栄山江(영산강) - エリア情報 - 韓国旅行情報

栄山江(영산강)

栄山江(영산강)

14.6Km    2020-12-15

全羅南道 潭陽郡 水北面 開東シンギキル

潭陽郡龍面の龍湫峰(560メートル)を水源地とし、潭陽・光州・羅州・霊岩等を過ぎ、栄山江の河口堰を通って、黄海に流れ込む「栄山江(ヨンサンガン)」は、南西に流れながら光州川(11.8キロメートル)・黄龍江(45キロメートル)・砥石川(34.5キロメートル)・古幕院川(21.4キロメートル)・咸平川(15キロメートル)の支流と合流しています。潮汐の影響が羅州の付近まで及んでおり、沿岸農耕地に河川氾濫や農地侵食などの被害を与えたりもしましたが、1981年12月に河口堰が造られ、感潮区間が大幅に減少しました。

証心寺(光州)(증심사(광주))

証心寺(光州)(증심사(광주))

14.6Km    2021-11-04

光州広域市 東区 証心寺キル177

証心寺(チュンシムサ)は光州地域の代表的な仏教道場で、無等山の西側の麓に位置しています。統一新羅時代である9世紀中ごろに高僧・澈鑒禅師道允が建てた寺で、高麗時代である1094年に恵炤国師が建て直し、朝鮮時代である1443年に金倣によりまた建て直しが行なわれました。その後、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失しましたが、1609年に釋経・修装・道光らにより建て直しが行なわれました。以後も信者により何度も補修が行なわれ、韓国戦争の際にも大部分が焼失しましたが、1970年に大雄殿を始めとする建物が復旧しました。

筆岩書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](필암서원 [유네스코 세계문화유산])

14.8Km    2024-09-20

全羅南道 長城郡 黄龍面 筆岩書院路 184

筆岩書院(ピラムソウォン)は1590年に河西・金麟厚先生の後学と湖南の儒学者が中心となって建てたもので、1659年に王より「筆岩」の扁額が下賜されました。金麟厚先生は湖南で唯一、文廟に位牌が祀られています。筆岩書院には宝物に指定されている古文書(奴婢譜、院長先生案、執綱案、院籍、奉審錄、書院成冊など)や朝鮮の第12代国王・仁宗が金麟厚先生に下賜したという墨竹圖、河西遺墨など、60点余りの資料が残されています。筆岩書院は興宣大院君の書院撤廃を免れた47の重要書院のひとつで、日帝強占期や韓国戦争時にも被害を免れました。

光州湖(광주호)

光州湖(광주호)

15.0Km    2021-02-11

光州広域市 北区 忠孝洞、全羅南道 潭陽郡 古西面 光州湖

光州から東16キロメートル地点にある光州(クァンジュ)湖は潭陽湖・羅州湖・長城湖などと共にに栄山江流域開発事業の一環として栄山江の支流である古西川をダムでせき止めて1976年に竣工した湖です。4つの湖の中で一番規模が小さいですが、ダムの長さは505メートル、高さ25メートルで決して小さいダムではありません。潭陽郡古西面分香里のヨンデ山とその向かいを止めて作ったもので1974年に工事が始まり、1976年に完成しました。

光州湖の見どころ
光州湖は無等山の下にあり、周辺は秀麗な自然環境と調和した湖畔休養地であり、湖には多種の魚が生息しており、釣りの名所でもあります。

南平駅(羅州)(남평역(나주))

15.3Km    2025-02-01

全羅南道 羅州市 南平邑 東村路 313
+82-61-339-8615

南平(ナムピョン)駅は1930年12月に簡易駅として営業開始、1948年5月に普通駅に昇格しました。1950年の順天反乱事件により駅は焼失してしまいましたが、1956年7月に新たに建て替えられ、新駅舎となりました。駅舎の外観は比較的シンプルな構造をしており、駅舎前には線路、後方には駅前広場があります。駅務室は線路側の方にせり出すような形で造られており、通常はこの屋根が切妻屋根となっているところがこの駅では寄棟屋根で造られており、他の駅舎とは一線を画した形となっています。待合室上部の切妻屋根、建物の正方形と交差するような形で造られた切妻、駅務室の前に突出した部分を覆う屋根、そして待合室からホーム側に出たところにある細長いひさしも昔ながらの姿で残っています。

潭陽 鳴玉軒 苑林 (담양 명옥헌 원림)

潭陽 鳴玉軒 苑林 (담양 명옥헌 원림)

15.6Km    2024-10-22

チョンラナム道タミャン郡コソ面フサンギル103

全羅南道潭陽生態村後山里に位置する「鳴玉軒苑林」は朝鮮時代に呉希道(1583~1623)が暮らしていた家の庭園です。また、彼の四男である呉以井(1619~1655)が父の跡を継ぎここで書を読み多くの著述を残した別荘の地でもあります。
庭園の中に「鳴玉軒」を建て、前に四角の池を造り、周囲に花の木を植えるなど景観が美しいことからその名が知られています。鳴玉軒はこぢんまりとしたあずまやで、教育を受けさせるために建てられた建物です。ここを流れる水の音が、玉がぶつかりあって鳴る音のようであることから名付けられました。池の周囲には赤松やサルスベリなどが植えられており、池の上の小川のほとりには「鳴玉軒癸丑」の字が彫られた岩があります。
鳴玉軒苑林の右方には「後山里銀杏の木」あるいは仁祖大王繋馬杏と呼ばれるイチョウの木があります。樹齢300年以上の古木で仁祖が王になる前に全国を回る中で呉希道を見つけ、ここに来た際に乗ってきた馬をつないでおいたところと言われています。
鳴玉軒苑林は「瀟灑園」に次ぐ美しい民間庭園として、2009年に名勝に指定されました。

潭陽 息影亭(담양 식영정)

潭陽 息影亭(담양 식영정)

15.7Km    2024-12-02

全羅南道 潭陽郡 歌辞文学路 芝谷里
+82-61-380-2811

息影亭(シギョンジョン)歌辞文学館の横の小さな丘にあるあずまやで、1560年頃に建てられました。潭陽を貫通する光州川の水流が見下ろせるこの場所は、「影も休んで行く亭子」という意味を持っています。小さな建物の周辺にはさるすべりの木が茂っており、広い裏庭に座って光州川を眺めていると、自然と詩人になれそうな気がしてきます。特に、さるすべりが満開になる夏にはさらに美しい絶景を観賞することができます。

光州湖 湖生態園(광주호 호수생태원)

光州湖 湖生態園(광주호 호수생태원)

15.7Km    2024-02-29

クァンジュ広域市プク区チュンヒョセムギル7

光州(クァンジュ)湖のほとりに造成された生態公園で、自然観察園、自然学習場、芝生休憩広場、水辺湿地などで構成されます。野花17万本と3千本余りの樹木があります。様々な花や動植物を実際に見ることができます。沼地では様々な鳥の生態に触れられます。

コッピヌン春三月(꽃피는춘삼월)

コッピヌン春三月(꽃피는춘삼월)

15.9Km    2024-02-13

クァンジュ広域市トン区ソンギョロ50

コッピヌン春三月(チュンサムォル)は、美しい韓屋で韓国の伝統茶とスイーツが味わえるカフェです。お店で煎じた薬材に栗、イチョウの実、ナッツなどを入れた双和茶がシグネチャーメニューです。小豆がたっぷりかかった黒米アイスクリーム入りカキ氷、香ばしい黄な粉ラテも人気メニューです。 伝統菓子の薬菓やカレトク焼きと一緒に食べると、より美味しくいただけます。

環碧堂(환벽당)

15.9Km    2023-02-15

クァンジュ広域市プッ区ファンビョクタンギル10

堂号は霊川子・申潜(シン・ジャム)がつけたもので、碧澗堂(ピョッカンダン)とも呼ばれたと高敬命(コ・ギョンミョン)の『遺書石録』に書かれています。建物は正面3間、側面2間の八作屋根(入母屋造り)です。中央の2間を部屋にして前面と右側は木造りの床という変更形。元々は伝統的な楼亭様式だったものが、後代の増築により現在の形に変わったものと考えられます。ここには尤庵・宋時烈(ソン・シヨル)が書いた題額と、石川・林億齢(イム・オクリョン)と趙子以(チョ・ジャイ)の詩が扁額でかかっています。環碧堂(ファンビョクタン)についての詩は鄭澈(チョン・チョル)が書いたものが2編がありますが、それらは『松江続集』と『光州牧誌』に載っています。鄭澈の4代孫に当たる鄭守環(チョン・スファン)が金允悌(キム・ユンジェ)の子孫から買い入れ、現在は延日鄭氏家門が管理しています。

沙村・金允悌について
金允悌(1501~1572)の本籍は光山で、忠孝里(チュンヒョリ)で生まれました。1528年進士となり、1532年文科に及第して官職につきました。その後、羅州牧使など13の邑治の地方官を歴任し、官職を離れた後は故郷に帰って環碧堂を建て、後学養成に力を入れました。彼の弟子の中で代表的な人物として鄭徹や金成遠(キム・ソンウォン)などがいます。