江華西島中央教会(강화 서도 중앙교회) - エリア情報 - 韓国旅行情報

江華西島中央教会(강화 서도 중앙교회)

15.5 Km    29185     2020-06-16

仁川広域市 江華郡 西島面 注文島キル 256-1
+82-32-760-6474

江華島(カンファド)は、朝鮮時代末期に入り、外国勢力による度重なる侵略を受けた島。
1866年・高宗(コジョン)3年には、丙寅洋擾(ピョンインヤンヨ)が起き、フランス艦隊が鼎足山城(チョンジョクサンソン)の戦闘で破れ撤退するまでの1か月間ほど江華島に駐屯し、1871年の辛未洋擾(シンミヤンヨ)の際には、アメリカ艦隊が江華島にある草芝鎮(チョジジン)、徳津鎮(トクチンジン)や広城堡(クァンソンボ)を次々に陥落させました。
このように江華島は19世紀末、韓国が欧米各国に門戸を開く時期、その最前線にあった場所で、それゆえに西洋人宣教師の活動も活発に行われていました。
そんな宣教師の手により自ら建築したり、宣教師の影響により当時、教会・聖堂がいくつか建てられましたが、江華島には現在でも、1900年に建てられた聖公会江華聖堂、1906年に建てられた江華温水里(オンスリ)聖公会教会、そして西島(ソド)中央教会の三つの建物が残っています。
中でも西島中央教会は1923年2月に信者らが教会を建てるために献金を行い建築を開始した建物で、翌1924年7月、韓屋造りの礼拝堂が完成しました。
1978年には注文(チュムン)教会から西島教会と名称を変更し、現在では大韓基督教監理会所属の教会となっています。
西島教会の建物は優れた建築技術、高い美的価値を持つ建物ではありませんが、韓国の伝統的な木造建築物の構造様式を生かした教会を建てたという意味で大きな意義がある建物となっています。

江華花紋席文化館(강화화문석문화관)

江華花紋席文化館(강화화문석문화관)

15.5 Km    20656     2021-09-10

仁川広域市 江華郡 松海面 長井陽五キル413
+82-32-930-7060

全国で唯一の莞草(ワンゴル)工芸品である花紋席は高麗時代から受け継がれてきた生活文化遺産で、江華郡だけで生産される自慢の民族文化遺産です。江華郡ではこのような民族文化遺産の継承と発展のために花紋席の発祥地である松海面陽五里に花紋席文化館を作りました。
花紋席文化館には、花紋席はもちろん莞草工芸品の過去と現在、そして未来の多様な莞草工芸品の変遷過程が一目で分かる常設展示館があります。

江華アルミエワールド(강화 아르미애월드)

江華アルミエワールド(강화 아르미애월드)

16.1 Km    22918     2023-02-21

インチョン広域市カンファ郡プルン面チュンアンロ742-2

「ヨモギで美しさをつくっていく所」を意味するアルミエは江華島のヨモギをテーマとしたテーマパークです。ヨモギ体験場、草木染めなどの複合文化体験場や、子どもたちが農村の大切さを学べる農耕文化館の他、薬膳料理、郷土料理専門食堂、農特産物販売場、迷路公園、芝生広場、ローカルフード加工工場があります。

江華郡農耕文化館(강화군농경문화관)

江華郡農耕文化館(강화군농경문화관)

17.1 Km    11114     2019-03-20

仁川広域市 江華郡 仏恩面 中央路742-2

「江華郡農耕文化館(カンファグンノンギョンムナグァン)」は、仁川広域市江華郡仏恩面にある農業文化の教育機関として2003年6月12日に開館しました。島民たちに農業の公益的な価値に対して、生きた教育をするために建てられました。また、ジャガイモ掘りや唐辛子採りなどの農業体験活動をすることができ、高麗人参やカブなどの江華の特産物の販売も行っています。

江華石水門(강화 석수문)

江華石水門(강화 석수문)

17.7 Km    24098     2020-02-06

仁川広域市 江華郡 江華邑 菊花里
+82-32-930-4571

「江華石水門(カンファソクスムン)」は江華邑の中心部を流れる東洛川に設けられた江華山城の2つの水門のうちのひとつ(上水門)です。1709年~1711年に江華山城を造る際に設置されました。花崗岩造りで3つの虹模様をした虹霓門(アーチ型門)で、長さ18.2メートル、高さ2.7メートル、アーチの高さ1.7メートル、幅3メートルです。1910年まで甲串里東洛川河口の橋として使われていましたが、1977年には下水門の場所に移築、1993年には東洛川覆蓋工事のため元の上水門の場所に移転復元、最近になって西門に移され現在に至ります。

江華郷校(강화향교)

江華郷校(강화향교)

17.8 Km    24589     2020-12-23

仁川広域市 江華郡 江華邑 郷校キル 58

1127年(仁宗5)3月に賢儒の位牌を安置、位牌を祀り地方の人の教育のために高麗山の南方に郷校が建てられました。1232年(高宗19)に現在の甲串里に移されましたが、蒙古軍の侵攻により再び西島面に移されました。その後、江華郡へと移され、1624年(仁祖2)に江華留守(地方官)の沈悅が松岳山(現在の北山)の横に復元しました。1629年には江華府尹の李安訥(イ・アンヌル)が明倫堂を設立し、1688年(粛宗14)に留守の閔蓍重(ミン・シジュン)が 南門の近くに移しました。1731年(栄祖7)には、留守の兪拓基(ユ・チョッキ)が現在の位置に移し、1766年に留守の李溵(イ・ウン)が修復すると同時に小東門の外にあった碑石を現在の位置へ移しました。京畿道の文化財資料第72号に指定されており、大正殿、明倫堂の東廡、西廡、祭器庫、厨房などが現存しています。前面5間、側面3間の切妻屋根から成る大正殿には五聖、十八賢の位牌が安置されています。朝鮮時代には国家から田畑や労賃・典籍などの支給を受け、教官が教育を行いましたが、現在は教育は行われておらず、春や秋に釈奠、1日・15日に焼香を行い、1名の典校と数名の掌議が運営を行っています。

スペイン村(스페인마을)

スペイン村(스페인마을)

18.0 Km    0     2024-02-16

インチョン広域市カンファ郡ファド面ヘアンナムロ2677-21

2019年に造成されたスペイン村は、スペインをコンセプトにしたテーマパークです。スペインの建築様式や文化をモチーフにエキゾチックな風景が再現されています。村の中にはカフェ、ライブレストラン、ギャラリーなどの文化施設はもちろん、ペンションやキャンピングカーなどの宿泊施設があります。江華島(カンファド)の海を眺めながら散歩を楽しむこともできます。

朝陽紡織(조양방직)

朝陽紡織(조양방직)

18.2 Km    1433     2023-11-07

インチョン広域市カンファ郡カンファ邑ヒャンナムギル5ボンギル12

1933年韓国資本として設立された江華(カンファ)初の人絹(レーヨン)工場・朝陽紡織。時代が過ぎ、江華の織物産業は衰退し、廃墟と化してしまいました。廃屋同然となったこの建物を現在の持ち主が買い入れ、改修工事を行ない、巨大なカフェに生まれ変わらせたのが、現在の朝陽紡織カフェです。
崩れる寸前の壁は素晴らしい美術館や映画館に変身し、巨大な作業台は珈琲テーブルに作り替えました。紡織機も工場労働者もいなくなったスペースには中国や欧州からかき集めた骨董品で埋めつくされています。割れたガラス窓がそのままの英国製ドア、チェコの昔の汽車についていた丸型のミラー、冬になると活躍するたい焼き機が元々ここにずっとあったかのように置かれています。
990平方メートル、およそ300坪超の工場跡や建物の骨格そのものを活かした朝陽紡織カフェには、永い歳月の名残があらゆるところにみられます。

江華山城(강화산성)

江華山城(강화산성)

18.2 Km    12265     2020-03-16

仁川広域市 江華郡 江華邑 山3番地
+82-32-930-5464

江華山城(カンファサンソン)は高麗、高宗19(1232)年に江華島に遷都した後、蒙古に対抗するために土で建てた土城です。内城は首都移転と同時に取り壊され、朝鮮時代(1392-1910)初めに新たに土城として改築されました。以降、何度も破壊と改築があり、初期には土城として作られましたが朝鮮初期には石城として改築されました。
江華山城はもともと内城と外城がありましたが、現在残っているのは石で積み上げた内城だけです。城の周りは約1.2キロメートル、中城は周りが約9キロメートルの土城で8つの門が四方にありました。外城は江華の東側海峡に沿って作られた巨大な規模の土城でしたが、現在は残っていません。内城も1977年まで何度もの補修工事を経て今日に至りましたが、東側の城は復元できませんでした。
城の四大門としては、南門の晏波楼、西門の瞻華楼、東門の望漢楼、北門の鎭松楼がありますが、東門は今はありません。現在、西門には歴史的な錬武堂跡が残っています。ここは兵士たちが訓練していた所で、1876年日韓修好条規が締結された所でもあります。
江華山城は、城郭と周辺の景観が美しく調和し、散歩やドライブコースとして人気があります。

[江華ナドゥルキル第1コース]沁都歴史文化の道([강화 나들길 제1코스] 심도역사문화길)

[江華ナドゥルキル第1コース]沁都歴史文化の道([강화 나들길 제1코스] 심도역사문화길)

18.3 Km    26874     2022-09-27

インチョン広域市カンファ郡カンファ邑チョンハドンギル24

江華ナドゥルキルとは海岸沿いに1.3キロメートルごとにある墩台と江華山城を結ぶ道、そして高麗王陵を張り巡らすように造られた道のことで、山や野原、海、文化財を楽しみながら歩くことができます。
江華島は島の全体が博物館といえるほど多くの遺跡があります。支石墓や、青銅器、モンゴルの侵略に対抗するために江華島に首都を移したときの高麗の痕跡である高麗宮址や高麗王陵が残っています。また、江華山城と海岸に設置された朝鮮時代の遺跡もたくさん残っています。そして、西海岸の美しい夕日や干潟、摩尼山、高麗山、のどかな農村の風景などを各コースで楽しめるようになっています。
江華ナドゥルキルの背景には、江華島の地域の由来と風景、人物などを歌にした江華島のソンビ(学者)である高在亨が記した『沁都紀行』という詩集があります。沁都紀行は1906年、桃の花が咲き乱れる春の日に高在亨が故郷のトゥドゥミ村(現 仏恩面 斗雲里)を出発し、江華島全域の約100の村を旅行しながら書き記した紀行詩が綴られた詩集です。高在亨は大韓帝国の暗鬱の時代に急速に消えていく風俗を嘆き、自分が生まれ育った故郷を歩きました。約100年過ぎた今、その道を江華郡が生態文化探訪路として新しく誕生させたのが「江華ナドゥルキル」です。江華ナドゥルキルは高在亨が故郷を思い詠った詩の道であり、歴史と文化の跡が残っている道です。

• 江華ナドゥルキル第1コース
沁都歴史文化の道は、江華バスターミナル~江華邑内~甲串墩台を結ぶ18キロメートルの区間で、朝鮮時代後期に哲宗が王の座につくまで住んでいた龍興宮や江華郷校、聖公会聖堂などを通ります。