ムンホンジョントンホテル[韓国観光品質認証](문헌전통호텔[한국관광 품질인증]/Korea Quality) - エリア情報 - 韓国旅行情報

ムンホンジョントンホテル[韓国観光品質認証](문헌전통호텔[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

ムンホンジョントンホテル[韓国観光品質認証](문헌전통호텔[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

11.7 Km    0     2023-12-04

チュンチョンナムド ソチョングン ファサンロ702(チルベクイ)ボンギル 41
+82-41-953-5896

「ムンホンジョントンホテル」は、忠清南道舒川に位置する韓屋ステイです。木垂木と床、土壁と石基壇、暖房のためのオンドルと、冷房のための床が調和していて韓屋の安らぎと深い趣を盛り込んでいます。総4軒の韓屋にそれぞれ2つの客室を配置し、静かながら余裕を持って休めます。セミナーや学会などの団体宿泊のため、全体貸切も可能です。 

論山江景塩辛祭り(논산 강경젓갈축제)

論山江景塩辛祭り(논산 강경젓갈축제)

11.9 Km    11688     2023-09-07

チュンチョンナム道ノンサン市クムベクロ45
+82-41-730-2973

「論山江景塩辛祭り(ノンサンカンギョンジョッカルチュッチェ)」は、韓国で最大の塩辛市場として知られる江景(カンギョン)で開催される見どころ、食べどころいっぱいの祭りです。江景の塩辛はすべての材料を原産地から直接仕入れ、昔から伝わる伝統の秘法を用いて現代化された清潔な施設で製造されています。

イベント内容
塩辛グルメ100選、塩辛キムチ漬け、塩辛づくり体験など

江景チョッカル市場(강경젓갈시장)

12.4 Km    4934     2021-06-17

忠清南道 論山市 江景邑 玉女峰路27番キル30-3
+82-41-745-1985

1930年代、最も賑わいを見せた江景(カンギョン)は、地理的にも内陸の奥まった場所に位置し、陸と海を結ぶ交通の要所として、さまざまな海産物の取引が行われていた街で、韓国全国各地から江景のチョッカル(塩辛)を買い求めに多くの人がやってきました。現在でも韓国全国最大のチョッカルの市場として知られ、さまざまな種類の塩辛を手軽な値段で購入できます。
チョッカルは、魚介類の魚肉や内臓に塩を加え、自然発酵・熟成させることで、無機質、タンパク質、魚脂肪分、アミノ酸などを含む塩辛となります。アミの塩辛やイワシの塩辛が全体の生産量の七割以上を占め、イカナゴを発酵させ作った液体状の塩辛(カナリエクチョ)、貝の塩辛(チョゲチョ)、イシモチの塩辛(ファンソゴチョ)などさまざまな種類の塩辛があり、中でも江景の塩辛は伝統の製法で作られるのが特徴となっています。
江景の塩辛は、栄養分が豊富で、十二分に熟成発酵した深い味わいが特徴で、キムチなどを作る際に加えたり天然調味料として広く使われており、消化吸収もよく、栄養価も高い食品です。
江景では在来式の土窟で熟成発酵させる方式ではなく、現代化された科学的な方法でおよそ摂氏10度から15度を保つことができる低温倉庫内で発酵させる方式を導入しています。発酵熟成期間は大部分が3ヶ月ほどとなっています。この発酵熟成期間は、先人たちが地面の下に甕を埋めたり涼しいところで発酵させたりして100日間発酵させ作った百日酒(ペギルジュ)の製法から見れば、低温で100日間発酵熟成させるということは科学的な意味があります。

江景 玉女峰(강경 옥녀봉)

江景 玉女峰(강경 옥녀봉)

12.6 Km    33312     2020-03-21

忠清南道 論山市 江景邑 北玉里
+82-41-746-8503

「玉女峰(オンニョボン)」は、論山八景のひとつです。玉女峰にある東屋からの眺めは、遮るものがなく、論山平野を一望できます。また、扶余や益山がパノラマのように目の前に広がり、平野と川、遠くの山々が絵画のような景色を作り出します。昔、この山の麓に流れる川の水は清く、山には木が生い茂り、四方には果てしない野原が広がっており、その景色は非常に美しかったといいます。そのため、明るい満月の日には天女が玉女峰に舞い降り、美しい景色を楽しみ、清らかな川の水で沐浴をしたと伝えられています。また、玉女峰にある烽燧台は全羅北道益山広頭院山の烽燧を受け、皇華山城、 魯城烽燧へ連絡していた所です。その他、ソンジェ亭(東屋)の真下には韓国初のバプティストの礼拝所が位置しており、 聖地巡礼地としても有名です。

扶余 加林城(부여 가림성)

12.7 Km    20936     2021-08-02

忠清南道 扶余郡 林川面 聖興路97番キル167

「加林城(カリムソン)」は百済東城王が泗沘城を守護するために錦江下流付近に築城したと言われています。加林城の駐車場から南門まで200メートル程度と近いので老若男女だれでも山城の美しい景色を見ることができます。岩の絶壁の横にある階段を登ると石垣の上に生えている巨大な1本の木が見えます。樹齢400年を超えるケヤキの木で「聖興山愛の木」と呼ばれています。この木を背景に『薯童謡』などのドラマが撮影されました。四方が開けていて周辺の風景がパノラマのように見渡すことができます。日の出のイベントが行われる場所でもあります。

国立益山博物館(국립익산박물관)

国立益山博物館(국립익산박물관)

12.7 Km    9547     2024-04-07

チョンブク特別自治道 益山市 金馬面 弥勒寺址路 362

「国立益山(イクサン)博物館」は三国時代最大の仏教寺院だった弥勒寺址(史跡)の西南に位置しています。弥勒寺址は1980年から1996年にわたって発掘が行われました。その発掘により収集された三国時代から朝鮮時代に至る約19,000点の文化遺産を保存・展示するため1997年全羅北道都立展示館として開館しました。2009年1月には弥勒寺址石塔(国宝)の解体補修過程で約1,100点の舍利荘厳具が出土しました。2015年7月には弥勒寺址がユネスコ世界文化遺産に登録されました。弥勒寺址と益山の歴史的価値を改めて見直す目的で2015年12月には国立弥勒寺址遺物展示館と名称を変更、続いて2019年2月には益山博物館と名称を変更しました。
歴史文化室と建築文化室では弥勒寺創建や変遷過程を物語るさまざまな所蔵品が展示されています。歴史文化室では舍利荘厳具をはじめ、仏教工芸品や時代別に寺院での暮らしぶりが分かる展示を行っています。建築文化室では百済最後の都があった泗沘(サビ/現在の扶余)の時代から朝鮮時代までの瓦など建築部材を展示しています。

江景近代通り(강경근대거리)

12.8 Km    0     2020-04-16

忠清南道 論山市 江景邑 玉女峰路 30-5

江景(カンギョン)は近代の時期に港を中心に一大経済圏が形成され繁栄した街。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、群山港(クンサンハン)が開港し、群山線や湖南線(ホナムソン)、長項線(チャンハンソン)といった鉄道が開通すると、江景における商業の中心地的機能は衰退していきました。
代表的な文化財としては、旧江景労働組合(登録文化財第323号)、旧韓一銀行江景支店(登録文化財324号)、江景旧 延寿堂乾材薬房(登録文化財第10号)、江景中央初等学校講堂(登録文化財第60号)などがあります。

益山弥勒寺址 [ユネスコ世界遺産(文化遺産)](익산 미륵사지 [유네스코 세계문화유산])

益山弥勒寺址 [ユネスコ世界遺産(文化遺産)](익산 미륵사지 [유네스코 세계문화유산])

12.8 Km    21731     2024-04-07

チョンブク特別自治道 益山市 金馬面 弥勒寺址路362

百済最大の伽藍、弥勒寺址

百済最大の寺院である弥勒寺(ミルクサ)創建については「三国遺事」に詳しく記録されています。新羅の善花(ソノァ)王女と婚姻し、王になった武王(ムワン 百済第30代王 600~641)が善花王女とともに龍華山(ヨンファサン 現在の弥勒山)の獅子寺(サジャサ)の知命法師を訪ねて行く途中のことでした。突然、池の中から弥勒三尊が現れ、これを機に弥勒寺を創建することになったのです。三尊のために殿(金堂)、塔、廊(花郎) を建てたとされています。これとは別に弥勒寺の創建には武王と善花王女の信仰だけではなく政治的な目的があったとの見解もあります。つまり、百済の国力を拡張させるため馬韓勢力の中心であったこの場所、金馬に弥勒寺を建てたと推測されています。

百済最大の寺院である弥勒寺を建てるにあたり、当時の百済の建築・工芸など各種文化の最高水準が発揮されていることばかりでなく、新羅の真平王が百工(職人)を送ったと三国遺事に記録されています。これは当時、三国の技術が終結されたことを意味します。弥勒寺が百済仏教で弥勒信仰の求心点があったことははっきりしていて、新羅最大の寺院である皇龍寺が華岩思想の求心点であったことと対比されます。皇龍寺が一塔三金堂式で、弥勒寺は三塔三金堂式の寺院配置です。皇龍寺は王を頂点にした華岩思想、弥勒寺は弥勒思想を寺院に具現化しています。

東宝城(동보성)

東宝城(동보성)

14.8 Km    2330     2024-04-07

チョンブク特別自治道 益山市 ハナ路437

「東宝城(トンボソン)」は本格中華の専門店です。グローバル化に合わせ、中国各地の料理に精通した大家をシェフとして招待し、各国のお客様を迎えています。個室から大型パーティー場まで備え、一品料理なども提供しています。

群山 臨陂駅舎(군산 임피역사)

14.9 Km    25756     2024-04-07

チョンブク特別自治道 群山市 臨陂面 書院石谷路 37
+82-63-454-3274

群山市臨陂面戌山里にある臨陂(イムピ)駅駅舎は1936年群山線の鉄道駅の駅舎として作られました。
1912年湖南線の支線として完成した群山線に位置する臨陂駅は元々、臨陂・邑内里に建設するはずでしたが、邑内里に住む儒学者が風水地理的な理由で反対し、戌山里を経由することになったという言い伝えがあります。

日帝強占期、群山線は全羅北道の農産物を群山港を通じ日本へ搬出する重要交通路として収奪の苦い歴史を経験したところでもあります。臨陂駅は当時の農村地域にある小規模簡易駅舎の典型的な建築形式や技法を生かして建てられた建物で、原型を比較的よく留めた形で残っており、建築的・鉄道史的価値が高い建造物です。
1995年4月1日に配置簡易駅となり、2005年9月30日貨物取扱を中止、続く2008年5月1日には旅客営業も中止となりました。