4.7Km 32866 2022-12-20
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ177
臨津閣(イムジンガク)は韓国戦争の悲劇が残る場所です。戦争の痕跡を見学し、平和の大切さを学ぶことができます。多くの戦争遺物が散在しており、青い芝生が広がる平和ヌリ公園や展示館もあり、多くの観光客が訪れています。
臨津閣一帯は韓国戦争で激戦地となったところです。戦争が始まったころに爆破され、現在まで残っている「臨津江鉄橋」や、共産軍の捕虜となっていた韓国軍と国連軍が自由を求めて渡った「自由の橋」があります。北韓失郷民のために臨津閣が建てられ、臨津閣観光地に指定されました。現在は平和ヌリ、臨津閣平和ゴンドラ、6.25戦争拉北者記念館、遊園地などの新しい施設ができ、大規模な観光スポットとなりました。
戦争遺物
1.臨津閣
2.望拝壇
3.自由の橋
4.京義線チャンダン駅の蒸気機関車
5.参戦記念碑・追慕碑
4.8Km 9255 2022-09-23
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ148-53
臨津閣(イムジンガク)広場前の望拝壇(マンベダン)後方にある橋・自由の橋(チャユエタリ)。
1953年、韓国戦争で捕虜となった1万2,773人がこの橋を渡り南側へ帰還したことから、「自由の橋」と言われています。
元々京義線(キョンイソン)の鉄橋で、上下それぞれ1本ずつの橋がありましたが、韓国戦争中の爆撃により破壊され、橋脚のみ残っている状態でした。北に捕らえられた戦争捕虜を帰還させるため、臨津江(イムジンガン)下流(西)側の下り線にあった橋の橋脚に橋桁を架け、橋板を置いて復旧させ、この仮設の橋を完成させました。当時、捕虜らは車で京義線のこの橋の北端までやってきて、歩いてこの橋を渡りました。自由の橋は全長83メートル、幅4.5メートル、高さおよそ8メートルの規模を誇る橋です。
自由の橋は当時、木材を組んで造りましたが、特に荷重がかかる部分は鉄材も使いながら造りました。
仮設の橋であったため、建築的観点からはあまり素晴らしい点はありませんが、「自由への帰還」という象徴的な意味において、韓国戦争を代表する戦争遺産と言うべき橋です。
4.9Km 0 2023-01-16
キョンギ道パジュ市パピョン面チャンスンベギロ392
栗谷(ユルゴク)樹木園は植物遺伝資源の保全と増殖・展示のために整備された樹木園で、市民に多様な山林文化と休養サービスを提供しています。四季庭園・針葉樹園・岩石園・有実樹園・師任堂(サイムダン)の森など、美しい展示園を見て回り、多様な森の体験もできるようになっています。幼児向けの森体験や誰でも楽しめる山林治癒プログラムもあります。樹木園を囲むトゥルレ道は総延長5キロメートルで、展望台、ソルヒャンギギル(松の香り道)、ムンバウィ(門岩)などから多様な魅力を感じることができます。また北側には臨津江(イムジンガン)、東側には坡平山(パピョンサン)、紺岳山(カマクサン)など自然が美しい名山を一望できる他、栗谷・李珥(イ・イ)遺跡や黄喜(ファン・ヒ)先生遺跡地とも近いため、合わせて観光を楽しむことも可能です。
5.3Km 22493 2024-03-22
キョンギ道パジュ市タンヒョン面チョンスンロ88ボンギル23-81
黄喜政丞墓(ファンヒジョンスンミョ)は、朝鮮初期に活躍した黄喜(ファン・ヒ)の墓です。墓域は3段で整備されており、墳丘の規模も大きなものとなっています。黄喜は、朝鮮の基盤づくりに大いに貢献した官吏で、朝鮮第3代国王の太宗(テジョン)と第4代国王の世宗(セジョン)を補佐し、外交・法治・科学・国防の分野において大きな業績を残しました。子孫が尊敬の念を込めて墓地を整備しました。
5.9Km 2423 2022-09-06
キョンギ道パジュ市クンネ面チョクシプチャロ137
「キャンプ・グリーブス」は韓国戦争停戦協定後約50年間、米軍2師団506歩兵大隊が駐屯し、2004年米軍撤収後2007年8月に韓国政府に返還されたところです。将校宿所、生活館、体育館などさまざまな軍施設がそのまま保存されており、近代文化遺産としての文化的価値が高いといえます。その特性を活かして民間人のための平和安保体験施設へと生まれ変わりました。ここは南北間の衝突を防ぐためにつくられた非武装地帯、DMZ南方限界線からわずか2キロメートルしか離れておらず、坡州の民間人統制区域内初のユースホステルでもあります。米軍将校の宿所1棟をリモデリングしたユースホステルは最大240人収容でき、1階に事務室と小講堂、2・3階に宿所、4階に大講堂と食堂があります。ここを訪れるさまざまな年代の人々を楽しませるため、安保○×ゲーム、統一祈願ミニチャンスンづくり、ソッテづくり、特級戦士選抜、チャレンジDMZゴールデンベルなど多彩なプログラムを用意しています。
※民間人統制区域:非武装地帯の南方限界線から南方5~20キロメートルにある民間人立ち入り規制区域。
6.5Km 27 2024-02-29
京畿道 坡州市 郡内面 統一村キル 220
統一(トンイル)情報化村は、民間人出入統制区域の北端に位置している村です。板門店(パンムンジョム)、第3地下トンネル、都羅(トラ)展望台などの安保観光地があります。また、豊かな沃土と恵まれた環境から生産されるチャンダン高麗人参、チャンダン豆、チャンダン米などの農産物で有名です。板門店見学は訪問を希望する前月の10日午前から申込でき、身分確認のためパスポートを持参しなければなりません。周辺の観光スポットとしては臨津閣(イムジンガク)、坡州出版団地があります。
6.7Km 9913 2024-03-22
キョンギ道パジュ市クンネ面トンイルチョンギル64
統一村長湍豆村(トンイルチョン・チャンダンコンマウル)は、DMZ(非武装地帯)から近い豆腐料理専門店です。訪問時には身分証明書を持参して検問を通る必要があります。長湍豆は他の豆よりコクのある味が特徴です。長湍豆を使った長湍豆定食、豆腐の寄せ鍋、テンジャンチゲ、長湍コングクス(夏限定)があります。
7.7Km 22650 2024-09-20
京畿道 坡州市 法院邑 紫雲書院路204
父・李元秀と母・申師任堂の間に生まれた、朝鮮中期を代表する学者で経世家である栗谷・李珥先生(ユルゴク・イイ)の遺跡です。
栗谷・李珥は、九回受験した科挙で全て壮元(一等)だったため「九度壮元公」と呼ばれ、大司諌、大司憲、大提学、刑曹・ 兵曹・吏曹判書といった要職をすべて歴任しました。また、彼は朝鮮儒学界において退渓・李滉と双壁を成す代表的な学者として畿湖学派を形成し、党争の調整、10万大軍の養成、大同法、社倉実施などに尽力しました。
遺跡地内には栗谷・李珥をはじめとする家族の墓、紫雲山の麓に彼の位牌を祀る「紫雲書院」、1683年に建立された「紫雲書院廟庭碑」と「李珥先生神道碑」がある他、栗谷・李珥の遺品および一代記を展示した「栗谷記念館」があります。
1973年に紫雲書院、栗谷李珥廟、申師任堂廟はそれぞれ京畿道文化財に指定されましたが、2013年2月、栗谷李珥関連の遺跡がひとつの空間に集まっている、その場所性が認められ国家史跡「栗谷李珥遺跡」に昇格しました。
7.9Km 17218 2024-02-29
キョンギ道パジュ市ウォルロン面タラクゴゲギル121-2
031-945-0898
楊平ヘジャンククは、月籠(ウォルロン)市民公園近くに位置している韓国料理店です。看板メニューはソンジ酔い覚ましスープ(牛血と野菜を煮込んだスープ)です。たっぷりと材料を入れて盛りたくさんで、身体の奥まですっきりとする熱いスープが格別です。より辛いスープを楽しみたい場合は、ラー油とトウガラシの漬物をもう少し追加すれば良いです。周辺の観光スポットとしては坡州(パジュ)出版都市、ヘイリ芸術村、臨津閣(イムジンガク)があります。
8.1Km 1659 2021-06-24
京畿道 坡州市 炭県面 検山路424-12
約1万3200平方メートル規模を誇る「笑鬱園(ソウルウォン)」は「笑顔溢れる空間」を意味し、草木と戯れながら、日ごろのストレスを解消するヒーリング空間を提供しています。庭園樹、庭園石、盆栽など、様々な植物や岩で庭園が飾られており、温室では熱帯植物が訪れる人を楽しませてくれます。モダンなインテリアのカフェがあり、庭園を眺めながらコーヒーを飲むことができます。