大興東軒(대흥동헌) - エリア情報 - 韓国旅行情報

大興東軒(대흥동헌)

大興東軒(대흥동헌)

19.3 Km    3293     2020-04-14

忠清南道 礼山郡 大興面 ウィチョウンヒョンジェキル 33
+82-41-339-7332

東軒(トンホン)とは各地方の地方官・守令(スリョン)が政務を執り行っていた建物のことで、守令の生活の拠点となっていた内衙(ネア=西軒[ソホン])と区別し、内衙の東に建っていたことから東軒と呼ばれるようになりました。
つまり東軒は、守令が仕事をする官庁の本庁舎のような建物だったのです。
ここにある大興東軒(テフントンホン)は正面6間(14.4m)、側面2間(4.8m)、軒高3.3mの垂木が一段の構造となっている軒の入母屋造り木造瓦屋根の建物です。
この大興面(テフンミョン)にある東軒は朝鮮時代後期の建築様式の建物で、上梁文に永楽5(1407)年に建てられたとの記録があり、大興郷校(1405年)とともに朝鮮時代の第3代の王・太宗(テジョン・在位:1400~1418年)の時代に建てられたものと思われます。
康熙42(1703)年には重修を行ったという記録があり、朝鮮時代の第19代の王・肅宗(スクチョン・在位:1674~1720年)の治世時に大興(テフン)が郡に昇格した当時、重修されたものと見られます。
現在の東軒の建物は、一時期、日帝強占期(1910~45年)に大興面が礼山郡(イェサングン)に編入された後、大興面事務所に改築されたことがあります。日本の植民地から解放された後も大興面事務所として使われていましたが、大興面事務所が現在の場所に新築されたのを受け1979年に解体・復元を行い、元の東軒の姿を取り戻しました。

白馬江(백마강)

白馬江(백마강)

19.8 Km    30838     2021-06-02

忠清南道 扶余郡 窺巌面 百済門路553

全羅北道長水郡長水邑で発源し、忠清道を通って江景から忠清北道・全羅北道の境に達して群山湾に流れる錦江の下流区間を白馬江と言い、「百済の一番大きな川」という意味です。窺岩面虎岩里にある天政台から世道面頒詔院里までの16キロメートルの錦江のことを言います。

白馬江の見所
扶蘇山の周りを流れる白馬江には百済時代の重要な歴史を決定した天政台、落花岩、釣龍台、彫刻公園があるクドゥレ、浮山・大哉閣、自温台、水北亭などがあります。また、皐蘭寺の下にある白馬江には小さな島のような岩を釣龍台と呼び、唐の将軍蘇定方が百済に侵攻してくる時に、川を渡って来るのを防ごうとした龍をこの岩で釣ったとの伝説があります。大哉閣は白馬江の川岸の浮山の絶壁にあり、その中には自然岩盤に「至痛在心 日暮途遠」と書かれています。

百済園(백제원)

百済園(백제원)

19.8 Km    3954     2021-02-24

忠清南道 扶余郡 窺岩面 百済門路553
+82-41-832-0041

「百済園(ペクチェウォン)」は小規模ながらも、植物を特性に合わせて集約するとともに芸術作品とした扶余で唯一の植物園と、植物・農業資料、扶余に関する資料、近代生活史資料、映画関連資料、音楽関連資料など、百済時代から近現代に至るまでの各種資料や文化遺産を展示した扶余生活史博物館を有し、歴史観光と文化体験を楽しむことができる複合文化空間です。