13.8Km 2022-03-03
ソウル特別市 鐘路区 臥龍公園キル192
「臥龍(ワリョン)公園」は1984年に開園した公園で、ソウルの展望の名所として有名な北岳山の「馬岩」から降り、城郭の道に沿っていくと入口に着きます。この公園は三清公園や昌慶公園、北岳山の都市自然公園と隣接しており、龍が横たわっている姿に似ていることから臥龍洞とも言われます。
臥龍公園は土地が浅く樹木の生育が困難なため、アカシアの木などを植えていましたが、住民が1000万株の植林イベントを行い育てたことで、今では青々とした木々と季節によって様々な花を咲かせる美しい公園になりました。
春はサンシュユ(ミズキ科の落葉小高木)、梅、ツツジ、レンギョウなどが咲き、家族そろってのおでかけにも最適です。公園内にはバドミントン場やエアロビクス場、体力鍛錬施設、休憩所(あずまや)などの便利な施設も整っており、散歩やスポーツ、休憩と過ごしやすい場所です。
臥龍公園のメイン散歩コースには北岳山のソウル城郭探訪路と三清公園間の循環散策路の2コースがあります。コースには桜の木が植えられ、春には美しい桜道ができ、市民の憩いの場所となっています。
13.8Km 2024-02-15
ソウル特別市ソンブク区ソンブクロ28ギル10 1・2階
世界文化遺産の昌徳宮(チャンドックン)から15分の距離にあるカフェです。古風な雰囲気が漂い、3階建ての建物と屋上のルーフトップで構成されています。シグネチャーメニューはマンダリンラテで、牛乳とみかんがたっぷり入っていて爽やかな味です。また、スイーツも自家製で当日生産・当日販売を原則としています。スイーツにはミルククリーム入りのクロワッサンとモンブランがあります。
13.8Km 2022-08-31
ソウル特別市チョンノ区セジョンデロ189
世宗路(セジョンノ)公園はソウル都心の中心地・光化門交差点から光化門に至る世宗路(セジョンノ)にあり、世宗文化会館の右手に造成された公園です。
園内には木陰や木製のベンチもあり、近くで働く人々の憩いの場となっています。
また、噴水、野外円形ステージ、各種オブジェなどなどもあり、週末には野外結婚式の会場として利用されることもあります。
ほかにも『ソウル讃歌』(原題:ソウルの讃歌)の歌碑も建てられています。
13.8Km 2024-03-18
ソウル特別市チョンノ区プクチョンロ5ギル78
黄生家(ファンセンガ)カルグクスは、景福宮(キョンボックン)の近くにあるカルグクス専門店です。カルグクスとは、小麦粉の生地を薄く伸ばして包丁で切って麺を作り牛骨や貝、魚介類などで出汁をとって煮込む麺料理のことをいいます。王餃子、韓牛ゆで肉、コングクス、キノコの寄せ鍋、餃子スープも人気メニューで、「ミシュランガイドソウル2023」に選ばれた名店です。
13.8Km 2020-08-14
ソウル特別市 中区 西小門路9キル 14
大韓民国臨時政府ソウル連通府(聯通府)跡は、1919年、中国・上海に樹立された大韓民国臨時政府が国内と連絡を取り、国内行政を担当するため秘密裏に組織された大韓民国臨時政府直轄のソウル連通部(ヨントンブ)があった場所です。 現在はソウル特別市中区(チュング)巡和洞(スナドン)にある同和(トンファ)薬品の旧社屋前に石碑が残されています。
13.8Km 2024-02-20
ソウル特別市チュン区チョンドンギル26
梨花(イファ)女子高100周年記念館は、梨花女子高等学校の隣にあるマルチメディア教育館です。地下1階・地上5階建てで、ギャラリー、カフェ、音楽室、個人練習室、視聴覚室があります。1階と2階の和岩(ファアム)ホールは、ミュージカル、コンサートなどの公演や教育のための場所として利用されています。
13.8Km 2024-06-26
78 , Samcheong-ro, Jongno-gu, Seoul
+82-742-4628 (内線番号 207)
大衆にマリンルックとして愛された「セントジェームズサムチョンジョン」は、2016年7月にソウル鐘路区の三清路にオープンしました。売場は三清洞通りの静かで洗練された雰囲気をそのまま盛り込んでいます。紳士服や婦人服、子供服、靴、カバン、ファッションの小物などを販売し、SAINTJAMES(フランス)製品とともにBUDDY(日本)、VEJA(フランス)、SOLUDOS(アメリカ)、BRONTE(オランダ)などのブランド製品も取り扱っています。
13.8Km 2024-05-02
キョンギ道ヨンイン市キフン区シンゴメロ124 B2階(コメ洞)
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13.8Km 2024-02-15
ソウル特別市ソンブク区ソンブクロ23ギル132-3
北亭(プクジョン)村は、城北(ソンブク)洞の山麓にある村で、韓国の古い路地がツアーできる場所です。韓国戦争以降、避難民や地方から上京した人々が、崩れた漢陽(ハニャン)都城の城壁の下に掘っ立て小屋を建てて住むようになり、村の規模が大きくなりました。現在は、若い芸術家も集まって住んでおり、村のバス停前にある広い道では村の行事が開かれたりします。