仁川景西洞 緑青瓷窯址(인천 경서동 녹청자 요지) - エリア情報 - 韓国旅行情報

仁川景西洞 緑青瓷窯址(인천 경서동 녹청자 요지)

仁川景西洞 緑青瓷窯址(인천 경서동 녹청자 요지)

13.8 Km    4772     2021-04-08

仁川広域市 西区 陶窯址路 54
+82-32-440-4063

1970年5月に史跡第211号に指定され、地元初の国家指定文化財となった仁川・景西洞緑青瓷窯址(インチョン・キョンソドン・ノクチョンジャヨジ)。

1984年12月9日、この場所に遺跡を保護するための広さ82.6平方メートルの保護幕舎が設置しました。ここで発掘された器種は平鉢、大皿などが主で、たらいのような形をした陶磁器・チャベギ、盤口長頸瓶、甕などが出土しました。釉薬の色は緑褐色や暗緑色で不透明で光沢がなく、表面に斑点のようなものがあるものの、これは釉薬の成分、窯の特殊構造、焼成温度などが影響したものとみられます。

斜面を利用した窯は傾斜度22度ほどの単室窯となっています。この窯址で注目すべき点は、緩やかに傾斜した窯床に、土で作った円形のトジミ(ケットク)と呼ばれる焼台を配置しているのが特徴です。
このトジミは、窯に詰めて焼く際、これから焼こうとする陶磁を置く焼台で、器ひとつひとつをその上に置き、器の底が窯床に直接触れないようにするために設けられたものです。
この焼台の形はあたかも馬のひづめのようなの形をしており、前の部分は分厚く、後ろの部分は薄く低めに作られています。
登り窯のように傾斜した窯の床の上に焼台の分厚い部分を窯の傾斜の下の方に向けて置くと、器が窯の中で傾かず水平を維持することができます。つまり、窯床自体は傾斜がありますが、焼台を置くことにより窯の中に置かれた器が水平を保つように調節できるようになっています。そのため窯の下の方へ行けば行くほど焼台の高さが高くなり、その上に置かれた器が傾かないよう焼台の高さを調整しています。

このような構造の陶窯址は以前には日本でのみ2か所発見されていたにすぎなかったことから日本独自のものと思われていましたが、仁川・景西洞緑青甕窯址が発見されたことにより、今後の研究如何によっては陶窯技術の日本への伝達経緯を明らかにする貴重な史料となることが期待されています。

[事後免税店] イーマート・コムダン(検丹)(이마트 검단)

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13.8 Km    0     2024-05-02

インチョン広域市ソ区ソゴッロ754

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スペイン村(스페인마을)

スペイン村(스페인마을)

14.1 Km    0     2024-02-16

インチョン広域市カンファ郡ファド面ヘアンナムロ2677-21

2019年に造成されたスペイン村は、スペインをコンセプトにしたテーマパークです。スペインの建築様式や文化をモチーフにエキゾチックな風景が再現されています。村の中にはカフェ、ライブレストラン、ギャラリーなどの文化施設はもちろん、ペンションやキャンピングカーなどの宿泊施設があります。江華島(カンファド)の海を眺めながら散歩を楽しむこともできます。

江華郷校(강화향교)

江華郷校(강화향교)

14.3 Km    24589     2020-12-23

仁川広域市 江華郡 江華邑 郷校キル 58

1127年(仁宗5)3月に賢儒の位牌を安置、位牌を祀り地方の人の教育のために高麗山の南方に郷校が建てられました。1232年(高宗19)に現在の甲串里に移されましたが、蒙古軍の侵攻により再び西島面に移されました。その後、江華郡へと移され、1624年(仁祖2)に江華留守(地方官)の沈悅が松岳山(現在の北山)の横に復元しました。1629年には江華府尹の李安訥(イ・アンヌル)が明倫堂を設立し、1688年(粛宗14)に留守の閔蓍重(ミン・シジュン)が 南門の近くに移しました。1731年(栄祖7)には、留守の兪拓基(ユ・チョッキ)が現在の位置に移し、1766年に留守の李溵(イ・ウン)が修復すると同時に小東門の外にあった碑石を現在の位置へ移しました。京畿道の文化財資料第72号に指定されており、大正殿、明倫堂の東廡、西廡、祭器庫、厨房などが現存しています。前面5間、側面3間の切妻屋根から成る大正殿には五聖、十八賢の位牌が安置されています。朝鮮時代には国家から田畑や労賃・典籍などの支給を受け、教官が教育を行いましたが、現在は教育は行われておらず、春や秋に釈奠、1日・15日に焼香を行い、1名の典校と数名の掌議が運営を行っています。

江華山城(강화산성)

江華山城(강화산성)

14.4 Km    12265     2020-03-16

仁川広域市 江華郡 江華邑 山3番地
+82-32-930-5464

江華山城(カンファサンソン)は高麗、高宗19(1232)年に江華島に遷都した後、蒙古に対抗するために土で建てた土城です。内城は首都移転と同時に取り壊され、朝鮮時代(1392-1910)初めに新たに土城として改築されました。以降、何度も破壊と改築があり、初期には土城として作られましたが朝鮮初期には石城として改築されました。
江華山城はもともと内城と外城がありましたが、現在残っているのは石で積み上げた内城だけです。城の周りは約1.2キロメートル、中城は周りが約9キロメートルの土城で8つの門が四方にありました。外城は江華の東側海峡に沿って作られた巨大な規模の土城でしたが、現在は残っていません。内城も1977年まで何度もの補修工事を経て今日に至りましたが、東側の城は復元できませんでした。
城の四大門としては、南門の晏波楼、西門の瞻華楼、東門の望漢楼、北門の鎭松楼がありますが、東門は今はありません。現在、西門には歴史的な錬武堂跡が残っています。ここは兵士たちが訓練していた所で、1876年日韓修好条規が締結された所でもあります。
江華山城は、城郭と周辺の景観が美しく調和し、散歩やドライブコースとして人気があります。

信矢茅島(信島・矢島・茅島)(신시모도(신도ㆍ시도ㆍ모도))

信矢茅島(信島・矢島・茅島)(신시모도(신도ㆍ시도ㆍ모도))

14.5 Km    9071     2023-11-28

インチョン広域市オンジン郡プクト面

信島・矢島・茅島(シンド・シド・モド)は連島橋で繋がっており、信矢茅島(シンシモド)三人兄弟の島とも呼ばれ、3つの島を一度にまわることができる楽しさがあります。特に、島と島の間を走る自転車の旅が人気を呼んでおり、九峰山、ヘダンファ(ハマナス)トゥルレキル、水気海岸、ペミクミ彫刻公園 など、さまざまな魅力を持つ観光地で思い出づくりができます。
信島は、島の住民たちが善良で信義があるということから名づけられた島で、九峰山が有名です。林道に沿って登山路が整備されており、ツツジやサクラが整然と並びます。また、九峰亭からは西海の景色を一望でき、仁川空港と仁川市の夜景は特に美しいといわれています。
矢島は山と海が調和した美しい景色を誇り、『フルハウス』、『悲しき恋歌』といった人気ドラマの背景にもなりました。水気海岸の砂浜は緩やかで広く、摩尼山が近くに見える他、堤防の道に沿って咲くハマナスは見ものです。
信矢茅島の連島橋を渡り、ヘダンファキルに沿って行くと茅島のペミクミ海岸に出ます。ここには彫刻家イ・イルホの彫刻公園があり、作品と海が織り成す神秘的な雰囲気を求めて多くの観光客が訪れます。

青羅湖水公園(청라호수공원)

14.6 Km    1266     2024-03-20

インチョン広域市ソ区クリスタルロ59

青羅(チョンラ)湖水公園は、青羅国際都市の真ん中に位置している水辺公園で、河川の流れに沿っていくとカナルウェイへ辿り着きます。3つの島をもち、4つのテーマゾーン(エコゾーン、伝統ゾーン、レジャーゾーン、アートゾーン)をつなぐ総延長4キロメートルの循環散策路があります。超大型の音楽噴水、伝統的な亭の形をしている青羅楼、屋外音楽堂、幻のもり遊び場、ローズガーデンなどもあり、水上レジャースポーツも楽しめます。

金浦アートビレッジ(김포 아트빌리지)

14.6 Km    0     2023-01-16

キョンギ道キンポ市モダムゴンウォンロ170

常時文化芸術が体験できる各種文化芸術体験場、レベルの高い展示が鑑賞できるアートセンター展示館、1回に1,000名まで収容できる屋外ステージ、伝統遊び体験場などを備えています。伝統韓屋で宿泊できる伝統韓屋宿泊体験館、芸術サークル団体が自由に創作活動を展開することができる多目的ホールと稽古室、誰もが楽しめるVR(仮想現実)体験館など、市民が日常で文化芸術を享受できる複合文化芸術スペースとなっています。

[事後免税店] チョングァンジャン(正官庄)・コマム(黔岩)(정관장 검암)

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14.7 Km    0     2024-04-26

インチョン広域市ソ区スンハクロ488 103

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席毛島シチメンソウ群生地(석모도 칠면초 군락지)

14.7 Km    0     2024-02-20

インチョン広域市カンファ郡サムサン面メウム里サン29-3

席毛島(ソンモド)シチメンソウ群生地は、干潟の上にシチメンソウが群生している場所で、席毛(ソンモ)大橋を渡ってミンモル海水浴場へ行く途中にあります。シチメンソウは、干潟や塩分の多い土地に群生する植物です。9月から10月中旬まで赤紫の花が咲き、海の紅葉とも呼ばれています。