成三問先生遺墟址(성삼문선생유허지) - エリア情報 - 韓国旅行情報

成三問先生遺墟址(성삼문선생유허지)

成三問先生遺墟址(성삼문선생유허지)

9.0 Km    0     2024-01-18

チュンチョンナム道ホンソン郡ホンブク邑メジュクホンギル403-12

朝鮮時代の死六臣(世祖の時代、端宗の復位を謀ったために処刑された6人の忠臣)の一人である成三門(ソン・サンムン)の母方の祖父である朴潭(パク・タム)の古宅があったところであり、成三門が生まれたところとして知られています。成三門をはじめとする死六臣(朴彭年(パク・ペンニョン)、李塏(イ・ゲ)、柳誠源(ユ・ソンウォン)、河緯地(ハ・ウィジ)、兪應孚(ユ・ウンブ))の位牌を祭った魯恩檀と祭壇が設置された壇所があります。

徳山道立公園(덕산도립공원)

徳山道立公園(덕산도립공원)

9.9 Km    2354     2021-05-29

忠清南道 礼山郡 徳山面

「徳山(トクサン)道立公園」は徳山面の柿梁里、斜川里、屯里、上加里、光川里などを含み、1973年に道立公園に指定されました。公園内には元暁峰、石門峰、韓国・湖西地方の小金剛と呼ばれる徳崇山、ヘテ岩など美しい渓谷や滝や修徳寺があります。
修徳寺の大雄殿は浮石寺の無量寿殿、安東市の鳳停寺の極楽殿とともに現存する高麗時代の木造建築です。大雄殿は1936年から4年間、寺を修復し大きな梁から出てきた墨書で、高麗時代の忠烈王朝34年(1308年)に建立されたということが分かりました。
国宝49号である大雄殿は、現存している高麗時代の建築物の中でも特異なもので、百済の様式のような曲線が建物にみられます。また間口3間、奥行4間の平屋の切妻造りで荘重な趣があります。

※徳山道立公園は1990年11月1日から、炊事行為が全面禁止されています。

徳崇山地区:修徳山、歓喜台、見性庵、金剛岩、定恵寺、小林草堂、萬恭塔、一柱門、尼寺など
伽耶山地区:伽耶寺址、玉渓貯水、南延君の墓、サンファン寺址、報徳寺、五十道岩、オギャンの滝、亀岩、高麗チャギ墓地

主要文化財
修徳寺の大雄殿(国宝49号)、修徳寺の大仏、三重の石塔、七重の石塔、六槐亭、 満空禅師の舎利塔、ファンハ楼、聖宝博物館

忠義祠(梅軒尹奉吉義士遺跡)(충의사(매헌 윤봉길 의사 유적))

忠義祠(梅軒尹奉吉義士遺跡)(충의사(매헌 윤봉길 의사 유적))

10.3 Km    7537     2020-05-18

忠清南道 礼山郡 徳山面 徳山温泉路183-5
+82-41-339-8232

礼山から北西に23キロメートルのところに位置する「忠義祠」は、日帝強占期に独立闘士であった尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が生まれ、亡命するまで農村啓蒙と愛国精神の高揚に努めたところで、尹義士の義挙や愛国心を称えるために1968年に設立されました。毎年4月29日には尹義士の愛国心を記念して梅軒文化祭が開かれています。また、尹義士の貴重な遺品は記念館に展示されており、宝物第568号に指定され、保護されています。

広川土窟アミの塩辛市場(광천 토굴새우젓시장)

広川土窟アミの塩辛市場(광천 토굴새우젓시장)

10.6 Km    23896     2024-02-26

チュンチョンナム道ホンソン郡クァンチョン邑クァンチョンロ285ボンギル8-20

広川(クァンチョン)土窟アミの塩辛市場は、洪城(ホンソン)と保寧(ポリョン)の間、広川に位置している伝統市場です。広川は黄海から近いため、黄海から獲れた水産物、エビを原料とする塩辛と海苔が特産物として挙げられます。広川のアミの塩辛は土窟トンネルに保存して熟成させたので質が高いです。農産物、水産物、衣料品、雑貨なども販売しています。

礼山 任存城(예산 임존성)

礼山 任存城(예산 임존성)

10.8 Km    6272     2022-08-17

チュンチョンナム道イェサン郡クァンシ面マサ里サン28

礼山郡光時面と大興面、洪城郡金馬面が出合う地点に海抜483.9メートルの鳳首山があります。この山頂にある任存山城は、高い位置に井戸を掘って水を集めておき、攻撃のときに排水口を開けて水を噴き出させ、敵を一時的に苦境に陥れる攻撃を加える目的で造られた城です。
任存山城は約4キロメートルのテメ式(7、8合目の稜線に沿って水平に峰を一周する方式)の石垣で築造されており、城壁の高さは2.5メートル、幅は3.5メートルで、南側の城壁はひどく曲がりくねっており、城内には7、8メートルの内堀があります。外壁は石を積んで造られており、中は土で埋められています。周囲の長さは約5,194尺、高さ約2.5メートル、幅約3.5メートルで、馬で走っても十分な広さがあります。660年に百済が羅唐連合軍に負けたとき、義慈王のいとこの弟である福信、道琛(僧侶)と黒歯常之が3年間、後百済復興運動の拠点として活用し、百済の山城の中でもっとも規模が大きく、山城研究の基礎となっています。
城郭に沿って下りると大蓮寺があり、頂上からは南から西へと伸びる烏棲山、白月山、伽倻山を一目で見ることができます。この城の特徴は、四隅を堅牢な造りにするため、他の場所より2メートルほど厚く内托(外側は石造りにし、中は割石や土で埋める方法)にし、城の高さも高めになっています。光時面馬沙里方向からは城の下まで林道を利用し、車で駐車場まで行くことができます。

伽倻観光ホテル(가야관광호텔)

11.1 Km    1943     2020-04-14

忠清南道 礼山郡 徳山面 新平1キル 14
+82-41-337-0101

伽倻観光ホテルは、伽倻山(カヤサン)と徳崇山(トクスンサン)の青々と生い茂る森が印象的で、水がきれいで静かな自然を満喫できる徳山(トクサン)道立公園の麓にあるホテルです。
格調高い雰囲気と最高の施設を誇る伽倻観光は大・小さまざまな宴会場を兼ね備えているほか、地下602mから湧き出す水温45度の天然硫黄ナトリウム泉の供給を受けた温泉もあります。

オンヨンプライベートビラ[韓国観光品質認証](온연 프라이빗 빌라[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

オンヨンプライベートビラ[韓国観光品質認証](온연 프라이빗 빌라[한국관광 품질인증]/Korea Quality)

11.1 Km    0     2023-09-20

チュンチョンナムド イェサングン オンチョンダンジ1(イル)ロ 69-5
+82-41-337-1888

「オンヨンプライベートビラ」は、忠清南道礼山郡徳山温泉団地に位置する温泉ステイです。一軒家として運営され、野外テラスに露天風呂があり、何の邪魔もなく静かに日常の疲れを癒すのに良いです。 

SPLAS RESOM(스플라스 리솜)

11.1 Km    23718     2024-06-04

チュンチョンナム道イェサン郡トクサン面オンチョンダンジ3ロ45-7

SPLAS RESOM(スプラス・リソム)は約600年の長い歴史を持つ湧出温度49.6度に達する徳山温泉水を使ったウォーターパーク、スパ、リゾートが楽しめる複合休息空間です。政府が指定した保養温泉の温泉水がウォーターパーク内15の露天風呂、ウォータースライダー、バーデプールなどすべての水遊び施設だけでなく、全客室に供給され、年中いつでも温泉を満喫できます。この温泉にはケイ素、カルシウム、マグネシウムなどのミネラル成分とともに多量のシリカ成分が含まれており、お肌によいだけでなく、血管強化、免疫力アップ、関節炎の疼痛緩和などに役立ちます。その他、ララゴルフクラブ、マイリトルスプラス(キッズカフェ)、ミニカーランドなど多様な施設を備えています。

徳山温泉地区(덕산온천지구)

徳山温泉地区(덕산온천지구)

11.3 Km    14758     2021-02-18

忠清南道 礼山郡 徳山面

『東国輿地勝覧』や『世宗実録地理志』などの昔の史料から500年の温泉の歴史が確認できる「徳山(トクサン)温泉」の由来はとても神秘的です。李栗谷先生の著書『忠宝』によると、「羽と足をケガした鶴が飛んできて、ここから湧き出る水を傷に塗って治してから飛び去っていったので、鶴がとまっていた場所をよく見てみたところ、温かくヌルヌルする水が湧き出ていた」と記されています。
徳山温泉は1917年に初めて浴槽を利用した温泉としてオープンしました。ゲルマニウム成分が含まれた45度以上の天然重炭酸ナトリウム温泉水は、筋肉痛や関節炎、神経痛、血行促進、皮下脂肪除去、細胞再生促進などに効果があり、全国最高の温泉水として認められています。温泉地区内には温泉9ヶ所の他、観光ホテル、一般ホテルなどの約50ヶ所の宿泊施設や、各種飲食店などの施設があります。

大興東軒(대흥동헌)

大興東軒(대흥동헌)

12.1 Km    3293     2020-04-14

忠清南道 礼山郡 大興面 ウィチョウンヒョンジェキル 33
+82-41-339-7332

東軒(トンホン)とは各地方の地方官・守令(スリョン)が政務を執り行っていた建物のことで、守令の生活の拠点となっていた内衙(ネア=西軒[ソホン])と区別し、内衙の東に建っていたことから東軒と呼ばれるようになりました。
つまり東軒は、守令が仕事をする官庁の本庁舎のような建物だったのです。
ここにある大興東軒(テフントンホン)は正面6間(14.4m)、側面2間(4.8m)、軒高3.3mの垂木が一段の構造となっている軒の入母屋造り木造瓦屋根の建物です。
この大興面(テフンミョン)にある東軒は朝鮮時代後期の建築様式の建物で、上梁文に永楽5(1407)年に建てられたとの記録があり、大興郷校(1405年)とともに朝鮮時代の第3代の王・太宗(テジョン・在位:1400~1418年)の時代に建てられたものと思われます。
康熙42(1703)年には重修を行ったという記録があり、朝鮮時代の第19代の王・肅宗(スクチョン・在位:1674~1720年)の治世時に大興(テフン)が郡に昇格した当時、重修されたものと見られます。
現在の東軒の建物は、一時期、日帝強占期(1910~45年)に大興面が礼山郡(イェサングン)に編入された後、大興面事務所に改築されたことがあります。日本の植民地から解放された後も大興面事務所として使われていましたが、大興面事務所が現在の場所に新築されたのを受け1979年に解体・復元を行い、元の東軒の姿を取り戻しました。