5.4 Km 14797 2024-03-07
インチョン広域市ヨンス区チョンリャンロ70ボンギル40-18
興輪寺(フンリュンサ)は、仁川(インチョン)清凉山(チョンリャンサン)に位置している仏教寺院です。最初に建てられたのは1376年でしたが、火事で焼失し、1927年から再建が始まりました。お寺の建物や造形に金を塗っているのでおしゃれです。梵鐘の色も、高さ40mの青銅釈迦大塔も金色です。興輪寺は、その眺めと夕焼けでも有名です。仁川の松島(ソンド)方向が眺望でき、遠く海に浮かぶ仁川大橋まで鑑賞できます。
5.4 Km 427 2019-07-11
仁川広域市 延寿区 凌虚大路179番地43
+82-32-834-1771、7667
仁川広域市延寿区の「ホテルキューブ」はビジネスやレジャーなど各種旅行に最適の施設を兼ね備え、最高の快適さと便利さを約束しています。ホテル滞在中にはレクリエーション施設をはじめ様々な施設の利用が可能です。
仁川には映画やドラマのロケ地が数多くあり、『時越愛(イルマーレ)』のポストがある席毛島や映画『実尾島』のロケ地では干潮時に海を歩いて渡ることができます。
5.5 Km 26440 2023-11-06
インチョン広域市チュン区チャユゴンウォンナムロ25
近代文化交流の場「済物浦倶楽部」
済物浦(チェムルポ)倶楽部の建物は開港期の仁川に居住していた米国・ドイツ・フランス・ロシアをはじめとする外国人や人数は少ないものの日本人・中国人らが親睦を深める社交場として1901年に建てられました。
煉瓦造り2階建てのブリキ屋根の建物で、内部には社交室・図書室・ビリヤード台などがあり、屋外にはテニスコートもありました。
1914年、外国人居住地域である各国租界が廃止されると、日本の在郷軍人会館、婦人会館、1945年の光復以降には在韓米軍がこの建物を利用していました。
1953年から1990年までは仁川市立博物館として、1990年から2006年までは仁川文化院として使われてきましたが、2007年、元々の済物浦倶楽部として再スタートしました。
済物浦倶楽部の名称
「済物浦倶楽部」の元々の名称は「済物浦クラブ」でした。しかしながら租界の制度が廃止され、「クラブ」が日本式の漢字表記「倶楽部」と表記するようになり、その名称がそのまま使われ今日に至っています。
5.5 Km 10535 2020-08-31
仁川広域市 延寿区 凌虚大路179番キル60
+82-32-832-9560
「オールインホテル」は、北東アジアの中心都市である経済首都仁川に位置しています。仁川はきれいで自然豊かなところとして、約150の島と近代・現代が共存している都市でもあります。仁川の観光地としては、月尾島公園、仁川開港地、遊覧船と浪漫の沿岸埠頭、新鮮な海産物があふれる蘇莱浦や舞衣島、松島などがあります。また、生きた教科書とも呼ばれる江華島は子ども連れの旅にもおすすめです。
5.5 Km 1740 2021-05-24
仁川広域市 延寿区 清涼路113番キル1
「漢陽亭(ハニャンジョン)」が使用するカモは、江華から直送される生カモで、硫黄を食べて育ったため、皮が薄く、淡白な味わいが特徴です。ほろ苦い漢方薬剤の香りと香ばしいカモ肉の香りが食欲をそそります。
5.5 Km 8766 2024-02-28
仁川広域市チュン区チェムルリャンロ232ボンギル46
自由公園は仁川港が開港し5年後に造られた韓国初の西洋式公園です。
敷地が高台にあり広々とした園内には木々も鬱蒼と生い茂っており、散策におすすめの公園です。
公園の最も高台になっているところには韓米修好100周年記念塔が建っています。1882年4月韓国と米国の間で調印された韓米修好通商条約締結を記念し、100周年となった1982年に建てられたものです。
韓国戦争(1950~53年・休戦)で仁川上陸作戦を成功に導いたマッカーサー将軍の戦功を称えるマッカーサー将軍銅像もすぐそばにあります。銅像は仁川上陸作戦が成功裏に終わった7年後の1957年9月15日に完工しました。
自由公園の高台からは遠く仁川沖まで眺められます。自由公園内には小さな動物園や八角亭、然吾亭、ベンチなど憩いの場もあります。
マッカーサー銅像があることから、お子様連れの方々にはよい歴史教育の場としてもご活用いただけます。
毎年4月になると自由公園へ上る道は桜の花で満開となります。この時期に合わせて桜祭りも開催されています。
公園の高台から眺める仁川港や月尾島(ウォルミド)の風景も最高です。夜が更けるころになると自由公園から一望する仁川港の夜景は大変素晴らしく、カップルのデートコースとしても大変有名な場所となっています。
近くにはチャイナタウン、新浦洞(シンポドン)市場、仁川百貨店などがあります。少し足を伸ばせば沿岸埠頭、月尾島へも行くことができます。
時間に余裕があれば、自由公園から下ってくる道すがらにある虹霓門(ホンイェムン)に立ち寄ってみるのもおすすめです。虹霓門は仁川に住む日本人が自国の租界と杻峴(チュクヒョン)駅(現在のKORAIL京仁線・東仁川駅)を繋ぐ道路を造るため鷹岩山(ウンアムサン)の山の一部を削る形で1906年に着工、2年後の1908年に完成したトンネル状になった門です。この門の上部の形がアーチ型で虹の形に似ていることから、虹霓門と呼ばれるようになりました。