沿岸埠頭サッパ通り(연안부두 밴댕이회무침거리) - エリア情報 - 韓国旅行情報

沿岸埠頭サッパ通り(연안부두 밴댕이회무침거리)

4.3 Km    6245     2020-11-27

仁川広域市 中区 沿岸埠頭路24-1

江華道と仁川は昔からサッパという魚の産地として有名です。仁川九月洞の総合文化芸術会館の向かいに位置する「サッパ通り」は今から30年以上前に初めてサッパを売る店ができ、今はもうその店はなくなってしまいましたが、そこで働いていた人たちが別で店を構え始め、今のサッパ通りができたといいます。サッパ通りに集まっている刺身店ではサッパの刺身や和え物、サッパ焼き、辛味鍋などを安く味わうことができます。サッパは3~4月中が一番美味しい時期で、身がしっかりとし、脂がのっており、刺身にして食べても焼いて食べても、辛味鍋にして食べてもその格別な味を味わうことができます。また、サッパの塩辛でヤンニョム(甘辛だれ)を作っておけば、それだけでも食欲をそそる絶品おかずになります。

開港場通り(개항장 거리)

開港場通り(개항장 거리)

4.3 Km    33744     2023-11-06

インチョン広域市チュン区チェムルリャンロ232ボンアンギル27

1883年の仁川(インチョン)開港以来、126年の歳月の足跡が残る歴史と文化の出会いの場所・開港場通り。
この通りは旧日本領事館の建物である仁川広域市中区(チュング)庁舎をはじめ、旧日本第一銀行仁川支店、旧日本第十八銀行仁川支店、旧日本第五十八銀行仁川支店などの近代建築を見学できる通りです。
この他にも旧日本郵船株式会社の建物や仁川のアートプラットフォーム、済物浦(チェムルポ)倶楽部など歴史の痕跡を自ら見て聴いて感じられるそんな場所です。
開港場通りでは仁川文化観光解説士によるガイドも行なっており、事前予約をすれば専門ガイドによるガイドも可能です。専門ガイドによる、より深い解説を聞きながら歩いて観光を楽しむことができ、家族連れや団体旅行の方々にも好評を博しています。

仁川旅客ターミナル(인천여객터미널)

仁川旅客ターミナル(인천여객터미널)

4.3 Km    21041     2017-11-30

仁川広域市 中区 沿岸埠頭路70
+82-32-885-0180

仁川港旅客ターミナル(인천항여객터미널)

仁川港旅客ターミナル(인천항여객터미널)

4.3 Km    29203     2021-04-27

仁川広域市市 中区 沿岸埠頭路88

仁川港にある旅客線ターミナルで、国際旅客ターミナルと沿岸旅客ターミナルで構成されています。国際旅客ターミナルは、第1国際旅客ターミナルと第2旅客ターミナルに分かれており、沿岸旅客ターミナルは、島嶼部や済州島行きなどが就航しています。

自由公園(仁川)(자유공원(인천))

自由公園(仁川)(자유공원(인천))

4.3 Km    8766     2024-02-28

仁川広域市チュン区チェムルリャンロ232ボンギル46

自由公園は仁川港が開港し5年後に造られた韓国初の西洋式公園です。
敷地が高台にあり広々とした園内には木々も鬱蒼と生い茂っており、散策におすすめの公園です。
公園の最も高台になっているところには韓米修好100周年記念塔が建っています。1882年4月韓国と米国の間で調印された韓米修好通商条約締結を記念し、100周年となった1982年に建てられたものです。
韓国戦争(1950~53年・休戦)で仁川上陸作戦を成功に導いたマッカーサー将軍の戦功を称えるマッカーサー将軍銅像もすぐそばにあります。銅像は仁川上陸作戦が成功裏に終わった7年後の1957年9月15日に完工しました。

自由公園の高台からは遠く仁川沖まで眺められます。自由公園内には小さな動物園や八角亭、然吾亭、ベンチなど憩いの場もあります。
マッカーサー銅像があることから、お子様連れの方々にはよい歴史教育の場としてもご活用いただけます。

毎年4月になると自由公園へ上る道は桜の花で満開となります。この時期に合わせて桜祭りも開催されています。
公園の高台から眺める仁川港や月尾島(ウォルミド)の風景も最高です。夜が更けるころになると自由公園から一望する仁川港の夜景は大変素晴らしく、カップルのデートコースとしても大変有名な場所となっています。
近くにはチャイナタウン、新浦洞(シンポドン)市場、仁川百貨店などがあります。少し足を伸ばせば沿岸埠頭、月尾島へも行くことができます。

時間に余裕があれば、自由公園から下ってくる道すがらにある虹霓門(ホンイェムン)に立ち寄ってみるのもおすすめです。虹霓門は仁川に住む日本人が自国の租界と杻峴(チュクヒョン)駅(現在のKORAIL京仁線・東仁川駅)を繋ぐ道路を造るため鷹岩山(ウンアムサン)の山の一部を削る形で1906年に着工、2年後の1908年に完成したトンネル状になった門です。この門の上部の形がアーチ型で虹の形に似ていることから、虹霓門と呼ばれるようになりました。

仁川開港場近代建築展示館(인천 개항장 근대건축전시관)

仁川開港場近代建築展示館(인천 개항장 근대건축전시관)

4.3 Km    29603     2018-08-04

仁川広域市 中区 新浦路23番キル77
+82-32-760-7862

日本が韓国の金融界を支配する目的で建てた旧仁川日本十八銀行支店は、1890年10月にオープンしました。銀行としての業務がいつまで続いていたのかという記録はなく、1954年には韓国興業銀行の支店となり、現在は中区開港場一帯の近代建築物の現状を紹介する展示館として活用されています。一階建ての古典的な装飾の施された折衷主義の建物で、壁は組積造にモルタル、柱と基壇部は石で仕上げられています。出入口の石柱は非常に精巧で、屋根は木造トラスの上に日本式の瓦を使った寄棟屋根となっており、異国の雰囲気を漂わせています。

仁川開港場文化財夜行(인천 개항장 문화재 야행)

仁川開港場文化財夜行(인천 개항장 문화재 야행)

4.3 Km    9915     2023-11-07

インチョン広域市チュン区シンポロ27ボンギル80

仁川開港場には文化財が与える独特な雰囲気や知っているようで知らない新しい魅力があります。「仁川開港場文化財夜行」は歴史と未来が共存する象徴的な空間で文化財とともに過去、現在、未来を行き来する時間旅行をお届けします。

沿岸埠頭(연안부두)

沿岸埠頭(연안부두)

4.3 Km    51928     2020-08-05

仁川広域市 中区 沿岸埠頭路70
+82-32-777-1330

西海(ソヘ)に浮かぶ島しょ部とを結ぶ旅客船のターミナル・沿岸埠頭。鮮度抜群の魚介類や塩辛・チョッカルなどを手頃な値段で買うことができる仁川総合魚市場や水協(漁協)直営で市価の6~7割ほどの値段で提供する刺身センター、海釣りを楽しめる南港埠頭があるほか、海水風呂もあり、近年観光特区にも指定されました。けたたましい船の汽笛が近くで聞こえる沿岸埠頭は仁川広域市中区の象徴であるとともに、未知の島へ向かう人々が訪れる場所でもあります。
沿岸埠頭にある仁川総合魚市場は一年を通じて常にごった返しています。少しでも鮮度のよい鮮魚を安く手に入れようと多くの人々が訪れます。
仁川沖は黄金漁場と呼ばれるほど海釣りのメッカとなっています。なかでも徳積島(トクチョクド)、豊島(プンド)、昇鳳島(スンボンド)、紫月島(チャウォルド)、伊作島(イジャクト)、六島(ユクト)、サム島、倉礁(チャンソ)、缶島(プド)、白岩(ペガム)、霊興島(ヨンフンド)などが海釣りのポイントとして有名です。南港埠頭は海釣り客を乗せた釣り船が出航するところで、個人で釣りに出る人をはじめ船上海上セミナーやキャンプ、マリンスポーツやマリンレジャーなどさまざまな目的で船を貸し切ったり利用したりすることができます。
沿岸埠頭内の親水公園では春から秋にかけて毎晩イルカ噴水ショーが行われ、また公園内にはバラのトンネルや小さな動物園もあります。

旧仁川日本第五十八銀行支店((구) 인천일본제58은행지점)

旧仁川日本第五十八銀行支店((구) 인천일본제58은행지점)

4.3 Km    24848     2020-02-18

仁川広域市 中区 新浦路23番キル 77

日本の大阪に本店を置く旧第五十八銀行が開設した仁川支店で、1892年開店しました。
1946年からは朝興銀行(チョフンウネン=現在は新韓銀行に吸収合併)が仁川支店として利用していましたが、1958年には別の場所に新支店をオープンしたことから、大韓赤十字社京畿道支社として使われるようになり、現在では仁川中区料食業組合が使用しています。
2階建ての建物で、1階部分は石の基壇を組んで造られており、また屋根の傾斜部分には屋根窓と呼ばれるドーマー窓がついています。
屋根は二段構造の傾斜のある寄棟屋根のマンサード屋根となっており、全体的にフランスルネッサンス様式となっています。

済物浦倶楽部(제물포구락부)

済物浦倶楽部(제물포구락부)

4.3 Km    26440     2023-11-06

インチョン広域市チュン区チャユゴンウォンナムロ25

近代文化交流の場「済物浦倶楽部」 
済物浦(チェムルポ)倶楽部の建物は開港期の仁川に居住していた米国・ドイツ・フランス・ロシアをはじめとする外国人や人数は少ないものの日本人・中国人らが親睦を深める社交場として1901年に建てられました。
煉瓦造り2階建てのブリキ屋根の建物で、内部には社交室・図書室・ビリヤード台などがあり、屋外にはテニスコートもありました。
1914年、外国人居住地域である各国租界が廃止されると、日本の在郷軍人会館、婦人会館、1945年の光復以降には在韓米軍がこの建物を利用していました。
1953年から1990年までは仁川市立博物館として、1990年から2006年までは仁川文化院として使われてきましたが、2007年、元々の済物浦倶楽部として再スタートしました。

済物浦倶楽部の名称
「済物浦倶楽部」の元々の名称は「済物浦クラブ」でした。しかしながら租界の制度が廃止され、「クラブ」が日本式の漢字表記「倶楽部」と表記するようになり、その名称がそのまま使われ今日に至っています。