのぼります。弘文洞教会の信者の中には韓国の自主独立と内政改革を標榜した独立協会系の人物がおり、その人物らにより宣教師を殴打し追い出そうという計画を立てました。この一件で信者は分派、それぞれ別の教会を設立するに至りました。独立協会系の信者は1904年勝洞教会を設立、その他の信者は南大門教会へと発展しました。南大門教会はその後アメリカ合衆国長老教会病院であるセブランス病院を設立することになります。
1919年2月20日、勝洞教会の地下では当時の京城(現・ソウル)の各専門学校の代表者20人あまりが集まり、3・1運動の指針や計画を論議されました。
また勝洞教会に大韓女子基督教青年連合会(YWCA)が設立、女性の社会活動や奉仕活動の一翼を担う契機となりました。このように勝洞教会は日帝強占期の民族運動や社会活動に大きな役割を果たしました。
勝洞教会の建物は地上2階・地下1階建て、およそ660平方メートルの規模を誇ります。設計者や施工は未詳となっています。
現在は周辺の建物に隠れ、本来の威風堂々たる姿は見られませんが、建築当時には周辺の建物に比べ高くそびえる堂々たる建物でした。屋根の形態は十字型の切妻屋根で、正面の切妻は大きく、側面の切妻は2段となっており、現在は内部の祭壇を広げ、後面に2段の切妻となっています。正面中央部には大型アーチ窓(現在は現代的な四角窓に改造)を、その左右には小型アーチ開口部(現在は現代的な出入口に改造)を設け、切妻には円形窓を設けています。勝洞は仁寺洞(インサドン)に編入されましたが、設立当時の名称をそのまま使っています。
年代 : 1904年、1957年増改築
規模・様式:地上2階・地下1階建て、面積773.56平方メートル、ロマネスク風