3.0 Km 10056 2024-02-29
キョンギ道パジュ市チャンダン面チェサムタンクルロ310
都羅(トラ)展望台は、板門店(パンムンジョム)から一番近いDMZ展望台です。板門店の他にもDMZ内に位置している台城洞(テソンドン)村、北韓の山と農地、高麗王朝(918~1392)の都だった開城(ケソン)市などが見渡せます。個別観光は許されず、DMZ平和観光を経由してのみ行けるようになっていますが、事前予約した場合のみ臨津閣(イムジンガク)から出発します。パスポート、外国人登録証などの身分証明書を持参しなければなりません。
3.5 Km 45059 2024-02-29
キョンギ道パジュ市クンネ面チェサムタンクルロ210-358
第3地下トンネルは、北韓が韓国を侵攻する目的で作ったトンネルのうち3番目に当たる1978年に見つかりました。今まで見つかった4つのトンネルのうちソウルから最も近いです(約52キロメートル)。総延長1.6キロに幅が2メートルで、1時間当たり約3万名がこのトンネルで移動することができると推定されます。事前予約が必要で、臨津閣(イムジンガク)から出発します。パスポート、外国人登録証などの身分証明書を持参する必要があります。
3.8 Km 7943 2024-02-27
京畿道 坡州市 汶山邑 伴鴎亭路85番キル13
伴鴎亭(パングジョン)ナルトチプは古めかしい韓屋の、長い歴史を誇るウナギ焼きの老舗です。ウナギは韓国人のスタミナ食て、塩焼きにするか甘い醤油ソースをかけて焼いて食べます。肉たっぷりのウナギは炭焼きで、表面はサクサクして中は柔らかいです。火の味がするウナギ焼きと澄んだ豆もやしククがあるおかずのバランスが良く、仕上げですいとん入りのピリ辛ナマズの辛味スープも格別です。
3.9 Km 42171 2024-03-22
キョンギ道パジュ市ムンサン邑パングジョンロ85ボンギル3
伴鴎亭(パングジョン)は、高麗末期と朝鮮初期の文官である黄喜(ファン・ヒ)が領議政(朝鮮時代の最高官職)から辞退し、晩年を過ごした場所で、臨津江(イムジンガン)の下流に建てられた亭です。黄喜先生遺跡地には、黄喜の死後、その死を追悼するために建てられた影堂(ヨンダン)と黄喜の業績についての資料がある景慕斎(キョンモジェ)などがあります。
6.5 Km 0 2024-06-27
キョンギ道パジュ市ムンサン邑ムンヒャンロ71 シンソンタワー104号
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6.7 Km 26013 2020-02-20
京畿道 坡州市 坡平面 花石亭路152-72
+82-31-952-9233
花石亭は元々高麗末の儒学者であった吉再が、官職をやめて郷里に帰り後学を養成した所でしたが彼の死後、彼を追慕する意味を込めて建てられた書院です。その後、手付かずのまま一時廃墟になりましたが康平公 李明晨が世宗25年(1443年)に東屋を建て、1478年に李宜碩が修理し李叔咸が花石亭と命名した由緒正しい場所と言われています。花石亭の周辺にはケヤキの木が鬱蒼と生え、その下を流れる臨津江には朝夕船が通ったり、夜には漁業する灯火が美しかったと言われていますが、現在は臨津江に鉄格子があるため遮っており、今も残るケヤキだけが当時の様子を寂しげに物語っています。
7.4 Km 30348 2022-09-20
京畿道 坡州市 坡州邑 統一路1586-24
+82-31-940-4631
6.25戦争(韓国戦争=1950~53年・休戦)中、命を落とした韓国軍将兵の護国精神を称え統一を祈願するため、1973年6月京畿道(キョンギド)坡州邑(パジュウプ)鳳棲里(ポンソリ)に作られた総面積およそ4万1000平方メートルの広さを誇る公園です。
休戦会談当時、国連軍従軍記者センターがあった京義線・文山(ムンサン)駅付近にある統一公園には、韓国戦争の惨劇を全世界に報道するため韓国戦線に従軍記者として派遣され殉職したソウル新聞ハン・ギュホ記者をはじめ米国記者10人、フランス記者2人、英国記者4人、フィリピン記者1人など国内外18人の従軍記者を慰霊する韓国戦殉職従軍記者記念碑があります。
この他、韓国戦争当時、身を呈しての激戦を展開し殉職した肉弾十勇士忠勇塔及び蓋馬(ケマ)高原反共遊撃隊慰霊塔、イ・ユジュン大領及びキム・マンスル少尉記念像などもあります。
統一公園は、陸軍第1師団で輝かしい功績を打ち立てた将兵の護国精神を称え英霊を追悼するとともに、最も重要な場所で重要な業績を打ち立てた師団将兵の高い敢闘精神を後世に広く伝えるため建設された公園です。
8.1 Km 22493 2024-03-22
キョンギ道パジュ市タンヒョン面チョンスンロ88ボンギル23-81
黄喜政丞墓(ファンヒジョンスンミョ)は、朝鮮初期に活躍した黄喜(ファン・ヒ)の墓です。墓域は3段で整備されており、墳丘の規模も大きなものとなっています。黄喜は、朝鮮の基盤づくりに大いに貢献した官吏で、朝鮮第3代国王の太宗(テジョン)と第4代国王の世宗(セジョン)を補佐し、外交・法治・科学・国防の分野において大きな業績を残しました。子孫が尊敬の念を込めて墓地を整備しました。